想い出の小箱Ⅱ : 徒然草子

日常生活の中で感じたことを、徒然なるままに記述する。
OCNブログ人「想い出の小箱:レコード・コレクションからの続き。

COUNT BASIE 1939-1951 (CBS SONY  SONP 50436-7)

2011-11-01 17:05:55 | スポーツ

カウント・ベイシー・オーケストラ

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東日本大震災の影響で開催がずれた第82回都市対抗野球が開催され,今日が決勝戦で、JR対NTTである。昔なら、国鉄対電電公社ということになる。

今は、プロ野球、高校野球に押されて、人気は今一つだが、応援合戦は相変わらず見ごたえがある。

ノンプロと呼ばれていた頃の実業団対抗野球には思い出がある。

昭和25年のことであるから、随分昔になるが、この年は、全鐘紡が優勝し、全日本チームとアメリカ・チームの対抗戦が行われることになった。全鐘紡中心のチーム編成であったが、その時、私の叔父が、八幡製鉄から、補強選手として選ばれ、全日本メンバーに加わった。

日米の野球の実力差は歴然としており、本場の野球を観れるのは楽しみであった。

当時の始球式は一塁側スタンドから行われ、初戦、後楽園球場でマッカーサー元帥夫人が始球式をした際、捕手であった叔父がその球を受けた。

当時小学生であった私は、叔母に連れられて甲子園球場の試合を観に行った。

今でも、鮮明に覚えているが、相手の投手は、スキャントルベリーとかいう黒人の2m近い左腕ピッチャーで、日本の打者は、その速球にキリキリ舞いをさせられた。

球場の売り子が、日本に入ってきたばかりのコカコーラを売っており、飲みたかったが、子供はダメと飲ませてもらえなかった。

今は、叔父も叔母も亡くなっており、懐かしい思い出が、新聞記事とアルバムに残っている。もう、この時の事を記憶している人は、ほとんどいないだろう。

音楽の場合は、レコードとして、いつまでも残っている。

今日のレコードは、私が持っているレコードの中でも、最も大事にしている1枚である。

標記のように、1939年~1951年の間の名演を2枚組に収めている。

カウント・ベイシーについては、いまさら触れる必要はないだろう。

東京ジャズ2011に、カウント・ベイシー・オーケストラが参加し、今年は、聴きに行かなかったが、TVでその様子を観ることができた。

しかし、御大のあのピアノのサウンドは、誰にも代えがたい。

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