「依存と自立」
「自立」という言葉を辞書で引くと「①他への従属から離れて独
り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること」
(デジタル大辞泉)とある。しかし生命活動を維持するためにエネ
ルギーを外部に依存するすべての生命体にとっては当然「自立」に
も限界がある。もしも生存環境が失われてしまえば「自立」するこ
とはもちろん、生きていくことすら出来なくなる。地球内生命は地
球環境に依存して生きているのだ。つまり「完全自立」は成り立た
ない。仮に「自立」という言葉が「他への従属から離れて独り立ち
することだと」すれば、しかし社会の中で生きている限り、社会へ
の従属から離れて独り立ちして生きることなど到底出来ない。我々
は社会に依存して生きているのだ。「社会的自立」という言葉があ
るが、社会の中にあっても社会的役割を担って経済的自立をするこ
とだとすれば、そもそも経済活動は相互の依存関係から生れるので
、「社会的依存」によって「社会的自立」がもたらされる限り、そ
れも厳密には「自立」とは言い難い。つまり「自立」とは言葉とは
裏腹にその実態は様々な依存関係の上でしか成り立たない。自給自
足の生活でもしない限り「自立」して生きることなどできないのだ
。
さて、ニュースは連日のように「森友問題」を取り上げ、「忖度
」という言葉を頻繁に耳にするが、「忖度」という言葉を辞書で引
くと「他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮
すること。」(デジタル大辞泉)とある。「おしはかる」は「推し測
る」で「推測する」ことで、相手のことを推測するだけなら何も問
題はないが、更に「おしはかって相手に配慮すること」となると、
その配慮が特定の便宜や利益を供与することにまで到るなら「忖度
」の域を超えた不正行為である。不正疑惑を「忖度」などと曖昧な
言葉でごまかすのは誤りである。そもそもわが国は三権分立を掲げ
てはいるが、しかしその実態は行政権は内閣に属し、行政のトップ
に国会議員が充てられる議院内閣制で、その下で行政が内閣に依存
せざるを得ないことは明白である。まして人事権までも内閣に握ら
れてしまえば自立した行政など行える筈がない。そして終身雇用に
縛られた公務員は内閣への依存と公平中立を重んじる行政との葛藤
に苦しみ、遂には自らの意志を曲げて権力者の意向を「忖度」する
。そもそも為政者は特定の組織や団体への共感や好意をあからさま
にしてはならない。常に政治権力者は権力に群がって利権に与ろう
と企む阿諛者から身を遠ざけなければならない。仮に利用されたに
しろ、危うきに近寄ったことは否めない。「加計問題」にしろ余り
にも知己に政治的便宜を図っている。そもそも不正疑惑の発端は安
倍総理の軽薄な言動から生れたのであり、自分はまったく与り知ら
ないという弁明はあたらないし、まして行政権を預かる内閣の総理
大臣たる安倍総理のその責任は免れない。
(つづく)かな?
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