「あほリズム」(639)

2020-02-11 09:54:17 | アフォリズム(箴言)ではありません

            「あほリズム」

 

             (639)

 

 「世界とは私の表象である」(ショウペンハウアー)

これは何となく理解できるが、

 「世界とは私の意志である」

って、いまいち理解できない。

 

            (640)

 

 我々は感覚器官によって世界を認識するが、感覚器官の能力の限

界を超えて世界を認識することはできない。我々はタマネギの全体

を見ることができても中までも見透すことはできない。つまり、我

々はタマネギの表象だけを見て「何であるか?」を認識する。もし

もタマネギの中が腐っていても認識できない。こうして認識された

世界とは私の感覚器官が創り出した表象(仮象)の世界でしかなく、

つまり、

「世界とは私の(認識が創り出した)表象である」

 

            (641)

 

 「世界とは私の表象である」とすれば、表象(仮象)の世界から導き

出された私の「意志」は表象(仮象)の世界で芽生えた幻想にすぎない。

「意志」もまた表象(仮象)と同じで虚しい発意でしかないのか。つまり、

「世界とは私の意志である」

とは、私の意志は決して世界には届かないということなのか?

 

            (642)

 

 それとも、すべての生命は生きることに縛られている。が、しかし

それは私が生きることを意志したからではない。だとすれば、私が生

れて来たことは世界の「意志」に違いない。つまり、私の「意志」と

は世界の「意志」である。つまり、

「世界とは私の意志である」

かな?