「『愛と死を見つめて』を見つめて」②
吉永小百合主演の「愛と死を見つめて」の映画を観てから、当時
21才の若さで亡くなられた大島みち子さんのことが頭から離れな
い。どれほど無念だったかと思うとやり切れなくなる。
彼女は軟骨肉腫という難病に冒されて、ついに転移を防ぐために
うら若き女性が顔半分を切除する手術を受ける決断をする。しかし、
それでも進行は止まず、やがて自らの死を悟って、独り病室のベッド
の上に仰臥して暗闇を見つめながら涙を流すシーンが脳裏に浮かんで
きて離れない。
映画では、彼女は思い描いていた将来の夢を病気によって断たれ、
改めて社会の役に立ちたいという思いから、快復後は医療ソーシャル
ワーカーになる決心した。そこで身近にいる入院患者の身の回りの世
話を進んでやりはじめる。ところが、それを勘違いして妬む者から酷
い中傷を受ける。余命宣告を知らされた上に、少しでも社会の為に生
きたいという意志までも挫かれた彼女は、自らの死を見つめるしかな
かった。そして、
「生きてる意味がない!」
たぶん彼女もそんな自答を繰り返したのかもしれない。しかし、我々
が求める生きる意味とは社会的な意味でしかない。そして社会的な意
味というのは相対的な価値でしかない。そんなものはすぐに移ろう。
そもそも命の価値を社会的価値によって判断するのは倒錯である。サ
ルトル流に言うなら「命は社会に先行する」のだ。彼女は何度も死ぬ
ことを考えながら、それでも病の苦しみと闘いながら余命を最後まで
生きた。そして彼女が自らの死を見つめて書き遺したことばは多くの
命に届いて社会に大きな感動を与えた。つまり、彼女が自らの死を見
つめて最後まで生きたことは、決して「意味のない」余命ではなかっ
た。
あなたは私の頭の中でまだ生きてます。
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