備忘録として

タイトルのまま

バトンルージュ

2015-11-01 23:38:34 | 

昨日はハロウィーンだった。23年前のハロウィーンに留学生の服部君が射殺された街がルイジアナ州のバトンルージュである。先週そのバトンルージュへ行った。家々の玄関には直径1mもあろうかという大きなかぼちゃが並べられていた。車でさっと通りすぎたので写真を撮り損なった。

下の写真は、ミシシッピー川に架かる橋から走行中に撮った。トム・ソーヤーやハックルベリー・フィンが冒険をしたミシシッピー川の川幅は思ったほどではなかった。川の狭隘部に橋を架けたのだと思う。写真中央で遠くにそびえる尖塔が州庁舎(Louisiana State Capital)で、バトンルージュはルイジアナ州の州都である。ここからミシシッピー川を120㎞ほど下ったところにあるニューオーリンズの方が有名で人口も多い。バトンルージュ23万人で、ニューオーリンズ36万人である。バトンルージュ(Baton Rouge)は「赤い杖」を意味するフランス語で、有名なムーランルージュ(Moulin Rouge)は「赤い風車」である。1699年からフランスの植民地として発展し、1803年にアメリカ合衆国がフランスより買いとった。

下の写真は10月28日(火)の明け方5時半に宿舎のテレビでみた天気予報である。赤線を引いたところがバトンルージュで、火曜日朝5時半の気温は69℉(21℃)である。右下の湖畔にある71がニューオーリンズである。画面の「DRIZZLE COULD CAUSE A FEW EARLY DRIVING」の意味がよくわからない。”霧雨が所々で早めに降るだろう”的な意味なのだろうか。バトンルージュに着いた10月25日(日)から3日間はDizzleだった。滞在最終日29日にやっと晴れた。こんなに早い時間にテレビを見ていたのは時差ボケの所為ではなく、仕事開始が6時半だったからである。この早い始業時間は自分たちだけではなく、街全体がそうで、仕事場への道路はライトをつけた車で混雑していた。そのかわり終業時間は16時ごろと早い。当方は暗いうちから仕事場に入り、暗くなってから宿舎に帰ったので、ここに載せられる街の写真は上の1枚だけである。

テレビではロイヤルズとメッツのMLBワールドシリーズを連日放映していた。アメリカンフットボールも連日放映され、人気の高さがうかがえた。バトンルージュへはダラス経由で入った。成田ダラス間は約14時間の飛行で、ダラスから南東に約600㎞のバトンルージュへは国内線でさらに2時間の飛行が必要だった。隣のテキサス州ヒューストンは西に約400㎞のところに位置する。車で5時間ほどだという。

ダラス経由の帰路、アメリカン航空はベーリング海上空を飛んだ。以前、日本軍がアリューシャン列島の何もないアッツ島やキスカ島になぜ執着したか疑問だと書いたが、これらの島はアメリカを攻める経由地だったのだ。

このブログはソウルのホテルからupした。バトンルージュから一昨日帰国し、時差ボケが残る中、夜半1時から始まったRWCニュージーランド対オーストラリアの決勝戦を観戦したのち、2時間ほど仮眠し羽田からソウルへ飛んだ。攻撃のスピードで圧倒したニュージーランドが34-17で優勝した。センターNonuの高速ステップとトライは圧巻だった。


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