夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

天上の松尾芭蕉翁から、現世の齢を重ねた私が、確かに教示されたひとつには・・。

2012-10-06 09:38:05 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
購読している読売新聞の記事の中で、圧倒的に魅せられた記事を切り抜いて、
とりあえずA4サイズの茶色の箱を保管している。

昨日の昼下がりのひととき、たまたまこの箱を開けて、整理している時に、
古ぼけた切り抜きの記事のひとつに、思わず読んだりしてしまった。

読売新聞の朝刊の中で、一面に掲載されている定例記事の『編集手帳』で、
私のつたないポールペンの字で、2008.10.12.と右上に記いていた。

そして記事の中には、江戸時代の前期に数多くの俳句を遺(のこ)された松尾芭蕉の一句である。

    旅に病(やん)で 夢は枯野(かれの)を かけ廻(めぐ)る

余りにも著名な名句のひとつであるが、私がこの句にめぐり逢えたのは、
1965(昭和40)年頃から、作家の立原正秋(たちはら・まさあき)氏の数多くの小説、随筆に魅せられて、
愛読してきた私は、民間のサラリーマンしていた1974〈昭和49〉年の6月に、
たまたま買い求めた単行本の氏の小説『夢は枯野を』(中央公論社)を読んだりした。

そして読了後に、つたないなりに喚起されて、
改めて俳人・松尾芭蕉(まつお・ばしょう氏の遺された句、生涯を学びはじめたのである。


私は手に取った記事を改めて読み終わった後、改めて微笑んだりした。

無断であるが、大半を転記させて頂くと、
《・・
《旅に病(やん)で夢は枯野(かれの)をかけ廻(めぐ)る》。
芭蕉翁は最期の床でそう詠んだが、
格別に辞世の句として遺(のこ)したわけではなかった。
門人には「平生則(すなわ)ち辞世なり」と説いている。
常に日々を大切に生き、句作してきたということだろう。
・・
(亡くなったのは)数えで51だ。
満なら50歳になるかならないか。
・・
当時としても若くして年長に見られたらしい。
とはいえ、今日の同世代とは雰囲気があまりに違う。
現在、日本人の平均寿命・・(略)・・芭蕉の時代よりはるかに長い。

無論、長寿は喜ばしい。
問題は人生が豊かになっているかどうか。
平生則ち辞世、などと思索する間もなく、日々はあわただしく過ぎる。
現代の50歳が翁に近い風貌になるころ、頼りの年金や医療は少々心もとない。

芭蕉翁が今、数10年長い人生を過ごせばどうだろう。
思う存分に「侘(わ)しきを面白がる」ことになっても困る。
・・》
注)記事の原文より、あえて改行を多くした。


このような概要の記事であり、私は民間会社を2004(平成16)年の秋に定年退職し、
年金生活の8年生となった身である。

私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、
七転び八起きのように悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている。

そして定年退職の時は、せめて10年だけは五体満足で生かしてくれ、その後は余生である、
とこのような意味合いの言葉を公言したりして、私より年配の方たちは苦笑されたりしていた。

私も幾たびか自己格闘を重ねて、つたないなりに人生を歩んきたが、
恥ずかしながら自身の力もさることながら、もとより両親に育まれ、兄妹と共に成長しながら、
多くの人にめぐり逢えて、人生の知恵を学び、今日に至っているので、
それぞれの人には感謝をしている。

こうした思いから飛躍すれば、高齢者となった私としては、
生きがいをなくされ、目の輝きを失くした時は、
誰からも敬(うや)まわれず、齢ばかり重ねた老人と思い、
若い世代からは価値のない邪魔な存在と思われても仕方がない、
と私は自戒したりしている。

このような思いから、年金生活の身過ぎ世過ぎの日常であるが、
少なくとも身体は衰えても心だけは、惰性することなく、
人生の残された日々に天上の松尾芭蕉翁から、確かな教示のひとつとして、
日々を清進し大切に過ごそうと思い過ごしている。


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