東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、読売新聞の朝刊を見て、いつも愛読している『編集手帳』を読んだ後、
微苦笑させられたのである・・。
この記事に関しては、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に同一の記事が掲載されているので、
無断ながら転載させて頂く。
《・・
上海万博が始まった。
10月末の閉幕まで、何かと中国に世界の耳目が集まるのだろう。
大阪万博や愛知万博などを経験した日本にすれば、素直に開催を祝いたいが、
そうばかり言っていられない事情もある。
中国艦艇10隻の軍事演習の件である。
沖縄本島沖での公海上の出来事だが、日本は中国の艦載ヘリが異常接近したと抗議した。
これに対し、中国は公海上の演習を執拗(しつよう)に監視する方に問題がある、と反発した。
このまま行けば日中双方で気まずい思いだけが残る。
120年余り前、清国の丁汝昌・提督率いる北洋艦隊が、7千トン級の軍艦を旗艦として、長崎港に寄港した。
当時の日本海軍には3千トン級が1隻あるだけ。
日中海軍力の差は歴然としていた。
上陸した水兵たちが粗暴な振る舞いを引き起こしたものの、
当時の明治政府は「腰を低くして清国艦隊のご機嫌をとり、
清国水兵と衝突しないよう一般市民に指示した」(石光真清著『曠野の花』)という。
世に言う「長崎事件」だ。
今はどちらかが、ご機嫌をとる時代ではあるまい。
大事に至る前に、火消しできる双方のチャンネル作りが急務だろう。
(2010年5月3日01時23分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20100503-OYT1T00021.htm
☆ YOMIURI ONLINE 『編集手帳』5月3日 ☆
この後、6面の【意見広告】として、市民意見広告運動事務局という団体が広告を出され、
《基地はいらない
核の傘もいらない
人間らしく生きたい・・》
日本国憲法の第9条、第25条も掲載されており、
私は読みながら、どうしてこうした平和ボケの多い人たちがいるのかしら、と苦笑したのである。
私は若き日には映画・文学青年の真似事をした後、あるレコード会社に35年ばかり勤めて定年退職となり、
こよなく文化を愛するひとりであるので、政治・外交・軍事・経済などは恥ずかしながら疎(うと)い身である。
しかし、国際主要国はもとより怜悧な国益に基づいて、
外交、軍事、経済力などを背景とした政治が行われている現状ぐらいは少し判っているつもりである。
かの世界第二次大戦の敗戦後、何とか日本が戦争に巻き込まれなかったのは、
『第9条』とは関係がなく、長らくアメリカとソ連との巨大国に寄る冷戦であり、
互いの核の強化で均衡のような形で続き、お互いに恐怖を抱き、牽制しあったからである。
そして日本はアメリカの軍事力に守られ、隣国の大国である中国、ソ連に脅かさせられることもなく、
幸運にも経済だけに専念できて、経済大国となってきたのが怜悧な実情と思ったりしている。
ここ10年、中国の大躍進を私なりに思考すると、かって中国の明の時代に思いを馳せたりする・・。
1400年代の明の永楽帝の時代に於いては、盛んに勢力を広げ、
隣国の元朝の余党を遠征により制圧したり、満洲では女真族を服属させ、
南方ではベトナムを陳朝の内乱に乗じて征服した。
そして海外の東南アジア、インド洋にまで威信を広げるべく鄭和に率いられた大艦隊を派遣し、
一部はメッカ、アフリカ東海岸まで達する大遠征の結果、多数の国々に明との朝貢関係を結ばせた。
この頃の明王朝は、ヨーロッパの諸国より遥かに凌駕し、
世界の諸国の中で、圧倒的な軍事・外交・経済の超大国として、
そして陸路はもとより、海上貿易で巨額な収益をもたらしていたのである。
やがて清の時代になると、イギリスからアヘン戦争を仕掛けられ、
その後は世界の列国から侵略などによる剥奪され、中国の長い歴史上からしても屈辱の長い期間となった。
今日の中国は、軍事・経済の超大国への道を国家の理念と思われ、
日本が幼児のように指をくわえていれば、太平洋さえもアメリカと分け合いながら躍進すると思われる。
私は平和は何よりも大切と思っているが、この前提としては自国を守れる防衛能力が必要なのである。
単なる念仏のように『戦争は嫌いだ・・平和こそが・・』と唱えても、過去の歴史が証明するように、
隣国から侵されれば、お終いとなる。
そして、憲法など戦勝国に簡単に変えられる。
このように私は軍事力は必要悪と思い、『平和を維持するために、防衛能力が・・』と、
確固たる自国を守れる軍事力が必要と確信している。
この上、何よりも軍事力も険悪し、平和こそがと唱える人たちは、隣国の大国を限りなく喜ばせ、
中国を宗主国としてあがめ、属国人として生き延びるのかしら、と妄想をする。
或いは江戸時代のように一部だけ海外と交易し、あとは国内だけで共に生活を送るのかしら、と思ったりしてしまうのである。
現世の国際の主要国はもとより怜悧な国益に基づき、他国と競合したり、やむえず協調する時代であり、
アメリカの少年・少女たちにも判ることなのに、日本の一部に平和ボケの人がいるのに唖然としている。
