「ディベルティメント K136第一楽章」

2011-12-08 13:01:50 | インポート

 

 モーツアルトは断然「ディベルティメント」だ!

 まさに疾走するモーツアルト。

 指揮はメニューヒン

 12月5日はモーツアルト没後220年目の命日だと知りません

でした。「小説」のジャンルに置くにはそぐわないと思い「クラッシ

ク」へ替えようとして、偶々ある方のブログを見て初めて知りました。

ちょっと不思議な思いがしています。


「あほリズム」(177)~(181)

2011-12-08 10:53:54 | アフォリズム(箴言)ではありません

 

                 「あほリズム」

 

                   (177)

 

 残念ながら百年後にはきっと私は存在しない。だとすれば、今の

私が思い悩む問題のすべては、何のことはない、百年後にはきれい

さっぱり方が付いているに違いない。私の問題とは私が存在するが

故に私を悩ますのだ。ということは、私を悩ます問題とは私の存在

を越えてまでも問題足り得ない。如何なる問題であれ私の存在を越

えてあるわけではない。つまり、死をもって償わなければならない問

題などというのは誰の人生の中にも存在し得ない。

 

 

                 (178)

 

 ハムレットは「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と言

ったが、生きることとは様々な問題と関わることであって、死を覚

悟した者にはその様な問題はもはや存在しない。つまり、「それが

問題だ」と言った時に彼は生きるほかなかった。

 

                (179)


 私を悩ますあなたとのことは、私があなたに関わることから生じ

る問題である。私がその問題から逃れたいと思えばあなたと関わ

らなければいいのかもしれないが、しかし、それは問題から逃れ

たいがために死のうとすることと同じではないだろうか?ふたりの

問題とはふたりが関わりを求めようとするが故に互いを悩ますの

だ。ただ、如何なる問題であれふたりの存在を越えてあるわけで

はない。つまり、ふたりが関係を絶ってまで受け入れられない問

題などというのは、実は、ふたりの関係の中には存在しない。

 

                 (180)


 社会が抱える問題とは、社会が存在するが故に人々を悩ます。と

いうことは、社会を悩ます問題とは社会の存在を越えてまでも問題

足り得ない。如何なる問題であれ社会の存在を越えてあるわけでは

なく、改めることができるのだ。つまり、社会を破壊させなければ

ならないほどの問題などというのは社会の中には存在しないはずだ

った、が、原発事故による放射能汚染だけは、唯一環境破壊によっ

て社会を破壊へと導くという、社会を失っても償わなければならな

い問題を社会そのものによってもたらされた。それを人に置き換え

たなら「自殺行為」という。

 

                (181)


 我々を悩ます世界の様々な問題は、我々が問題と認識するが故に

問題として現われる。懐かしい言葉ではあるが「実存は『問題』に

先行する」のだ。だから、問題を避けようとしてその責任を相手に

負わせたところで問題そのものはなくならない。個人の問題であれ、

ふたりの問題、或いは社会や世界の問題であれ、その関係性を絶っ

たからといって問題がなくなるわけではない。ただ問題から逃げて

いるに過ぎない。しかし、そもそも生きるということはそれらの問

題と関わることではないだろか。問題がそれらの関係の中から生じ

るとすれば、それらの関係の中でしか問題の解決は見つからないだ

ろう。

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