極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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礼の国であった日本

2016-05-04 11:21:41 | 道徳等

江戸末期に初めて日本を訪れた多くの外国人は、町並みの清潔さ、丁寧なことば遣い、立ち居振る舞いの美しさ、そして上から下まで国民の隅々に行き届いた礼儀作法に大変驚き、感動しています。
イギリスの歴史学者チャールズ・マクファーレンは、幕末1852年の日本の姿を伝えています。特に洗練された日常的な礼についての記述は現代日本人に興味ある内容です。
「日本1852、ペリー遠征計画の基礎資料」、チャールズ・マクファーレン著、渡辺惣樹訳

17世紀初頭、オランダ船・リーフデ号の航海士として日本にやってきたイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)が故国に宛てて書いた手紙からは礼の国日本の姿が覗えます。「日本人は礼儀正しく好感が持てるのだが、戦になると勇敢である。」仁義が重んじられ、それに違反する者は厳しく処分されている。礼節によって統治されているといってもいいくらいだ・・・

戦後の教育には、GHQの策(道徳教育はご法度)が大きく反映され、道徳心を育てる学問が欠落してしまいました。
最も大切な、「人間としていかに生きるのか?」、「人間としてどう在るべきか?」と言うことを子供たちに教えていません!

平安時代の終わりに出来たと言われている、庶民等が学んだ「実語教」、「童子教」が教科書として鎌倉時代に広まり、江戸時代の寺小屋の教科書として使用されています。

この実語教(守るべきもの等)、童子教(礼を主としています。)とは正に、人間としていかに生きるのかという内容を、千年近く前から日本人に教えてきた道徳の教科書です。特に江戸時代は、寺子屋を介して身分に分け隔てなく多くの子供達に教えを施しました。

当時の寺子屋は、文部省・教育史資料によれば、当時の人口約3000万人、寺子屋数15560(就学率70~80%)です!教育の機会を多くの庶民に与えるこれらのシステムは、世界広しと言えど、当時の世界では日本ぐらいで、素晴らしいの一言で感動を覚えます。現代の子供達にも学んで欲しい内容です。

寺子屋での教育内容は・・・
1 読み書き、そろばん
2 職業に応じた知識(農業、商業等)
3 一般常識、教養(実語教、童子教等)
等が主です。

敗戦後、マッカーサーは日本占領時、日本の強さは何か?を徹底分析・・・日本人の伝統的精神を見つけ出しました。
武士道、修身、実語教、童子教等々により作られた日本人の心、精神、日本人の強さを知り、それを恐れ、これらを壊そうと言う姿勢は現代にも続いてると思うべきです。
GHQの置き土産でもある道徳教育の否定、愛国心なき自虐史観の定着などの状況を生じています。

戦後教育によって、親に孝を尽くす、友に真を尽くす、礼を尽くす等々、日本人がごく当たり前に持っていた道徳観は薄れてしまったように思います。
昨今の子供のいじめの根源はこのあたりにあるように思います。

実語教とセットになっている童子教は、礼から始まります。

童子教(礼)、現代訳
*目上の人の前では立ち居振る舞いに気をつけなさい。
 
*道で目上の人に会ったら 腰をかがめて通りなさい、声をかけられた時には敬って御用を承りなさい。
 
*両手を胸に当て、慎みの姿勢でキョロキョロせずに。

*何も聞かれないときは黙って、お声がかかれば謹んで聞きなさい。

*仏・法・僧には三度の礼を、神様は丁寧に拝みなさい。

*人には一礼、師匠や主君には最高の礼で。

*墓の近くでは慎み深く、神社の側に来たら馬や駕籠から下りなさい。
*堂塔は仏や菩薩のまします所、不浄の行為など以てのほか。


実語教(守るべきもの)は、平安時代末期から明治初期にかけて普及していた庶民のための教訓を中心とした初等教科書です。
徳川家康も、二宮尊徳も、坂本龍馬も、西郷隆盛も、当時の日本人は皆この実語教を学び育ってきたそうです。勿論、現代でも問題なく使える内容です。

