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ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

囲碁名人戦 張名人3勝目

2008-10-17 09:17:28 | 囲碁
囲碁の名人戦第5局で張名人が井山挑戦者に半目勝ちで3勝目を飾った。これで、名人の3勝2敗である。

先週の第4局では序盤で名人がリードし、中盤で挑戦者が盛り返してこれからというところで読み違いが出て再び名人がリードした。更にそれを盛り返そうと挑戦者が多少無理をしたところを名人が鮮やかに切り返して勝負を決め、対戦成績を2勝2敗とした。

この第5局は1日目で挑戦者の石が取られそうな大変な戦いになりどうなる事かとかたずをのんで見ていたが、2日目の午前中に名人が優勢と判断して兵を引いて穏やかな別れになった。

しかし、挑戦者は大きな黒地を食い破る手を狙っていてそれを前提に周辺を固く打っていた。 その挑戦者の狙いが炸裂して、名人の黒字が破られたところで私は外出したのだが、今朝の新聞を見ると名人の半目勝ちになっている。手順を追ってみると名人が被害を最小限にとどめ、それまで挑戦者が固く打っていたこともあってその破られた部分の決着がついた時点ではやや名人優勢とのことである。

つまり挑戦者はもっと大きく得をする破り方をしないといけなかったのだろう。私の眼には鮮やかな手筋を放って黒地を破ったように見えたが、確実に破るために犠打を放ったのが破ってもうまく修復されると優勢にならなかった理由だろう。

それでも半目勝負であり、名人同士の緊迫した戦いを堪能することができた。 これで名人の3勝2敗、これまでの流れをみると名人が優勢になって挑戦者が盛り返す、というパタンが多く、わずかに名人優勢という感じがするが、素人目には名人優勢と見えても挑戦者は狙っている部分があり、そこを確実に突いていくので、まだ勝負の行方は分からない気がする。 大熱戦の名人戦で楽しませてもらっている

囲碁名人戦第3局 張名人一勝を返す

2008-10-02 18:34:41 | 囲碁
先週の話であるが囲碁の名人戦第3局で張名人が井山挑戦者に勝ち対戦成績を一勝二敗とした。

一日目は互角だったと思うが2日目の午前中で白石の一部が取られて井山挑戦者が不利になった。戦いの途中で読み違いに気がついて方針を変更したのだがその時には既に不利な結果しか得られない状況になっていたようである。

しかし、不利になってから簡単に土俵を割らないのが井山氏の強さである。次から次へと戦いを仕掛けたが名人に正確に受けられて届かなかったという印象である。

以前、名人の碁は負けた碁のほうが面白い、と書いた。不利になると逆転しようとして色々と仕掛けるからである。この二人はどちらも不利になっても簡単に土俵を割ることはせずに色々な勝負手を繰り出す。見ていて迫力がある。

今後の二人の戦いぶりが楽しみである

囲碁名人戦 井山挑戦者2連勝

2008-09-18 20:25:12 | 囲碁
囲碁の名人戦の第2局があり、挑戦者の井山八段が2連勝した。

対局場所は比叡山の延暦寺で、立ち合いが坂口隆三九段である。坂口九段には私も学生時代に教わったことがあり、場所も京都ということで特に親しみを感じた。比叡山で対局するなどは珍しいが引き締まった感じがしてよい対局場だと思う。

第1局目と同じように、1日目は私の眼には張名人がうまく攻めさせている印象があって、挑戦者が苦しいのではないかと思っていた。しかし、2日目の前半で挑戦者が妥協せずに白を殺しに行くような迫力で攻めた効果が上がって、名人の石が生きる途中で大きな黒字ができてはっきり挑戦者が有利になった。まったく19歳とは思えない戦いぶりで、兵を引くタイミングも心得ている。

それほど戦いの場所も残っておらずすんなり終わるかと思われたが、不利になってからの張名人の追い込みもすごい迫力で、手になりそうにない所に手をつけていって結果としてわずかに得をするという手法で追い込み、最後は挑戦者が半目差で逃げ切った。(囲碁は引き分けを防ぐために黒が6目半勝たないといけないというルールになっており、黒の挑戦者が7目勝った)。

