夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

松田聖子ちゃんの『風立ちぬ』を思わず鼻歌を唄いながら・・♪

2010-05-12 16:11:48 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
家内は過日の8日の土曜日から今週の14日の金曜日まで
独り住まいの家内の母宅に大掃除で行ったりし孤軍奮闘している。

私は『おひとりさま』の生活となっているが、
昨日は雨が降っていたので、家事はお休みと怠(なま)けてしまい、
今朝の10時過ぎに薄日となり、やがて陽射しが差し込んできた。
私は昼食後は少しばかり掃除する前に、窓を開け放ち、風を取り入れた。

そして台所ので皿洗いなどをした後、我が家の庭の一面は歩道に面しているが、
ここ一週間ほど歩道を掃き清めてしなかったので、
気合をいれ、立ち箒(ほうき)を持ち、歩道に下り立った。

幅は一間(約2メートル弱)ぐらいで、我が家の責任分担は約50メートル程度であり、
この時節は散ったツツジの花や私にとっては名も知れないご近所の花など、
或いは常緑樹の葉が新旧交代よと一部の古い葉が落ち、散乱したりしている・・。

私は掃きだしたのであるが、ときおり風が吹き、
数々の葉が歩道で戯れているようであった。

私はB型のお調子者の血筋を引いているので、

♪風立ちぬ 今は秋
 今日から私は 心の旅人

☆【『風立ちぬ』 作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一 】

と小声で鼻歌を唄いだしたのである。

この後、はっと気付いたのである・・。
そして私は下校時の小学生に逢わなくて良かった、と思ったのである。

『あすこの家の小父さん・・変なの・・
今は5月中旬なのに、秋の歌などを唄って・・
第一、下駄を履いて、長いホウキで掃いて・・その上、大学生のような長袖のシャツを着て、
齢相応って・・あの小父さん・・判らないのかしら・・』

このような情景が想像できるのである。

私は歩道に誰もいないことを確かめて、

♪風のインクで したためています
 SAYONARA SAYONARA

☆【『風立ちぬ』 作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一 】

と小声で鼻歌を唄いだしたのであるが、
塵取りと小さい箒でゴミ袋に入れようとしていた時、風が強く舞い上がり、
結果として、5分ばかり風に遊ばれていたのである。


http://www.youtube.com/watch?v=eNa2jyxx2Ho&feature=related
☆【『風立ちぬ』 作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一、編曲・多羅尾伴内、唄・松田聖子 】



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五木寛之(いつき・ ひろゆき)・著の『わが人生の歌がたり』を遅ればせながら読みはじめ・・。

2010-05-12 10:17:31 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日、雨の降る中、駅前の歯科医院で治療を受けた後、本屋に寄った。

これといって心に決めた本はなかったのであるが、
単行本のコーナーで、五木寛之氏の『わが人生の歌がたり』の

http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=200604000209
☆角川書店 五木寛之・著の『わが人生の歌がたり』~昭和の哀歓~ ☆
 
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=200608000259
☆角川書店 五木寛之・著の『わが人生の歌がたり』~昭和の青春~ ☆

http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=200608000260
☆角川書店 五木寛之・著の『わが人生の歌がたり』~ 昭和の追憶~ ☆

このシリーズの三冊が並んでいた。


私は最初の第一集の【『わが人生の歌がたり』~昭和の哀歓~ 】に関しては、
二週間前に古本屋で偶然に目が止まり、購読した後、数日で読み終えた・・。

この本のシリーズの概要は、本の帯に解説されている通り、
《五木寛之の歌語り、NHKの「ラジオ深夜便」で話題のトークが本になりました!》
と明記されているが、
私はNHKの「ラジオ深夜便」を聴いたことがなく、無知であった。

読みはじめて感じたことは、作者の人生の歩みと共に、
その当時の流行(はや)った歌への思いを語る、と判ったが、
私がラジオから聴いて感じた思いと作者の思いの落差を感じ、微苦笑を重ねたり、
教示されることが多かったのである・・。

もとより作者は1932(昭和7)9月生まれのお方であり、
私は1944(昭和19)9月生まれであるので、世代も遥かに上のお方の上、
たとえ幼年期さえまったく環境の違う身であるので、
この歌はそのように思われたのでしたか、とページをめくりながら、
その時代の空気を学んだりしたのである。


本屋で未読の第二巻『~昭和の青春~』、最終巻の『~昭和の追憶~』の二冊を購入し、
雨降る中を帰宅したのである。


私は著作者の五木寛之氏に関しては、
少し複雑なこだわりのような気持ちが10数年前の頃まであったことを、
恥ずかしながら告白する。

東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年、
私は映画に熱愛して大学を中退し、映画青年の真似事した後、
文学青年の真似事した時期があった。

この当時の私の読み物は、小説の単行本はもとより、
月刊雑誌として、純文学の『文学界』、『新潮』、『群像』を読んだり、
中間小説としては『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読していた。

この中の『小説現代』に於いて、1966(昭和41)年の当時、
新人応募コンクールの『小説現代・新人賞』があり、五木寛之氏の『さらばモスクワ愚連隊』が選定された。

私は何より斬新な新しい時代の発想力、そして確かな筆力で、
読者を読まさせる力の秘めたお方、と瞬時に感じながら、圧倒される思いで、
ため息を重ねながら精読したのである、
新人賞の選考委員のひとりの中間小説の大家で柴田錬三郎氏は、
辛口の選評をされる方であるが、この『さらばモスクワ愚連隊』の作品を絶賛した言葉を重ねていたのである。

その後、五木寛之氏は、『蒼ざめた馬を見よ』を発表されて、
1967(昭和41)年に直木賞を受賞され、
まぎれなく中間小説界に新しい旋風をまきおこしたことは周知の通りである。

この当時の私は、純文学の新人募集に投稿をしていたが、最終選考に残れず、落胆していた時代である。

その後、五木寛之氏は、確か『新潮』だったと思われるが、
『黄金時代』という題名であったと記憶しているが、大学時代のご自身のことを綴られた内容であった、
とおぼろげながら記憶している。


私はアルバイトをしながら文学青年の真似事をし、明日の見えない状況に苦悶し、
結果として、30代になった頃に妻子を養なって家庭生活を思い浮かべると、
とても過ごす自信もなく、あえなく挫折した。

やむえず人生軌道を修正し、この当時も民間会社は新卒が最優先の時代であったので、
何とか大企業に中途入社する為に、
ひとつの手段としてコンピュータの専門学校に入学したのは、
1969(昭和44)年の24歳の時であった。

そして一年ばかりソフト学科を学び、
ある大手の音響・映像の会社に、知人の尽力も得て、何とか中途入社できたのは、
1970(昭和45)年の4月であった。

その後、この会社の一部がレコード会社として独立し、
私は転属させられて、その後35年ばかり勤めて、定年退職をした。


この間、本屋に寄ったりし、遥か雲の上のような存在となった五木寛之氏の作品は、
ときおりためらいながら買い求めてきたが、
私が熱愛している作家の作品のように漏れなく時系列で読むことはなかったのである。

遠い存在・・眩(まぶ)しいようなお方・・この人の前では敗残者のような思い・・
このようなわだかまりのあり、素直に受け止めるできなかった50歳の前後まで、
私にはあったのである。


このような少しばかり複雑な思いを五木寛之氏の作品に感じていたのであるが、
昨今のここ10年数年は、こだわりも霧のように立ち消え、
読みながら多々教示を受けたりしている。




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