夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

早春の昼下りの陽射しの中、我家の白梅は20数輪咲き、私は見惚(みと)れながら・・。

2011-02-01 16:46:57 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
昨日は曇り時々晴れの6度ぐらいの寒い昼下りであったが、
今朝は澄み切った青空となり、日中も陽射しは燦燦と、風もなく暖かい3月上旬のような陽気となった。

いつものように私は、スーパーに2店ばかり買物を終えた後、
空気が乾ききった日々が長らく続いたせいか、
少し風邪気味であるので、散策は自重し取りやめたりした。

私は居間でぼんやりと、本を読んだりし、
主庭の白梅を見たりしたが、少しばかり膨らんだ莟(つぼみ)であり、
紅梅も固い莟の状況であるので、ため息をしたりしていた。
無念ながら隣接しているマンション影響で、この時節は半日ほど陽影となっている。

この後、玄関庭に下り立ち、
昼下りの陽射しを燦燦と受けた白梅の花が、静寂の中、20数輪咲いて、
私は思わず微笑みながら、長らく見つめたりした。


我が家の玄関庭は、この時節も陽当たりに恵まれて、
私が散策することの多い野川の川沿いの遊歩道で、陽だまりとなる処にある白梅があるが、
あたかも競(きそ)うように、ここ数週間に数輪、そして10数輪と咲きだして、
私は少年のような多感な心で、互いに見てきたのである。

梅の白き花は、ときおり微風が吹くと、
かすかに花びらが揺れて、まぎれない美を幼年期の頃から、私は感じたりしている。

朝方のひとときは、この世に比類のない清麗の美を感じ、
昼下りの陽射しの中では、早春の訪れを実感させられ、
夜の薄闇の中に於いては、白き花が浮かんだりした情景を眺めると妖艶さも感じさせる
多彩な花であるが、
私は四季折々の花木の中で、特に魅了される花のひとつである。


先ほど、我が家の玄関庭の20数輪の花びらに見惚(みと)れていると、
私は恥ずかしながら俳句を詠(よ)む素養はないが、
たわむれに数句を脳裏に浮かべたりした・・。

凛(りん)として ほのかに匂ふ 梅の花

梅の花 人知(ひとし)れず咲き 匂い寄せ

秘かに咲く 冬麗(とうれい)のなか 梅匂い

私は煙草を喫いながら、たわむれで詠んだが、拙(つたな)さがあり、
やはり私は散文で綴る方がよい、と微苦笑した。
そして、ぼんやりと、昼下りの暖かい陽射しを受けた花びらを眺め、心酔したりしていた。


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高齢者2年生の私でも、『睦月(むつき)』に別れを告げ、そして『如月(きさらぎ)』を迎えて・・。

2011-02-01 08:23:05 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市にに住む年金生活の66歳の身であるが、
今朝、1月の『睦月』のカレンダーを破り、『睦月』に別れを告げ、
2月の『如月』と大きく明示されのを見ながら、
こんにち~は・・清新一心で今月も心身元気に・・と心の中で呟(つぶや)いたりした。

この後、ぼんやりと過ぎ去った正月以来が早かったと改めて感じたりした。
独り住まいの家内の母に私達の家に来宅して貰い、昨年の年末の28日より、新年を共に迎え、
4日まで生活を共にした。
そして私の母の命日の13日の前には、私達夫婦は妹の2人と共にお墓参りをしたのは、
9日であったが、これらのことは、毎年の恒例となっている。


私は定年後に日常の買物担当となったので、殆ど毎日スーパー、専門店に行ったり、
その後は散策し、季節のうつろいを享受している・・。

私の住む地域は調布市の片隅で、世田谷区と狛江市に隣接している処に住んでいるので、
我が家から小田急線の『狛江』、『喜多見』、『成城学園』の各駅まで歩いたり、
或いは京王腺の『仙川』、『つつじが丘』、『柴崎』の各駅まで歩いたり、
そして小学校時代に通った旧街道を散策し、東西南北の数キロをくまなく歩いたりしてきた。

