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ナチス・ドイツと聖火リレー

2016-08-06 13:19:01 | 二次大戦ドイツ

以下文は、鐵道趣味誌・THE RAILWAY TASTE、公益財団法人・日本オリンピック委員会の資料を一部参考にしています。

リオのオリンピックが始まりました!

オリンピックは2種類あり、古代オリンピックと近代オリンピックに分かれるようです。

古代オリンピックは、古代ギリシアにおいて開催された神々にささげるための祭典です、スポーツイベントというより宗教的意味合いが強かったようです。

近代オリンピックは、1896 年第1回大会がアテネにて開催されました。以後今日まで、オリンピックは平和と国際理解のため役割を果たしていると思います。

 

オリンピックの聖火、古代オリンピックでは競技の間、聖火はゼウスの神殿祭壇にありました。オリンピック競技開始前には、招待状を携え休戦を告げる平和の使者たちが各地を走ったと言われています。

私達に関心がある、オリンピックの聖火リレーは何時から始まったか・・・
1936年のナチス・ドイツのベルリン大会からです。

ヒトラー政権下のナチス・ドイツ、1936年ベルリン大会において、故事を生かした聖火リレーがナチス・ドイツにより考案され、古代オリンピック遺跡のヘーラー神殿跡で凹面鏡に太陽光を集中させ採火しランナーに手渡し、ベルリンを目指し、松明で(たいまつ、手で持てるようにした長い棒やさおなどの突端に、松脂など燃えやすいものに浸した布切れを巻きつけたもの。)リレーされました。

アドルフ・ヒットラーの目標、夢は、間違いなく強国古代ローマの復活と言われています。

ハイルと言う時の、右腕を伸ばし30度位上げる仕草、ドイツ軍の独特のヘルメット等、全ては古代ローマを模しています。

古代ローマのオリンピックと聖火・・・ヒットラー率いるナチス・ドイツが考案した聖火リレーは強国古代ローマ復活の夢の一つであったかもしれないですね。

ギリシャ・オリンピアからベルリンまでは3000キロ・・・ナチス・ドイツの国民啓蒙・宣伝省(国家宣伝と国民指導を目的とした省)が聖火リレーの綿密な計画を立てました。ドイツ国境から首都ベルリンにかけて多くの人の手によるリレー等、演出が施されました。

出発地のオリンピアからナチス・ドイツ直轄ラジオ局が同行、聖火リレーの様子をドイツ国内に伝えています。多くの国民は聖火リレー放送を、国民ラジオVE-301型で聞き大変熱狂したそうです。
最終地、ベルリン市内では、2万5000人のヒトラーユーゲント(ナチス党内の青少年組織、10歳~18歳の青少年)、4万人の突撃隊員(ナチスの準軍事組織員)、国民の多くが盛大に聖火を出迎えました。

世界初の聖火リレーを取り入れたオリンピック、ナチス・ドイツの国威発揚の場となり、ドイツ国民もオリンピック成功で自信を持ったと言われ、ベルリン大会は大成功でした。

ナチス・ドイツが考案した聖火リレーは、以後世界の人々の心を掴み、オリンピックに欠かせない催しとなり現代に至ってると思います。

 

1964年の東京大会、開会式(10月10日)の約2ヵ月前にの8月21日に、採火式がギリシャのオリンピア・ヘーラー神殿跡で行なわれました。

海外聖火リレーの空輸総距離は1万5,508km、地上リレー総距離は732km(リレー総区間は870区間)、参加リレー走者は870人です。

翌日、アテネに到着した聖火は、日本航空の聖火空輸特別機シティ・オブ・トウキョウ号(コンベア880M型ジェット)に積まれ、アジア各地を経由しながら東京を目指すこととなります。

 

ギリシャから日本までは、イスタンブール(トルコ)→ ベイルート(レバノン)→ テヘラン(イラン)→ ラホール(パキスタン)→ ニューデリー(インド)→ ラングーン(ビルマ)→ バンコク(タイ)→ クアラルンプール(マレーシア)→ マニラ(フィリピン)→ ホンコン(ホンコン)→ 台北(チャイニーズ・タイペイ)と、11の中継地を経て、9月7日に沖縄(日本返還前)に到着しました。

当時沖縄はアメリカの統治下で海外での聖火のスタートになります。沖縄で聖火リレーは約3日の予定で沖縄本島を1周します。
琉球高等弁務官の米国陸軍ワトソン中将は、全琉球において日の丸の自由掲揚を祝賀行事として黙認しました。那覇市の奥武山陸上競技場では初めて国旗掲揚時に、日の丸、そして星条旗の順で掲揚、奥武山陸上競技場に日の丸が掲揚されたのは戦後19年で初めてのことでした。

台風の遅れていたので急遽聖火は予定通り9日に出発、聖火は沖縄で分けて全琉をまわって後で聖火を合流する計画に変更です。

沖縄から本土へは、YS-11試作機2号機を、日本航空機製造㈱からレンタルして全日空が運航しています。機体には、聖火輸送特別機と五輪マークを大書しています。
9月9日午前6時58分に那覇空港を離陸本土へ向かいます。アメリカ施政下の琉球列島を離れ奄美大島からは日本領空、ここから航空自衛隊のF-86戦闘機4機がYS-11と随伴したと言われています。

聖火特別輸送機は鹿児島空、宮崎空港、途中給油に名古屋空港に寄り、そして千歳空港と1機で日本を横断しています。聖火輸送を記念して、全日空のYS-11は愛称をオリンピアと呼ばれています。

国内の聖火リレーは4コースに分かれ、最終地東京を目指しました。

第1コース 9月9日(水)~10月9日(金)
鹿児島 → 熊本 → 長崎 → 佐賀 → 福岡 → 山口 → 広島 → 島根 → 鳥取 → 兵庫 → 京都 → 福井 → 石川 → 富山 → 新潟 → 長野 → 山梨 → 神奈川 → 東京

第2コース 9月9日(水)~10月8日(木)
宮崎 → 大分 → 愛媛 → 高知 → 徳島 → 香川 → 岡山 → 兵庫 → 大阪 → 和歌山 → 奈良 → 京都 → 滋賀 → 三重 → 岐阜 → 愛知 → 静岡 → 神奈川 → 東京

第3コース 9月9日(水)~10月7日(水)
北海道 → 青森 → 秋田 → 山形 → 新潟 → 群馬 → 埼玉 → 東京

第4コース 9月9日(水)~10月7日(水)
北海道 → 青森 → 岩手 → 宮城 → 福島 → 栃木 → 茨城 → 千葉 → 東京

4コースの空輸総距離は2,692km、地上リレー総距離6,755km(リレー総区間4,374区間)、参加リレー走者は10万713名と記録されているそうです。リレー参加者は記念の東京オリンピック・ランニングシャツを全員貰ったそうです。

 

10月7日~9日にかけて東京都庁に集められた各コースの聖火は、9日に皇居前に設置された聖火台において集火式が行なわれた後、10日午後2時35分から、皇居前から国立競技場までの6.5kmの最終聖火リレーが行なわれました。男子5名、女子2名によってリレーされた聖火は最終聖火ランナーの坂井義則氏の手に託され競技場の聖火に点火されました。

 

有色人種が初めて開催したと言われる東京オリンピック、当時の世界の人々は有色人種がオリンピックを開催することは無理であろうと考えていましたが、見事大成功を収め、この東京大会により日本人が、戦後初めて自信を取り戻したとも言われていますし、日本人のみ成らず、世界の有色人種が自信を持ったとも言われています。

始まった、リオのオリンピック、日本人の活躍が楽しみですね。

 

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