備忘録として

タイトルのまま

ソウル

2015-11-08 11:12:29 | 

USAバトンルージュから帰国してすぐソウルへ行った。ソウルは一昨年6月にウラジウォストクへの途中、トランジットで金浦空港近くのホテルに一泊し翌日すぐに仁川空港から発ったので、街には出なかった。初めてのソウルはバトンルージュと異なり感覚的に親近感を持てた。

上の写真はハングルの祖、世宗大王像、右奥の豪華な2層の建物は光化門、その左奥山麓にかすかに見える建物が大統領府である。写真の中の黄色いベストを着た人は警察官である。日中韓首脳会議が開催されていたので街には多くの警察官がいたが特に不便はなかった。大統領府が見たくて門前をタクシーで通った(下の写真)が意外にも検問をあっさり通してくれた。壁際の植え込みを地雷検知器のようなもので探査している係官を見る程度だった。

光化門は李氏朝鮮(1392~1910)の太祖李成桂が1394年に遷都して建てた王宮を守る正門である。秀吉の文禄の役(1592年)の時に焼失したことを含め何度も火災に会い、2010年に今の位置に移動復元公開されたという。写真銅像の世宗(1397-1450)は李氏朝鮮5代目でハングルを制定した。この銅像の前方に秀吉の文禄慶長の役で活躍し戦死した李舜臣の剣を手にした立像(下の写真)がある。この二人は韓国の国民的英雄だという。有名な南大門や漢江は車の中から走り観光した。

左:大統領府、右:南大門

左:李舜臣 中:南大門市場 右:初日夜の肉

ソウルでは3泊し写真のような焼肉を連日食べたが、さすがに最終日は食傷し、昼食はベトナムのフォー夕食はイタリアンとした。下の写真は左から牛肉たっぷりのプルコギ、骨付きカルビー、冷麺である。このプルコギは煮汁の豊富なすき焼きのような調理で牛肉がたっぷり入っていた。骨付きカルビーはレタスに巻いて玉ねぎスライスが入った薄味のたれで食べた。冷麺は日本でみる冷麺よりも細いが味が浸みて美味しかった。冷麺の左の小椀に入ったのは辛いチゲ、右は白いキムチである。いずれも美味であった。キムチはフォーに合うのでベトナム料理屋でも出てきたが、さすがにイタリアンにはなかった。

中:初日昼の肉 中:二日目夜の肉 右:二日目夜の冷麺

ソウルの街は銀杏の紅葉がきれいで清々しかった。嫌韓とか反日とか憎悪は何も生まない。高校時代の友人は大学に入ってから自分が在日であることを名乗った。高校時代、自分にパスポートが出ず日本人でないことがわかり何も手につかず夜あてもなく彷徨ったこともあったという。クラスも部活もいっしょで最も親しかったはずの自分は、愚かにも彼の悩みにまったく気づかなかった。彼の弟はその後ソウル留学中にスパイの嫌疑を受け刑務所に入り出所後帰国し、うつになり自殺している。庶民はいつも政治や歴史に翻弄されるだけなのだろうか。数年前40年ぶりに会った彼が元気に前向きに生きていたことが救いだった。

11月4日ソウルから東京に戻り、5日にはシンガポールに戻った。ソウルの夜は摂氏4℃と寒かったが、シンガポールでは相変わらずT-シャツ短パンで汗をかきながら、このブログを書いている。


最新の画像もっと見る