「捩じれた自虐史観」⑤

2013-06-13 04:50:54 | 「捩じれた自虐史観」



          「捩じれた自虐史観」⑤


 作家の司馬遼太郎は、学生の時に学徒出陣によって徴兵され満州

の戦車部隊に配属された後、本土決戦のため内地へ呼び戻されて終

戦を迎えた。歴史小説家としての彼は、戦国から明治維新まで、更

には古代中国の歴史までもと幅広く小説の題材を取り上げながら、

自ら体験した戦争だけは書かなかった。そもそも、作家を志したき

っかけは終戦を迎えて、「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれ

たのだろう?」「いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」 と、

やり切れない想いが作家生活の原点にあったにもかかわらず、「昭

和というものを書く気も起こりません」と語り、それは「書いたら

ですね、おそらく一年を待たずして私はおかしくなりそうですね。」

(『昭和という国家』) 確かに、彼が小説で取り上げる人物は個性

的で明るく颯爽とした主人公ばかりだったから、つまり「馬鹿にな

った」日本人を書く気にならなかったのだろう。彼は、日本は日露

戦争に勝ってからおかしくなった、と言ってます。ポーツマス条約

締結後に日比谷公園で開かれた「弱腰外交」を糾弾するための

抗議集会で群衆が暴徒化し焼打ち事件にまで発展しついに戒厳

令まで布かれた。「この群衆こそが日本を誤らせたのではないか

と私は思っています」。それは過去の出来事だとばかりは言って

られないのではないだろうか。


                                  (つづく)



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