備忘録として

タイトルのまま

マレーシアの墓地

2015-07-20 15:57:54 | 東南アジア

先々週のマラッカからの帰り道、Batu Pahatの街を過ぎたあたりで丘の斜面にたくさんの墓が並んでいるのに遭遇した。思わず車を止めて写真を撮った。左が華僑の墓地で右がマレーあるいはイスラム式のCemetery(墓地)である。華僑もイスラム教徒もここでは棺桶による土葬で、写真のような豪華な墓石で飾られている。華僑の墓地の入り口には、「萬蘭山荘墓園有限公司」”Banang Memorial Park”という看板がかかり、岡上の立派なビルがその管理事務所になっている。

下の2枚の写真のうちイスラム式の墓碑銘はアラビア語でわけがわからないが、華僑たちの墓には様々な文字が漢字で書かれていたので興味本位に見て回った。

写真の華僑墓は夫婦を合葬した墓で、名前部分を消したが、”顕”という字の右下が”考”で父の意、左が”妣”で母をあらわす。名前の右は没年欄で、父は甲申年八月廿八日に亡くなり上に写真が貼られている。母の方はまだ存命なのだろう、名前が赤字で写真の場所が”寿”とあり写真がなく没年が空欄になっている。干支カレンダーは60年でひと回り(還暦)し、最近の甲申年は1944年や2004年に相当する。奥さんはまだ存命で墓も新しく、この墓の埋葬者は2004年に亡くなったのだと考えられる。父が何歳で亡くなったかはわからないが、生前にこの墓を建てたのだと思う。なぜなら周囲には父母とも写真がなく赤字のままのお墓が数多くあったからだ。名前の上は”顕”だけでなく”祖”というのもあった。顕は、顕考=父、顕妣=母で、子供がお墓を立てたことになる。祖顕考=祖父、祖顕妣=祖母なので、名前の上に祖がある墓は孫が建てたことになる。写真の左側の”孝子二大房孫等仝立”は、おそらく”二家の孝子(親孝行な子供)の一族(大房)が孫らと一緒(仝)に立てた”という意味だと思う。親孝行を喧伝するのは儒教そのものである。

墓の上部、顔写真の両脇の文字”福建”と”普江”は中国本土の出身地なのだろう。福建省の普江市は泉州の隣の市で台湾を沖合いにみる。15世紀の鄭和は福建省の泉州(ザイトン)を出港しマラッカに立ち寄っている。東南アジアの華僑は、中国南部の福建、広東、潮州、海南の出身者が多い。

墓の台座に七福神のひとりである”福禄寿”の文字があり、これは幸福、長寿、封禄を司る道教の神様である。この墓苑を宣伝するホームページ(https://www.facebook.com/pages/Banang-Memorial-Park/652204361473289)によると、この墓園は仏式供養となっていた。ところが墓碑銘には、道教の神様だけでなく、”孝子”、”財”、”吉祥”、”富貴”などGhost Festivalでみたことのある儒教、風水、民間信仰のおめでたい言葉が並んでいるように、中国式の葬式は何でもありなのである。山水画のような絵はおそらく中国式の天国(天堂?)なのだろう。地獄の沙汰もお金次第”丁財”なのである。

墓の大半は夫婦2名連名が多かったが一人だけの寂しい墓もあった。面白いことに、真ん中が”考”で両脇に”妣”を2名従えた墓があった。しかも、両脇の”妣”はまだ存命で”考”だけが亡くなっているので後妻をもらったわけではないようだった。会社のマレーシア華僑の同僚に聞いたところ、一夫一婦制の法律に関わりなく愛妾を持つ華僑は結構いるということだった。マレーシアのイスラム教徒は妻を4人まで持つことが許されるので、ここに住む華僑も愛妾を持つことに罪悪感はないのかもしれない。

 


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