極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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世界に誇る日本の道徳規範

2014-09-25 12:43:33 | 道徳等
 昨今の日本の諸悪等の根源等は何であろうか、、、どうも道徳心等欠如によるところが大きく、特に道徳教育等を正しく受けて無い戦後世代の我々等は、単に利権、既得権、自己中心等になり、本来の日本人(義、惻隠の心、誠実等)からはかけ離れていると思います。

 是非、今後道徳、修身教育等を小学生位から実施したらどうでしょうか、、、賛否両論はあると思いますが。(戦中行き過ぎた面を指摘される方がいますが、その部分等は一部是正等すれば事足りると思います。)
 毎日のテレビ、新聞等の報道は、痛ましい殺人事件、法律違反等々の重大な不正行為等の話題ばかりです。昭和二十年の敗戦までは、江戸時代から諸外国では日本は犯罪が少なくて安全で、日本人は礼儀正しい、誠実、惻隠の心等を持った国民であると世界中の人達から評価されていたようです。
 
 今では、小学生でも防犯ベル持参で登校するという国に成り下がってしまいました。
潜在的な加害者は、日本の社会に無数に存在すると思います、マッカーサー(GHQ)に占領されて以来の倫理道徳不在の学校教育・社会教育等のツケが回って来たと思います。
 
 倫理道徳復活の方策は、教育勅語が特に参考になると思います。現在の公衆道徳の退廃と同様に、明治維新の際も大変な混乱がありました。欧米の文明文化崇拝で、日本古来の倫理道徳・武道精神等は、封建的で無価値なものだという偏見が横行し、学校、社会も国民道徳の規範が無くなって大混乱に陥ったといわれています。

 この非常事態を改善するために、全国の知事会・文部大臣・総理・明治天皇の側近の人々が知恵を結集して完成させたのが『教育勅語』でした。教育勅語の発布で乱れに乱れた日本の教育界等が正常化し、発展したばかりでなく、世界各国の学者・国家指導者等から絶賛され、全世界の国民教育の模範となりました。極当たり前のことを誰でも実践できる内容で、何らイデオロギーの問題ではありません。今でも世界の憲法、法律等草案の見本とされてるそうです、本当に素晴らしいことです。
 
 冷戦時代米国のレーガン大統領は米国社会、学校現場の崩壊等々、現日本の状況と同じでした、何とか米国の社会道徳荒廃等を止めようと、時の教育長官べネッタ氏を中心に、レーガン大統領、閣僚等が話し合いを重ね、一致した最終結論は道徳教育の必要性でした、あらゆる道徳教育資料を世界から捜し求め、行き着いたのが、「日本の教育勅語」でした。倫理道徳は世界共通で人種の隔たりはないと思います。

 教育勅語は米国版「道徳教本:The Book Of Virtues」(最終章のみ聖書の文が付け加えられていますが、本文は教育勅語です。)として国内教育機関、国内一般家庭等に広められ、内容が分かりやすく、誰でも素直に受け入れられるために、たちまち米国内で3000万部という驚異的な大ベストセラーとなり、聖書につぐ発行部数を誇り、今でも米国人の道徳規範となっています(現在でも本屋さんでも簡単に手に入れることが出来ます、是非米国旅行の際は本屋に立ち寄ってみては、、、)本当に素晴らしいことです、残念なことに、日本では教育勅語自体評価されず、米国内でのベストセラー報道はされることはありませんでした。
 
 道徳、修身教育等には時間がかかりますが、現日本の現状を打開するには、道徳教育によりまともな人間作りが必要だと思いますし、待った無しの状況だと思います。未来の子供たちのためにも、社会問題になっている、いじめ問題、格差問題さえ克服できる可能性があります、国益、国民の真の幸せ、世界平和のヒントを多く含んでるのは間違いなさそうですね。
 
    ーーーーーーーーーーーー参考ーーーーーーーーーーーーーー

第一回世界道徳教育会議
1908年(明治41年) 於ロンドン
 史上空前の大盛況だったそうです、世界の主要国20ケ国の文部大臣、首相・大統領代理、教育学者。17のイギリス連邦諸国。有名大学22校。教育当局(EducationAuthorities)52。協会(Associations)118の合計192団体が参加したそうです。
 
 サドラー会長は開会の辞において特別に『愛国的義務と自我の徹底的抑制を巌格に教え込んでいる日本人の訓練における、道徳上の名声と偉大な伝統の力を理解するのに力になってくれる人が参加しております』と述べ、日本政府代表の出席を歓迎しました。
 
 日本政府を代表して北条時敬(広島大学学長)が『日本の諸学校における徳育』と題し、小学修身教科書に頻出する二宮尊徳や楠木正成・正行の例話に言及する演説を行なったそうです。
 北条時敬の掃朝報告:「我が文部省よりは会議の資料として特に教育勅語及び図書図画、修身教科書、同掛図などを提出し、之を会議場に陳列したるが、各国代表者の中には是非之を買い受けたしと迫る者ありしが、部数に限りあるを以って之を果たさず……斯かる有様なるを以って、日本の国民教育に就いては大いに参列者の注目を惹けり。依って私は之に対して日本における道徳教育に関する実際上のことを印刷したるものを各国代表者に配布して之を説明して大いに喝采を博せり」とあります。

 この会議の際には、英語教育勅語の外に、ドイツ語教育勅語・フランス語教育勅語・漢文教育勅語も関係各国に配布されました。その訳は、前年のロンドン大学における『教育勅語』の講演会で、英文訳の教育勅語を披露したのを知った英語圏以外の国々から、強くドイツ語訳やフランス語訳等の教育勅語の強い要望があって急遽文部省が作成して間に合わせることにしたそうです。

