夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

されど、蒲鉾(カマボコ)の板は・・♪

2007-12-10 12:22:00 | 定年後の思い
先程まで、家内が留守であるので、台所で皿洗いなどをしていた。

この時、昨夜は蒲鉾を頂いたが、この板が2枚残った。
木目がすっきりとして、もったいない、と思いながらよく洗ったりしていた・・。

亡くなわれた敬愛できる小説家の方に対して、
女性の編集者の方が引越しされたが玄関脇に表札がないので、
恐る恐る小説家の方にお願いしたという、秘かなエピソードがある。

この小説家は達筆な筆遣いで認めた、と死去された後、女性の編集者が綴られていた。

私は幼年期の小学生の時は、いじけた屈折した可愛げのない男の子で、
習字を初めとする授業は、さぼれればこれに越したことはない、
という劣等生であったので、
字は下手で、いつも冠婚葬祭などで署名する時は困っているのである。

やむえず、この蒲鉾の板を活用するには、
厚い高級紙にパソコンのソフトのひとつであるワードで、
打ち込みながら綴る他はないと思ったりしている。

そして印刷された用紙の台として、蒲鉾の板で丁重に作成すれば、
格調高い表札のひとつとなると思いついたりしている。


例えば、トイレの前のドアの表札として、

【 ただいま、会長に面談中 】

として、裏側は真っ白な空白に、
すればと思ったりしている。

我が家では、私がトイレを使用する際、長い方に関しては、
家内に、会長に会ってくる、という隠語になっている。
具体的に表現すれば、便の快調に願いを込めて、飛躍させ使っているのである。

旅先の宿泊先でも、同じように使って云ったりして、
かれこれ30年使用しているのである。

このトイレのドアの表札を家内が不採用とした場合は、
私は別の利用方法を考えたりしている。


私の夕食の直前から晩酌をするので、
ぐい呑みの置き台として使用すれば、
焼き物と木目の板はそれなりに調和でき、格調がある、
と微笑んでいる。


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今年も、あと三週間ばかりとなり・・♪

2007-12-10 09:19:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、初冬の陽射しに恵まれ、
風なく、穏やかな朝を迎えている。

私は主庭に下り立ち、昨夜の風で、
朱紅色のモミジのたわわな葉が散りはじめたのを知った・・。

この1週間、白梅の淡い黄色、花梨(カリン)の樹木も昨日から散りはじめ、
樹木の周辺に落葉の彩(いろど)りとなっている。

先程、居間で見たカレンダーで、
今年も残すところ三週間ばかりとなったことを知った・・。

私は年金生活の4年生の身であるが、
昨今はともすれば曜日の感覚が薄れたりしている。


現役のこの時節であった時は、
サラリーマンの中小業に勤めていたので、
日曜日を除いて、朝は4時半過ぎに起床し、帰宅が10時過ぎが多く、業務に追われていた。
歳末の仕事納めの日まで、あと何日と心に言いきかせ、奮闘していた時期であった。
今年のカレンダーで表現すれば、
あと三週間頑張れば、ということである。

日曜日は平日通りに起きて、午前中に庭の手入れをして、
昼過ぎに酒を呑みながら、注文した寿司をつまみながら食べたりしたのが、
定年前の10年の実態であった。

家内は大掃除を少しづつ進めながら、
年末・年始の料理の献立を思案、素材の購入しはじめる時期も加わっていたので、
家内なりに平常月より何かと多忙であった。

私は昼食後、寝室の布団で本を少し読んだ後、昼寝をした。

そして夕暮れ4時前後に目覚め、
1週間が終わった、と心身実感していたのである。

このような繰り返しをしながら、歳末を迎えていた。


私は庭の淡い黄色、朱紅色の落ち葉をいつ掃き清めるか、
と考えあぐねている・・。

落ち葉の彩(いろど)りを享受するのもよいが、
風が強く吹くと、庭の外れに吹き寄せとなったりし、困るのである。

かといって、落ち葉を掃き清め、黒土となった地表も少し淋しいのである。

現役の時代であったならば、
疲れ切った身体で日曜日の午前中に、待ったなしで掃き清めていた、
と微苦笑している。

このような思いで、私は庭に佇(たたず)んで、
白梅の残り少なくなった淡い黄色、
朱紅色に染まったモミジを眺めたり、
朝の陽射しを受けている庭を見つめたりしている。

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