なかなかの名局であったと思う。7番勝負で2連勝したのだから挑戦者が多いに有利であるが、囲碁のタイトル戦では3連敗4連勝という逆転劇も結構あり、碁の内容を見ても拮抗しているのでまだどちらが勝つかはわからないと思う

囲碁名人戦 挑戦者が一勝

2008-09-06 10:06:39 | 囲碁
囲碁の名人戦が始まり、挑戦者の19歳の井山八段が先勝した。

19歳で初めての大舞台で硬くなるかと思ったが堂々のうちぶりだった。前にも書いたが勝てば史上初の十代の名人である。高校にも進学せずにひたすら囲碁の世界に打ち込んだ結果が大きく結実したといえるだろう。

1日目の棋譜を見た時には、名人に打ち回されている印象を持ったのだが、いつの間にか優勢になっていて後半は手堅く逃げ切った感じだった。右辺の折衝で白が成功したのだろうが明らかに成功というほどでもなく、振り返ってみると、私の見方がおかしく一日目から白が悪くなかったのかもしれない。

細かい折衝でどこで勝負がついたのかわからないようなところで徐々に差がついて気がつくと取り戻せなくなっている、将棋の羽生ー森内の名人戦のようでプロの高みを感じる。先日の、羽根ー高尾の本因坊戦より一段高いところで戦っている感じがする。

先日も書いたが、日本の名人といっても、韓国・中国には歯が立たない状況である。この二人は世界トップの一角に食い込めそうな感じがするのでぜひその高みを目指してほしいものだと思う。

日本の新聞などはもっと世界戦を紹介してもよいのではないだろうか。朝日・毎日・読売で名人・本因坊・棋聖の3大棋戦を分け合っているので、日経か産経あたりが積極的に世界戦を扱ってくれることを望みたい。特に日経は読者数も多く、朝刊に囲碁将棋欄がないので、業界の目を世界に開かせる意味で、日経の朝刊で世界戦を扱ってくれると、一つの業界の眼が世界に開かれることになると思う

羽根本因坊誕生

2008-07-24 09:05:04 | 囲碁
囲碁の本因坊戦で挑戦者の羽根九段が3連敗のあとの4連勝で高尾本因坊を下し新本因坊となった。私の期待とは異なる結果だが素直におめでとうと言いたい。

第7局は挑戦者の完勝だった。序盤からリードしそのまま押し切った。第1局から第3局とちょうど逆の経過である。違いは、高尾本因坊は優勢になると固い手を打って相手が無理してきたところをとっちめるのに対して、羽根挑戦者の場合は優勢でもゆるまずに戦いをしかけ、戦いの中で相手が無理をせざるを得ない形に持ち込んだ、というところである。

私にとって不満なのは二人とも不利な時に局面を複雑化する能力に不足を感じる点である。特に高尾本因坊は第1局から第3局までが自然に有利な形に持ち込めたので、第4局から第6局では優勢ではないのに固い手を打って、その数十手後には「このままでは負け」という局面になり、無理気味に仕掛けて咎められた、という印象である。このように判断がずれているときはスランプに陥ることが多い。今年後半は高尾元本因坊は苦しい戦いを強いられるのではないかという感じがする。

囲碁の場合、ある程度強くなるとその局面での相場の手、というのが見えてくる。その手を打っていれば有利にもならないが不利にもならない。リスクもあまりない、という手である。その相場観の精度が強さによって異なり、私くらいのレベルだと2-3目の損得は相場の範囲内なのだが、プロになると一目でも感覚的に有利‐不利を感じるようである。