 このようにして日本の教育勅語等は世界中に拡がり、以来98年間、戦争中も戦後も、世界の道徳教育の模範となっております。 教育勅語と修身教科書の真価を理解出来ずに(GHQマッカーサー等により封印、真相は世界で通用する、正しい日本人の出現を恐れたからでしょう、、、)世界に誇る宝物を粗末にしているのは、情けないことに本家・本元の日本だけです。

    *教育勅語(口語文訳)です、、、

 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

 国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。

 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変らぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行なっても、まちがいのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。 

    *修身の一部です、、、
1 父母ニ孝ニ   親や先祖を大切にしましょう
  二宮金次郎
 二宮金次郎は、家が大そうびんぼうであったので、小さい時から、父母の手助けをしました。
 金次郎が十四の時、父がなくなりました。母は暮らしにこまって、金次郎と次の子を家におき、すえのちのみごをしんるいにあずけました。しかし、母は、その日から、あずけた子のことが気にかかって、夜もよく眠れません。「今ごろは、目をさまして、ちちをさがして泣いているであろう。」と思うと、かわいそうでならなくなり、いつも、こっそり泣いていました。金次郎は、それに気がついて、
 「おかあさん、どうしておやすみになりませんか。」
と聞きましたが、母は、
 「しんぱいしないでおやすみ。」
というだけでした。金次郎は、「これは、きっとあずけた弟のことをしんぱいしていらっしゃるのにちがいない。」と思って、
 「おかあさん、弟をうちへ連れてかえりましょう。赤んぼうが一人ぐらいいたって、何でもありません。私が一生けんめいにはたらきますから。」といいました。 母は、大そう喜んで、すぐにしんるいへ行って、赤んぼうを連れてもどりました。親子四人は、一緒に集まって喜び合いました。
 孝ハ徳ノハジメ。


2 兄弟ニ友ニ   きょうだい仲良くしましょう
  毛利元就
 毛利元就は戦国時代に中国地方を治めていた勢力のある武士でした。元就には隆元・元春・隆景という三人の子どもがありました。
 ある時、元就は三人の子どもを集めて、三本の矢を一つに束ねたものをそれぞれに渡して、それを折るように命じました。しかし、丈夫な矢が三本もしっかり束ねてあるのですから、いくら力を出しても子どもの力では折ることが出来ません。そこで元就は、束ねてあった矢を一本一本ばらばらにして、それを渡して折るように命じました。今度は一本だけですから三人ともたやすく折ることが出来ました。元就は三人の子どもに向って、「兄弟もこの矢とまったく同じである。兄弟が仲良く協力一致すれば、どんな強い敵から攻められても、なかなか破れるものではない。反対に、兄弟がばらばらになれば簡単に敵に攻め破られることになる。この矢をみて、三人ともよく心に留めて省みなければならない。」と言って諭しました。

 また、三人の子どもが成人した時、元就は三人に一つの書き物を渡しました。それには、「三人とも、毛利の家を大切に思い、たがいに、少しでもへだて心を持ってはならない。隆元は二人の弟を愛し、元春・隆景はよく兄につかえよ。そうして、三人が一つ心になって助け合え。」
と書いてありました。また、元就は、隆元に別の書き物を渡しましたが、それにも、「あの書き物をまもりとおして、家の栄をはかるようにせよ。」と、よく行きとどいた戒めが書いてありました。
 書き物をもらった兄弟は、三人の名を書きならべた請書を父にさし出し、「三人は、心を合わせて御戒めを守ります。」と、かたくちかいました。
3 夫婦相和シ   夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
  山内一豊の妻
 山内一豊が織田信長のけらいになったばかりのころ、大そうよい馬を売りに来た者がありました。これを見た人は皆ほしいとは思いましたが、何分にも値が高いので、誰一人買おうという者がありません。馬の主は馬を引いてかえろうとしました。 一豐も、ほしくてほしくてたまらないから、家へかえって、「ああ、金がないほど残念なことはない。武士としてはあのくらいな馬をもってみたい。」と思わずひとり言をいいました。妻はこれを聞いて、夫に向かって、「その馬の値はいかほどでございます。?」「金十両。」妻は立って、鏡箱の中から十両の金を出して、「どうぞ、これでその馬をおもとめあそばしませ。」一豊はおどろいて、「これは又どうした金か。これまで貧しい暮らしをしているのに、こんな大金を持っているなら、なぜあると一言いわなかった。」
 「さようでございます。このお金は私がこちらへまいる時、「夫の一大事の折りに使え。」と申して父の渡してくれた金でございます。人の話によりますと、ご主人織田様には、近いうちに京都で馬ぞろえをなさいますとのこと。さだめて皆様はごじまんの馬に乗ってお集まりのことでございましょう。あなた様にも、その折りにはよい馬にめして、主人のお目にとまるようになされるのが大事と考えまして、今日このお金を出しましたのでございます。」
 一豊は妻に礼をのべて、その馬をもとめました。やがて馬ぞろえの日となって、一豊の馬は、はたして信長の目にとまって、「ああ、よい馬、名馬々々。誰の馬か。」とたずねました。けらいのものが、「これは一豊の馬でございます。」
といいますと、「日ごろ貧しい暮しをしている一豊が、よくもこういうよい馬を買いもとめた。見上げた志のもの、りっぱな武士」と、信長は大そう感心して、これが一豊の出世のもとになったということであります。
等々続きます・・・

 こんな素晴らしい道徳規範、世界のどこに出してもおかしくない素晴らしい規範があるのに、日の目を見ることがありません!本当に残念で仕方ありません・・・未来の子供たちに対する最高のプレゼントに思えますが・・・
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