「世界内存在」(2)の続き
ハイデガーは、人間が科学技術によって世界を資料・材料にして人間中心
に作り変えることを「存在忘却」、或いは「始原喪失」と言って批判した。
たとえば、今日では録音、録画の技術は科学の進歩によって様々なバーチャ
ル・リアリティ(VR:仮想現実)の世界を再生させることが可能になり、すで
に多くの子どもたちがビデオゲームの中の悪人と闘ったり、怪獣を滅ぼした
りして楽しんでいる。しかし、そこには本来の現実の世界は存在しない。ま
た、アメリカMLBのロサンゼルス・エンゼルスで活躍する大谷翔平選手の
衛星中継で送られてくる映像とは実際は画面上を電気によって動く画素の集
積画像にすぎない。そこには実際の大谷翔平選手も観衆も存在しない。こう
して我々は、実際の存在、つまり事実存在としての大谷翔平には一度も会っ
たこともないのにメディアよって理想(イデア)化された大谷翔平選手の活躍
に感動する。まさしく「存在忘却」である。
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