第2章 銀山温泉『旅館 永澤平八』
昨年の夏過ぎに、雪舞い降る時に銀山温泉に行って観たいわ、と家内は私に云ったが、
旅館街の朝、夕暮れ、そして夜景を眺められる宿泊を旅行会社のバンフレット、ネットなどで調べた結果、
旅館街の中ほどにある『旅館 永澤平八』に宿泊することに選定したのは、
昨年の10月過ぎで、せっかく訪れるのだったら、ゆっくりと4連泊として、旅行会社に申し入れた。
http://www.ginzanonsen.jp/nagasawa/
☆銀山温泉『旅館 永澤平八』 ホームページ☆
そして、部屋の窓辺から街並みが良く観えることを前提条件で、
今回の旅行予定日も決めたくらいであった。
江戸末期に創業と伝えられる『旅館 永澤平八』は、
大正14年に新たに片母屋造りの木造3階建てとなり、
一階の格子をはじめ、1階と2階には破風が張り出していた。
階段は松で、階段の手すりの部分は楕円細工がほどこされ、
いつの日にやむ得ずニスを上塗りしたが、長年の愛用されてきた歳月を感じさせ、
磨耗されながら、光沢帯びていた。
屋根の上には、屋号を描いた灯り取りの塔屋が聳(そび)え、
建物全体からも大正時代をかもし出す情緒ある旅館である。
私は到着後、3階にある半露天の貸切風呂、1階の男女別の大浴場の内風呂を知ったが、
私達の3階の部屋から、私はたまたま近くの半露天の貸切風呂に入った。
『入浴中』の木札にした後、浴室に向かい、青森ヒバ材で造られた湯舟の中から湯を数杯を身体にかけ、
熱すぎて驚き、源泉63度だったことを思いだし、やむ得ず水を加水した。
源泉から湯舟で空気にふれて、半露天の浴室で冬の寒さも加わっていても、
たぶん50度過ぎだったと感じさせる熱さであった、と思えた。
そして、45度ぐらいの熱めの湯に、身も心もゆだねて、やっと念願叶って、
遠い銀山温泉に訪れた、と実感を重ねたりした。
その後、部屋に戻っても、しばらくの間はポカポカとした状態で、
まぎれく良質な湯質で、心身波長が合うかしら、と私は微笑んだりした。
翌日、朝の9時半過ぎに、もうひとつの半露天の貸切風呂に私は入ったが、
ひとまわり大きな浴室で、開放感もあるが、格調もある由緒を瞬時に感じられる浴室、そして湯舟であった。
私は湯舟に身にあずけながら、心の片隅で、お供さえ仕替えていれば、その昔に諸国の殿様の気分のようになり、
まぎれなく贅沢なひとときを過ごしたのであった。
そして、これまでの私としては、程ほどの価格帯のリゾート・ホテル、観光ホテル、旅館などの貸切風呂に於いて、
つたない私の知る限り、圧倒的に好感した浴室、湯舟であった。
この日の昼下り、私は一階の談話室のような処で、
地方紙の山形新聞を読んでいた時、偶然に壁面の一枚のポスターが見えた。
女優の吉永小百合さんが、私の好感した浴室と湯舟で、
半纏と浴衣を召した容姿で、この湯舟に手をそぉ~と入れている情景のポスターであり、
私は微苦笑しながら、30秒ぐらい見つめたりしていた。
そして、JR東日本の『大人の倶楽部』のポスターで、
たまたま銀山温泉に於いて、私達の宿泊した宿の私も好感した浴室、湯舟が選定されていたのである。
私達夫婦は、3階の部屋から、お互いに幾たびか風呂に行ったり、
窓辺から旅館街の前の石畳の歩道を歩く多くの観光客を眺めたりしたが、、
ときおり私は持参した本を読んだりしていた。
そして朝のひととき、昼下がり、夕食前の夕暮れなどに、散策した。
この時の思いは、次章で綴る。
《つづく》