相手が自分より弱いときは相場の手を打っていれば自然に有利になり、不利になった相手が無理をしてきたところを咎めればよい。相手が自分より強いときにはその逆である。囲碁の楽しさはやはり相手が同レベルの時である。相場の手を打っていると差がつかない。どこかで少し得をしようとして仕掛けると相手が敏感に反応してくる。仕掛けるときには相手の強さは認識しているのでこちらもある程度裏付けのある仕掛けをするのだが、やはり仕掛けると相手が自分の想定とは異なった反応をしてきて複雑な戦いになる。このあたりの駆け引きが面白く囲碁の醍醐味である。

現在世界では韓国がトップである。韓国のプロ棋士は日本で相場と思われていた局面を徹底的に研究し、「この局面はこの手があるので不利」とかいう結論を出していった。将棋の定跡の研究のようである。その結果は日本の棋士も勉強して知っているのだが、自分で検討して結論を出した人はやはり強く、その研究過程で、形に対する新しい相場観が形成され、それが韓国棋士の強さの一つになっている気がする

本因坊戦3勝3敗

2008-07-21 08:33:47 | 囲碁
高尾本因坊に羽根九段が挑戦している本因坊戦が3勝3敗のタイになった。高尾本因坊が3連勝した時に「実力の差があるようである」と書いた私としては不明を恥じて羽根九段に謝らなくてはならないところである。

しかし、内容をみると、どうも物足りない。先日、「名人は不利になった碁が面白い」と書いたがどうもそのような巻き返す迫力がどちらにも感じられず、かといって勝敗不明のままぎりぎりの読み比べを続けて最後にどちらかが抜け出す、といった森内-羽生の将棋の名人戦に感じたような迫力も感じられない。どちらかが中盤ではっきりと優勢を築いてしまいそのまま押し切ってしまう。トッププロ同士の戦いである、先を読んで不利になると思えば不利になるほうが避けるはずである。それでも差がついてしまうのは、気付かないような妙手が隠れていた場合のはずだが、そうでも無く差がついてしまう印象である。どうもあっさりしていて物足りないのである。

最終戦、どちらが勝つかわからないが、私としては高尾本因坊に防衛してもらいたいと思う。特に個人的な好みではなく、この「レベルで本因坊になれる」という安心感を持ってほしくないのである。

ところで、本因坊とは江戸時代の囲碁の家元である。本因坊家の跡取りが歴代の名人を輩出してきたのが昭和になってタイトル化したものである。もともとは世襲制だったが、囲碁のような実力の世界で、同じ一族からそうそう才能のある棋士が出るものではない。江戸時代には家元が四家あって互いに覇を競っていたのだが、自分の家を強くするために全国を回って強そうな子供を養子にしていた。この養子縁組と英才教育、というのは囲碁に限らずあらゆる分野で才能あるトップを選び出す上で結構有力な仕組みであるような気がしている

19歳の名人戦挑戦者

2008-07-12 07:48:23 | 囲碁
囲碁で19歳の井山裕太七段が名人戦の挑戦者となった。

史上最年少だそうである。彼は関西在住で、関西の棋士が名人戦挑戦者になるのも初めてだそうである。将棋では谷川九段などが関西在住で、関西のレベルが関東と拮抗しているが、囲碁では関東、関西でかなり差が付いている。研究仲間も乏しい環境では強くなれないと東京方面に出てくる人が多い中で、関西在住のままで名人戦挑戦者になったのは快挙である。中学1年でプロになり高校には進学しておらず囲碁一筋できている。

囲碁は江戸時代に技術が格段に進歩し、それ以降続いてきているが、歴代の名人の碁を並べて感じることは、名人が負けた碁、あるいは負けそうになった碁のほうが面白い、ということである。名人なら通常はその時代の第1人者である。当然勝つことが多く、優勢なときには簡単に勝ってしまう。しかし、序盤で失敗して不利になったようなときにはものすごい迫力で追いかけてくる。それで逆転してしまう場合もあるし、優勢なほうが何とか逃げ切る場合もある。そのような碁のほうが迫力があって面白いと思うのである。

特に江戸時代の本因坊秀策にこのような強さを感じる。昔の碁はコミがなかったので黒番が有利だった。秀策は若くして病没したので白を持つことがあまりなかったのだが、のちの第1人者では白番の碁が面白い。特に呉清源の白番が印象的である。

