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武士道の復活を!

2014-06-06 09:28:15 | 道徳等

 武士道について、初めて書物にして世界に紹介した人物、新渡戸稲造(にとべ、いなぞう)1899、英文で武士道を書きました、Bushido the Soul of Japan(武士道、日本の魂)です。新渡戸は、本書で武士道は日本人の道徳の基礎にあるものだということを欧米人に知らせました。

 幕末の1862年盛岡に武士の子として生まれ、武家の家庭教育を受けました。有名なクラーク博士の下で西洋科学等を学び、海外で活躍した国際的日本人でした。
著書「武士道」で新渡戸は、武士道を詳細に論じています。まず新渡戸は、「武士道は、日本の象徴である桜にまさるとも劣らない、日本の土壌固有の華である」と説いています。武士道の淵源・特質、民衆への感化を考察しています。
Bushido the Soul of Japanは、世界のリーダーの読書の一つになっていたそうで、今も多くの世界のリーダーに読まれてるそうです。
 
武士道とは、簡単に言えば、もろもろの「徳」から成っているものと解いています。

 武士道の渕源:武士道は知識それ自体を求むべきで無く叡知獲得の手段として求むべきとし実践窮行、知行合一を重視しました。

 義     :義は武士の掟の中で最も厳格なる教訓である。武士にとりて卑劣なる行動、曲がりたる振舞程忌むべきものはないと解いています。

 勇、敢爲堅忍:勇気は義の為に行われるのでなければ、徳の中に数えられるに殆ど値しない。孔子曰く、義を見てなさざるは勇なきなりと解いています。

 仁、即惻隠(そくいん)の心:弱者、劣者、敗者に対する仁は、特に武士に適しき徳として賞賛せられました。

 礼     :作法の慇懃鄭重(いんぎんていちょう)は、日本人の著しき特性にして、他人の感情に対する同情的思い遣(や)りの外に表れた者である。正当なる事        物に対する正当なる尊敬を、社会的地位に対する正当なる尊敬を意味すると解いています。
 
 誠     :信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。…『武士の一言』と言えば、その言の真実性に対する十分なる保障でありました。武士に二言        はなし、二言、即ち二枚舌をば、死によって償いたる多くの物語が伝わっていると解きました。

 名誉    :名誉の感覚は、人格の尊厳ならびに価値の明白なる自覚を含む。… 廉恥心は、少年の教育において、養成せられるべき最初の徳の一つでありました。笑        われるぞ、体面を汚すぞ、恥づかしくないのか等は非を犯せる少年に対して正しき行動を促す為の最後の訴えであります。

 忠義    :中国では、儒教が親に対する服従を以って、人間第一の義務となしたのに対し日本では、忠が第一に置かれました。

 武士の教育及び訓練:武士の教育に於いて守るべき第一の点は、品性を建つるにあり。思慮、知識、弁論等、知的才能は重んぜられなかった。武士道の骨組みを支えた           鼎足は、知・仁・勇であると称せられました。

 克己    :克己の理想とする処は、心を平らかならしむるにありと解いています。

 武士道は「多くの徳」によって成り立っており、高い精神性をもつものだったことが分かります、新渡戸は分かりやすく解き明かしています。
武士道は本来、武士階級に発達したものでした。大和魂、すなわち日本人の魂は、究めるところ島国の民族精神を表すにいたった、それが武士だけでなく、日本人全体の道徳の基礎となっていることを新渡戸は述べています。

 欧米人から見たら、日本人には宗教がないと見られがちだが、武士道には、神道、仏教、儒教の影響が見られることを説き、日本精神には独自の深い宗教性があることを明らかにしています。そして、この精神は世界に間違いなく通じる精神であると唱えています。

 維新回天の嵐と渦の中で、日本という船の舵取りをした偉大な指導者たちは、武士道以外の道徳的教訓をまったく知ることのない人たちでした。
近代日本を建設した人々の生い立ちをひもといてみると、伊藤、大隅、板垣ら現存している人々の回想録はいうまでもなく、佐久間、西郷、大久保、木戸らが人となった跡をたどってみよ、彼が考え、築き上げてきたことは、武士道が基礎となっていることがわかるだろうと言っています。

 明治維新によって、社会的な階級としての武士は消滅したことを記していますし、西洋文明の導入によって、日本は新しい国に生まれ変わりつつありました。しかし、武士道は不滅であり、必ずや新たな形で生き続けることを確信していました。

確かに明治以降の日本のリーダーたち、経済人やジャーナリストや教育者などには、武士道から理想や信念を学んだ人たちが多くいます。武士道は姿形を変えて、日本人の生き方のなかに受け継がれてきたと思います。武士道は、今でも日本人の道徳心や規範意識を支えていると言えます。

 武士道が発刊されて、百年以上が過ぎました。現代日本では、道徳心は廃り、日本人から香り高い精神性は、残念ながら消えうせてるように思われますが、、、
武士道は「桜にまさるとも劣らない日本の土壌に固有の華」と新渡戸は述べていますが、そうした武士道の精神を忘れ去ってしまったならば、今後日本人は精神的に益々劣化していくでしょう。

 明治維新後、身分としての武士は消滅しました、四民平等・廃藩置県等の政策が断行され、武士階級の消滅とともに、それまでの武士道そのものは担い手がなくなりました。しかし近代国家建設を進める過程で、武士の道徳は全国民のものになりました。ちょんまげや帯刀は無くなりましたが、国を守る、主君を守るという意識が普及し、武士道が国民の道徳となりました。
 
 日本の敗戦後、日本は連合国によって軍事的に武装解除され、さらにGHQの占領政策によって、精神的なものも徹底的に解除されました。GHQは武士道に関する書籍等を禁じ、結果国民は国防の意識すら奪われました。日本的なものを守るという意識が著しく低下し、日本人は自国の領土を侵されても鈍感になり、自国の文化を奪われても抗議すらできないような、無抵抗・無気力の状態になり下がっている面が散見されます。
武士道を失った日本人は、アメリカ・中国・韓国等の圧力に対して、、、こうした状態が続けば日本人は、今後も一般国民は翻弄、利用され続くでしょう。


参考著書「武士道」新渡戸稲造等

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