しかし、この1月は、殆ど毎日、近くに流れる野川の川沿いの遊歩道を散策することが多かった。
昨年の12月中旬より冬晴れに恵まれているが、
24日にわずかに小雨が降ったぐらいで、乾ききった陽射しにつつまれる中、歩いたりしている。

そして、白梅の純白の花が陽だまりの良い処は咲いたりし、
私は立ち止まり、見惚(みと)れたりしている。

川の水辺の近くには、鷺(サギ)、鴨(カモ)が数多く観られ、
そして鶺鴒(セキレイ)、椋鳥(ムクドリ)も飛来してきているが、
私は小鳥には興味がなく、陽射しを受けた川面、清冽な水の流れを見つめたり、
川辺の薄(すすき)などの冬枯れの情景に魅せられたりしている。

そして遊歩道を上流に向かい10分ばかり歩くと、
小公園となり30本前後の落葉樹は冬木立の景観を見せている。
この地域に古くからあるクヌギ、コナラの樹木が中核となっている・・。

ハクウンボク、ヒメシャラ、イヌシデ、ヤマボウシ、コブシなどの冬木立となして、
昼下がりの暖かな陽射しを受ける情景を見たりすると、
私は幼年期に農家の児として育てられたためか、心身和(なご)むのである。

私は足を止めて、木のベンチに座り、煙草を喫ながらしばらく見つめたりすることが多い・・。

そして付近の垣根の傍で赤い実の南天が陽射しを受け、
その脇に千両の赤い実も見られ、地表から福寿草の黄色の花がひっそりと咲いている。

この後、上流に向えば、桜並木のように数多くの桜の樹が観られ、
この時節は、冬木立となり、主木、数多い枝は、陽射しをゆったりと受け、
光がきらめく蒼空を眺めたりし、冬麗(とうれい)の情景となっている・・。


こうして綴っていると、私の住む東京郊外に於いては、
今年の1月の『睦月(むつき)』は、中旬頃までは平年より暖かい日々が続き、
下旬は氷点下のマイナス数度の朝を迎えたりしてきた。

日本海沿いの各地は、記録的な豪雪に遭い、数多くの人たちは雪害にとなり、
不謹慎ながら、私の住む地域は乾ききった空気の冬晴れる日々が圧倒的に多く、
雪の舞い降ったことがなく、と改めて気付いたのである。


2月は、古人から『衣更着』とも表示され、
ときおり早春の暖かな陽射しに恵まれた日もあるが、
寒さが厳しい折、突然に寒風となり、更に重ね着をされるので、
このよう表現になったと思われる。

別名称としては、梅見月、雪消月、木芽月とも綴られることもあるが、
私はこの時節を象徴するには、私としては梅見月が最も魅了される。

早春のひととき、遊歩道、公園、付近の住宅街、旧街道を散策し、
冬木立、早春の花を誉(ほ)めながら歩き、
今年も花、ときには芽吹きに巡り逢えた、という実感が好きなのである。

今朝の6時は、マイナス2度程度で、澄み切った青空が予感され、
7時過ぎは風もなく朝の陽射しをまぶしげに受けている。

日中は11度の陽気に恵まれ、
私は買物、散策で早春の陽射しにつつまれて、
椿(ツバキ)、梅の花を眺めたりし、散策したりする予定である。


そして、心の片隅では、幼年期に農家の児として育った私は、雪恋し、と思ったりしている。
昨今、日本海沿いの各地は、記録的な豪雪に遭い、数多くの人たちは雪害にとなり困苦されているが、
不謹慎なことを発露する。

乾ききった関東地方の南部としては、
せめてこの『如月(きさらぎ)』の時、天上の気候の神々にお願いして、
雪が舞い降り、積雪5センチ前後ぐらいの公共交通機関に影響のない程度に・・
と身勝手に祈願しているのである。


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