この種の力強さを井山七段に感じる。先日私は日本の囲碁界は韓国、中国に勝てないのに弱いことに気付かない「ゆでガエル」だと悪口を書いたが、この井山君ならその差を乗り越える可能性があるように感じている。日本のトップで満足しないで世界のトップを目指してほしいし、周りもそのような環境づくりを心掛けてほしいものだと思う

日本のプロ囲碁界の現状

2008-06-23 09:08:24 | 囲碁
以前にも書いたが、私の趣味は囲碁である。
しかし、最近は将棋の方が囲碁より見る分には面白く感じている。囲碁の名人と将棋の名人では人格的にも将棋の方が上ではないかと感じてしまう。

これは、日本の囲碁のプロ棋士が現状に甘えて、努力を怠り、「ゆでガエル」状態になっているからではないかと思う。現在世界では、韓国が強く、続いて中国、それから日本、という順番である。1980年頃までは世界では日本がトップで韓国や中国はやっとプロ棋士が生活できるようになったという状態だったが、21世紀に入ってからはほとんど勝てない。しかし、それを何としても挽回しようという気迫を感じず、国内の大会で勝てれば良い、というレベルに甘んじているように思う。

日本の囲碁界が中国に追い抜かれたのは15年ほど前である。その頃は日中対抗戦をやっていて初めて日本が中国に負けたのである。中国側は今回勝てたのは運が良かったからで、まだまだ日本の方が実力は上だと言っていたし、日本側もそう思っていた。しかし、それからは毎年中国が勝つという結果が続いた。当時は確かに知識データーベースは日本の方が上だったのだが、思考力は中国が上になっており、中国がデータベースを蓄積するにつれて日本はどんどん勝てなくなってきたのだと思っている。

今の日本のトップ棋士は世界一になりたいと思わないのか?

囲碁はそのゲームの性質上戦略的思考に重みがあり、会社の経営者などで趣味とする人が結構多い。それでスポンサーがつきやすく、レッスンプロも生活しやすい。この日本での暮らしやすい状態が、現在の日本碁界の「ゆでガエル」状態を作っていると私は感じている。しかし、今の日本のトップ棋士には中国、台湾、韓国から来ている人たちが少なくない。しかし、日本のレベルが地盤沈下を起こせばこういう人たちも少なくなってくるだろう。いずれは日本人で強く足りたいと思う人は韓国に留学する、というような時代が来るかもしれない。日本棋院はこの事態をもっと深刻に考えるべきであると思う。

学問の世界にも(大学)似たようなことが起こっていると感じている。私の知っている分野は電気通信の分野であるが20年ほど前は中国の大学には頭のよさそうな人はいるがテーマの見つけ方がうまくなく、まだまだポイントを外した研究が多いと感じていた。そのため、バックグラウンドの知識も浅いと感じていた。しかし、 しかし最近は急速に追いついてきていると感じる。

15年前に初めて日本が中国に囲碁で負けたようなレベルまで来ているのではないかと感じる。今後、日本の企業が日本の大学には委託研究を出さずに、みな中国の方を向くようななるのではないかと危惧している

囲碁・将棋と日本文化

2008-05-24 11:18:46 | 囲碁
私は囲碁だけでなく将棋、麻雀、トランプ、人生ゲーム、モノポリーなどゲームの類はみな好きである。その中でも囲碁と将棋が運の要素が少なくて好きである。

囲碁も将棋も戦争のシミュレーションゲームであり、囲碁はアジア地域で広まっており、将棋は日本だけであるがチェスなどの類似のゲームが世界各地で広がっている。いずれも中国を経て輸入されたものと思うがルールに対して日本独自の改良が施されている。 それは捕虜を殺さず生かして味方につける、という発想である。この発想は日本以外ではほとんど見られない。