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昨年の夏過ぎに、雪舞い降る時に銀山温泉に行って観たいわ、と家内は私に云ったが、
旅館街の朝、夕暮れ、そして夜景を眺められる宿泊を旅行会社のバンフレット、ネットなどで調べた結果、
旅館街の中ほどにある『旅館 永澤平八』に宿泊することに選定したのは、
昨年の10月過ぎで、せっかく訪れるのだったら、ゆっくりと4連泊として、旅行会社に申し入れた。
http://www.ginzanonsen.jp/nagasawa/
☆銀山温泉『旅館 永澤平八』 ホームページ☆
そして、部屋の窓辺から街並みが良く観えることを前提条件で、
今回の旅行予定日も決めたくらいであった。
江戸末期に創業と伝えられる『旅館 永澤平八』は、
大正14年に新たに片母屋造りの木造3階建てとなり、
一階の格子をはじめ、1階と2階には破風が張り出していた。
階段は松で、階段の手すりの部分は楕円細工がほどこされ、
いつの日にやむ得ずニスを上塗りしたが、長年の愛用されてきた歳月を感じさせ、
磨耗されながら、光沢帯びていた。
屋根の上には、屋号を描いた灯り取りの塔屋が聳(そび)え、
建物全体からも大正時代をかもし出す情緒ある旅館である。
私は到着後、3階にある半露天の貸切風呂、1階の男女別の大浴場の内風呂を知ったが、
私達の3階の部屋から、私はたまたま近くの半露天の貸切風呂に入った。
『入浴中』の木札にした後、浴室に向かい、青森ヒバ材で造られた湯舟の中から湯を数杯を身体にかけ、
熱すぎて驚き、源泉63度だったことを思いだし、やむ得ず水を加水した。
源泉から湯舟で空気にふれて、半露天の浴室で冬の寒さも加わっていても、
たぶん50度過ぎだったと感じさせる熱さであった、と思えた。
そして、45度ぐらいの熱めの湯に、身も心もゆだねて、やっと念願叶って、
遠い銀山温泉に訪れた、と実感を重ねたりした。
その後、部屋に戻っても、しばらくの間はポカポカとした状態で、
まぎれく良質な湯質で、心身波長が合うかしら、と私は微笑んだりした。
翌日、朝の9時半過ぎに、もうひとつの半露天の貸切風呂に私は入ったが、
ひとまわり大きな浴室で、開放感もあるが、格調もある由緒を瞬時に感じられる浴室、そして湯舟であった。
私は湯舟に身にあずけながら、心の片隅で、お供さえ仕替えていれば、その昔に諸国の殿様の気分のようになり、
まぎれなく贅沢なひとときを過ごしたのであった。
そして、これまでの私としては、程ほどの価格帯のリゾート・ホテル、観光ホテル、旅館などの貸切風呂に於いて、
つたない私の知る限り、圧倒的に好感した浴室、湯舟であった。
この日の昼下り、私は一階の談話室のような処で、
地方紙の山形新聞を読んでいた時、偶然に壁面の一枚のポスターが見えた。
女優の吉永小百合さんが、私の好感した浴室と湯舟で、
半纏と浴衣を召した容姿で、この湯舟に手をそぉ~と入れている情景のポスターであり、
私は微苦笑しながら、30秒ぐらい見つめたりしていた。
そして、JR東日本の『大人の倶楽部』のポスターで、
たまたま銀山温泉に於いて、私達の宿泊した宿の私も好感した浴室、湯舟が選定されていたのである。
私達夫婦は、3階の部屋から、お互いに幾たびか風呂に行ったり、
窓辺から旅館街の前の石畳の歩道を歩く多くの観光客を眺めたりしたが、、
ときおり私は持参した本を読んだりしていた。
そして朝のひととき、昼下がり、夕食前の夕暮れなどに、散策した。
この時の思いは、次章で綴る。
《つづく》
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