「あほリズム」
(639)
「世界とは私の表象である」(ショウペンハウアー)
これは何となく理解できるが、
「世界とは私の意志である」
って、いまいち理解できない。
(640)
我々は感覚器官によって世界を認識するが、感覚器官の能力の限
界を超えて世界を認識することはできない。我々はタマネギの全体
を見ることができても中までも見透すことはできない。つまり、我
々はタマネギの表象だけを見て「何であるか?」を認識する。もし
もタマネギの中が腐っていても認識できない。こうして認識された
世界とは私の感覚器官が創り出した表象(仮象)の世界でしかなく、
つまり、
「世界とは私の(認識が創り出した)表象である」
(641)
「世界とは私の表象である」とすれば、表象(仮象)の世界から導き
出された私の「意志」は表象(仮象)の世界で芽生えた幻想にすぎない。
「意志」もまた表象(仮象)と同じで虚しい発意でしかないのか。つまり、
「世界とは私の意志である」
とは、私の意志は決して世界には届かないということなのか?
(642)
それとも、すべての生命は生きることに縛られている。が、しかし
それは私が生きることを意志したからではない。だとすれば、私が生
れて来たことは世界の「意志」に違いない。つまり、私の「意志」と
は世界の「意志」である。つまり、
「世界とは私の意志である」
かな?