備忘録として

タイトルのまま

ホワイトホース

2015-02-22 22:27:26 | 

カナダのホワイトホースは、バンクーバーから飛行機で北に2時間半ほど直線距離で1500㎞弱、アラスカ国境まで200㎞、、ユーコン川のほとりの小さな街である。シンガポールの中国正月休暇を利用してオーロラ観光に行ったのだが残念ながら予定の2晩でオーロラは観られなかった。空港は雪に覆われ、空港に到着した現地時間2月12日午後3時ころの気温は0℃を少し下回っていた。空港からホテルに向かう出迎えのシャトルの運転手は、このところ温かいので「Swimming trunksを持ってきたかい」とジョークを飛ばした。例年2月の日中の平均気温は零下ー10℃ほどらしいから、0℃は相当温かいということだ。こっちは30℃強の赤道直下シンガポールから来ているので気温差は30℃以上である。ホワイトホースは北緯60度43分でこれが自分の最北到達地点記録になる。白夜の北極圏は66度33分からなので、真北に向かってまだ650㎞ほど行かなければならない。 バンクーバーは北緯49度である。自分の最南到達地点は南緯37度50分のオーストラリアのメルボルンで、1985年4月に妻が3歳直前の長女の手を引き、1歳直前の二女は私が背負って行った。スーツケースの中は紙おむつと粉ミルクで占拠された。

オーロラツアーでは送迎バスが夜10時前にホテルに迎えに来て、そこから約30分の森に囲まれた原野に連れていかれた。そこには小さなキャビン(上の写真)があり、温かい飲み物やスナックが用意されていた。零下ー10℃の戸外でカメラを三脚にセットし北空を眺めながら、夜中の1時半ごろまでオーロラが出るのをじっと待った。その日、ネット情報のオーロラ強度指数は最小の0から最大9の10段階で中位の3だったのでそこそこ期待していたが、一晩目は雲に閉ざされ、二晩目は晴れたがオーロラは現れなかった。それでも、都会暮らしが長いため忘れかけていた満天の星空を観ることができた。緯度が高く、ほぼ真上にくる北極星、北斗七星とカシオペア座を、小学校で習った北極星の見つけ方を思い出しながら眺めた。

日中はホワイトホースのダウンタウンを散策した。上の写真は、ホテル、レストラン、カフェ、様々なショップや銀行や役所が並んでいる小さな小さなメインストリートである。酒場や銀行やホテルや雑貨屋が一列に並んでいる西部劇に出てくる小さな西部のメインストリートを思い出した。馬が車に変わっただけだ。メインストリートに犬を連れシャベルを持った金鉱堀りの像が建つように、ホワイトホースは19世紀のゴールドラッシュのころに交易の中継地として発展した。現在の町の人口は2万人余りである。実際に金鉱があったのはホワイトホースよりさらに北に行ったアラスカとの国境に近いドーソンという街である。

街角で地図を広げていると通りかかったOld Ladyに、「May I Help you?」と声を掛けられた。昼ご飯を食べるレストランを捜していると答えたところ、それなら目の前の通りを渡ったところにある”Gold Rush"が「The Best Restaurant in this town」だと薦めるので行ってみた。妻はベーコンサンドウィッチにピクルスのスープを私はBeef Dipとサラダを注文した。ピクルスのスープ以外は美味しくボリュームたっぷりでお腹がいっぱいになった。 

昼食後、粉雪が舞う中、町はずれまで10分ほど歩きユーコン河畔を散策した。川は凍っているかと思ったがゆっくりと流れていた。時折、流れの中を氷が浮き沈みするのが見えた。ユーコン川は北西に流れアラスカを横断し、ベーリング海峡にそそぐ大河で、星野道夫のエッセイによく出てくる。

旅の拠点としたバンクーバーは桜が満開だった。不思議なことに日本とは逆にもくれんがまだつぼみだった。オーロラは残念だったが、バンクーバーには来年も娘家族がいるので、孫に会うついでの再挑戦ということにする。


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