将棋は取った駒を自由な場所に打ち込める、というルールのおかげでゲームの複雑さが格段に増し、趣を深めている。囲碁は取った石をお皿に入れておいて最後に相手の土地を埋めるのに使う。つまりとった石の分だけ相手の土地が狭くなる、というルールになっている。中国ではとった石は死んだものとみなしてその場で相手に返してしまう。このように違ったコンセプトでありながら日本ルールと中国ルールでの勝敗はほぼ一致しているので、日本のプロ棋士と中国のプロ棋士が対戦して日本でやるときは日本ルール、中国でやるときは中国ルールというようなことが可能になる。

捕虜を生かしておいて味方につけるということは、言い換えると捕虜になるとすぐに裏切る、というのが日本の常識であったということだろう。武士道、ハラキリなどのように命をかけてまでも主君に尽くすのが日本の特徴のように言われているが、私はこれは江戸時代以降のことであって、戦国時代までは裏切るのが常識であったのではないか、という印象を持っている。徳川幕府が下克上の風潮をなくすために教育をしたり忠臣蔵のような話を盛り上げたりして主君に命をささげるのを美談として祭り上げたのではないかと思う。

主君を変えるということは自分の力でのし上がっていかなくてはならないということである。江戸時代以前の日本人はそういう活力も十分に持ち合わせていたのではないかと思う。終身雇用が崩れて中途採用が増えても日本人は十分対応していけると思っている

趣味 囲碁

2008-05-23 07:14:28 | 囲碁

私は「趣味は何ですか」と聞かれると「囲碁」と答えることにしている。
これは私は大学の囲碁部で1部リーグのレギュラーであり、社会人になっても各種大会に出場して実績を持っているからである。

しかし、最近では囲碁に余暇の時間を費やすことはあまり多くなく、余暇の時間をどう使っているかで趣味を計るならば「歩くこと」といえるかもしれない。徒歩通勤を別としても、休日に2時間ほど歩きまわることは珍しくない。
囲碁に関してはテレビを見るのと新聞を読むこと、寝る前に本を読むことくらいである。それでも趣味という言葉から連想されるのはやはり囲碁である。

私はいつ囲碁を覚えたか記憶にない。室蘭にいたころで3-4歳ではないかと思っている。父が囲碁が好きで囲碁の本をいろいろ持っていたのだが、私が囲碁の本を選んで落書きをするので囲碁に興味を持っていると思って教えたそうである。

プロ棋士でも小学校1年のときに覚えたとかいう人が多いのでこの点ではトッププロ並みである。子供のころに近所のオジサンと打ったりしたのだが、それほど才能がなかったので「ある程度強い」というレベルで止まってしまった。大学に入るまでは父以外の人とはほとんど打ったことはなく、本も読んでいなかった。

それでもアマチュアの初段くらいはいっていたと思う。大学で囲碁部に入り、毎日実戦をやり、数年分の雑誌を読み、詰め碁や手筋の本を読んで1年で5-6段になった。このとき面白いと思うのは自分では知識は増えたが読みの力はほとんど変わっていないと感じている点である。

囲碁での読みは頭の中で「ああいく、こうくる、・・・」と何手か先までを想定するのだが、当然のように先の方になるとイメージがぼやけてくる。実際に並べてみると優勢ではないのに優勢に思えたり、相手のうまい手があるのに気がつかなかったりする。このイメージ力が読みの基本だと思っており、この能力は大学入学以降ほとんど変わっていないと感じる。プロ棋士は子供のころに修行しないと一定レベルより上に行けない、という理由はこれであると思う。それでも周りの人から見ると読みが深まったように見えるし、実際にそれまで読めなかったような手が読めるようになっている。これは頭の中に知識が蓄積され、形を見ただけで「何かありそうだ」という勘が働くようになっているからである。この「勘」は「読み」と同じくらい重要な要素であり、こちらは年齢に関係なく強化できる。

囲碁には多くの諺があるが「着眼大局、着手小局」という言葉が私の最も好きな言葉である。囲碁に限らず、戦略的思考の本質を表していると思っている。