現代訳

*山はただ高いから尊いのではない、木が茂っているからこそ尊いのだ。
*人は裕福だから偉いのではない、智恵を持つからこそ偉いのである。
*富というのは、生きている間だけ持てる物であり、死んで体が消滅してしまえば、同時に失  う。
 一方で、智恵は長い年月にわたって持続する宝である。命が終わってもついてくる。
*玉は磨かなければ光を発しない、光らない玉はただの石の塊だ。
*人も学ばなければ智恵を持てない、智恵のない人は愚人だ。
*蔵の中にある財宝は朽ちてしまうことがあるが、体の中にある智恵は朽ちることがない。
*いくら大金を積んでも、一日勉強したことの価値には及ばない。
*兄弟といつまでも一緒にいれるわけではないが、慈悲の心はいつまでも持ち続けられる。
 財物は長く存在しない。
*智恵こそが大事だ。
 身体を構成する地・水・火・風の四元素は日々衰え、心も次第に暗くなっていく。
*幼い時に勉強せず、老いた後に悔やんでも何の得にもならない。
 だから本を読むことを嫌がってはいけない。
*学問を怠ってはいけない、寝る間も惜しんで毎晩本を音読せよ。
 空腹を我慢して一日中勉強せよ。
*師に会っても、その人から学ばなければ、無駄に一般人と会うのと同じだ。
*習読しても、何度も繰り返さなければ、ただ、隣の家の財宝を数えるくらい無駄なことであ  る。
*金持ちの家に生まれたとしても、その人に価値が備わっていなければ、霜の下の花のように存 在感がない。
 たとえ貧しい家に生まれたとしても、智恵のある人は、泥の中に咲く蓮のようだ。
*父母は天と地であり、師は太陽と月である。(自分より上の存在である)
*親族は葦のようであり、夫婦は瓦のようだ。(自分と同列の存在である)
*父母には朝から晩まで孝行せよ。師には一日中仕えよ。友とは仲良くし、喧嘩するな。
*自分より年長の者には礼儀正しく敬い、自分より年下の者は可愛がれ。
*智恵の持たない人は、木や石と同じだ。孝の心を持たない人は、動物と同じだ。
*三学(戒学・定学・恵学)を学ばずに、どうやって七覚(※1)を身につけられよう。
 四等(慈・悲・喜・捨)の船に乗らないで、誰が八苦の海を渡れるだろうか。
 八正道は広大な教えだけれども、十悪を行う者にはできない。
*だらしなく精進を怠る者はその境地に至れない。
 無為の都(浄土)に至り楽な心になるといっても、だらしなく精進を怠る者はその境地に至れ ない。
*老いた人を父母のように敬い、幼い人を子どもや弟妹のように愛せよ。
*自分が他人を敬えば、他人は自分を敬う、自分が他人の親を敬えば、他人は自分の親を敬う。
*自分の身を良くしたければ、まず他人を良くしてあげなさい。
*他人が悲しんでいるのを見たならば、自分も一緒に悲しみなさい。
*他人が喜んでいる声を聞いたならば、自分も一緒に喜びなさい。
*他人の善行を見たなら、自分もそれを速やかに行い、他人の悪行を見たなら、自分はそれを行 うな。
*悪行を好んで行う者は不幸を招く。
 それは、音が起これば響く、という関係と同じように当然のことだ。
*善行を行う者は福を受ける。
 それは、体にいつも影がついてくるようなものだ。
*たとえ今が裕福であっても、貧しい時の気持ちを忘れてはいけない。
 最初は裕福であっても、終わりに貧しくなることもある。
*たとえ今が高貴な身分であっても、賤しい身分の気持ちを忘れてはいけない。
 最初は高い身分であっても、終わりに賤しい身分になることもある。
*習うのが難しく、忘れやすいのは音楽のような芸才。
 学ぶのが容易で、忘れにくいのは読み書きの才能である。
*食べるから存在できる。
 身体があるから、命がある。
*農業を忘れず、かつ、必ず学問をやめてはならない。
*後世の学問に励む者は、まずこの書(実語教)を読み、考えるべし。
*この実語教は学問の出発点である。
 死ぬまでここに書いていることを忘れるな。

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