「捩じれた自虐史観」⑤
作家の司馬遼太郎は、学生の時に学徒出陣によって徴兵され満州
の戦車部隊に配属された後、本土決戦のため内地へ呼び戻されて終
戦を迎えた。歴史小説家としての彼は、戦国から明治維新まで、更
には古代中国の歴史までもと幅広く小説の題材を取り上げながら、
自ら体験した戦争だけは書かなかった。そもそも、作家を志したき
っかけは終戦を迎えて、「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれ
たのだろう?」「いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」 と、
やり切れない想いが作家生活の原点にあったにもかかわらず、「昭
和というものを書く気も起こりません」と語り、それは「書いたら
ですね、おそらく一年を待たずして私はおかしくなりそうですね。」
(『昭和という国家』) 確かに、彼が小説で取り上げる人物は個性
的で明るく颯爽とした主人公ばかりだったから、つまり「馬鹿にな
った」日本人を書く気にならなかったのだろう。彼は、日本は日露
戦争に勝ってからおかしくなった、と言ってます。ポーツマス条約
締結後に日比谷公園で開かれた「弱腰外交」を糾弾するための
抗議集会で群衆が暴徒化し焼打ち事件にまで発展しついに戒厳
令まで布かれた。「この群衆こそが日本を誤らせたのではないか
と私は思っています」。それは過去の出来事だとばかりは言って
られないのではないだろうか。
(つづく)
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