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今朝、読売新聞の朝刊を見て、いつも愛読している『編集手帳』を読んだ後、
微苦笑させられたのである・・。
この記事に関しては、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に同一の記事が掲載されているので、
無断ながら転載させて頂く。
《・・
上海万博が始まった。
10月末の閉幕まで、何かと中国に世界の耳目が集まるのだろう。
大阪万博や愛知万博などを経験した日本にすれば、素直に開催を祝いたいが、
そうばかり言っていられない事情もある。
中国艦艇10隻の軍事演習の件である。
沖縄本島沖での公海上の出来事だが、日本は中国の艦載ヘリが異常接近したと抗議した。
これに対し、中国は公海上の演習を執拗(しつよう)に監視する方に問題がある、と反発した。
このまま行けば日中双方で気まずい思いだけが残る。
120年余り前、清国の丁汝昌・提督率いる北洋艦隊が、7千トン級の軍艦を旗艦として、長崎港に寄港した。
当時の日本海軍には3千トン級が1隻あるだけ。
日中海軍力の差は歴然としていた。
上陸した水兵たちが粗暴な振る舞いを引き起こしたものの、
当時の明治政府は「腰を低くして清国艦隊のご機嫌をとり、
清国水兵と衝突しないよう一般市民に指示した」(石光真清著『曠野の花』)という。
世に言う「長崎事件」だ。
今はどちらかが、ご機嫌をとる時代ではあるまい。
大事に至る前に、火消しできる双方のチャンネル作りが急務だろう。
(2010年5月3日01時23分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20100503-OYT1T00021.htm
☆ YOMIURI ONLINE 『編集手帳』5月3日 ☆
この後、6面の【意見広告】として、市民意見広告運動事務局という団体が広告を出され、
《基地はいらない
核の傘もいらない
人間らしく生きたい・・》
日本国憲法の第9条、第25条も掲載されており、
私は読みながら、どうしてこうした平和ボケの多い人たちがいるのかしら、と苦笑したのである。
私は若き日には映画・文学青年の真似事をした後、あるレコード会社に35年ばかり勤めて定年退職となり、
こよなく文化を愛するひとりであるので、政治・外交・軍事・経済などは恥ずかしながら疎(うと)い身である。
しかし、国際主要国はもとより怜悧な国益に基づいて、
外交、軍事、経済力などを背景とした政治が行われている現状ぐらいは少し判っているつもりである。
かの世界第二次大戦の敗戦後、何とか日本が戦争に巻き込まれなかったのは、
『第9条』とは関係がなく、長らくアメリカとソ連との巨大国に寄る冷戦であり、
互いの核の強化で均衡のような形で続き、お互いに恐怖を抱き、牽制しあったからである。
そして日本はアメリカの軍事力に守られ、隣国の大国である中国、ソ連に脅かさせられることもなく、
幸運にも経済だけに専念できて、経済大国となってきたのが怜悧な実情と思ったりしている。
ここ10年、中国の大躍進を私なりに思考すると、かって中国の明の時代に思いを馳せたりする・・。
1400年代の明の永楽帝の時代に於いては、盛んに勢力を広げ、
隣国の元朝の余党を遠征により制圧したり、満洲では女真族を服属させ、
南方ではベトナムを陳朝の内乱に乗じて征服した。
そして海外の東南アジア、インド洋にまで威信を広げるべく鄭和に率いられた大艦隊を派遣し、
一部はメッカ、アフリカ東海岸まで達する大遠征の結果、多数の国々に明との朝貢関係を結ばせた。
この頃の明王朝は、ヨーロッパの諸国より遥かに凌駕し、
世界の諸国の中で、圧倒的な軍事・外交・経済の超大国として、
そして陸路はもとより、海上貿易で巨額な収益をもたらしていたのである。
やがて清の時代になると、イギリスからアヘン戦争を仕掛けられ、
その後は世界の列国から侵略などによる剥奪され、中国の長い歴史上からしても屈辱の長い期間となった。
今日の中国は、軍事・経済の超大国への道を国家の理念と思われ、
日本が幼児のように指をくわえていれば、太平洋さえもアメリカと分け合いながら躍進すると思われる。
私は平和は何よりも大切と思っているが、この前提としては自国を守れる防衛能力が必要なのである。
単なる念仏のように『戦争は嫌いだ・・平和こそが・・』と唱えても、過去の歴史が証明するように、
隣国から侵されれば、お終いとなる。
そして、憲法など戦勝国に簡単に変えられる。
このように私は軍事力は必要悪と思い、『平和を維持するために、防衛能力が・・』と、
確固たる自国を守れる軍事力が必要と確信している。
この上、何よりも軍事力も険悪し、平和こそがと唱える人たちは、隣国の大国を限りなく喜ばせ、
中国を宗主国としてあがめ、属国人として生き延びるのかしら、と妄想をする。
或いは江戸時代のように一部だけ海外と交易し、あとは国内だけで共に生活を送るのかしら、と思ったりしてしまうのである。
現世の国際の主要国はもとより怜悧な国益に基づき、他国と競合したり、やむえず協調する時代であり、
アメリカの少年・少女たちにも判ることなのに、日本の一部に平和ボケの人がいるのに唖然としている。
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