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東大・赤津演習林の中には国指定史跡『小長曽陶器窯』がある。この小長曽は室町時代中期(500~600年前)の窯であり、当時から人間が森から木材を収奪し薪として使っていたことがわかる。
江戸時代中期(300年前)には収奪が雑木林の再生能力を上回って近場の山はすべてはげ山と化し、遠くから木材を運んでこなければならなくなっていたらしい。
それが、明治維新により幕府の規制が解かれるとさらに進んで、禿山は拡大の一途をたどり、ついに、愛知・滋賀・岡山の3県は『日本3大はげ山県』と称されるに至ったと言う。いずれも焼き物の産地である。
1905(明治38)年に愛知県知事が東大に禿山復旧工事に関する調査を委託し、これを受けてアメリゴ・ホフマン教授が愛知県を訪れ、瀬戸町内で世界最先端の工事を行った。これが有名なホフマン工事である。
ここから東大と愛知県のつながりが始まり、後に東大農学部附属愛知演習林が発足した。
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森林がゆっくりと変化していくのに比べて社会の変化はあまりにも急激である。しかし、その中で研究者達は戦前から今に至るまで、自然状態を保つために流域内の治山工事すら認めず、愚直なまでに同じ場所、同じ方法で測定を続けてきた。その蓄積は計り知れない意味を持つものと思われる。
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