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「三島由紀夫について思うこと」(5)のつづき

2020-05-05 05:26:24 | 「三島由紀夫について思うこと」

「三島由紀夫について思うこと」


           (5)のつづき


 ニーチェは近代科学の発展によって神への信仰が損われ世界はニヒ

リズムに陥ると説き、三島由紀夫もまた西洋科学技術を進取すること

で日本の伝統文化が置き去りにされ、戦後日本の経済繁栄の影にニヒ

リズムを見た。つまり、ニーチェも三島も近代科学文明社会は精神的

支柱を失ってニヒリズムに陥るという認識では一致していたが、しか

し、ニーチェは「神は死んだ」と言って神への回帰を断ったが、とこ

ろが、三島由紀夫は戦後一縷の繋がりが残された万世一系の天皇の下

に日本の精神文化への原点回帰を訴えた。そこに日本人特有の保守的

な原理主義が窺える。たとえば、道に迷っている時に人は、さまざま

な選択肢の中から迷いながら一つの道を決めなければならないので、

心の中には常に不安がつきまとう。それどころか新しい世界に進もう

とすれば間違いは避けられないので間違うことに寛容にならざるを得

ない。ところが、もと来た道を遡るとなるとすでに辿った道であるか

ら迷ったりはしないので不安も少ない。古き良き時代の幻想に還ろう

と思っている人は、すでにその道は決まっているので間違ったりはし

ない。ところが、決まった道を戻ろうとする人は戻る場所が分かって

いるはずなのに道を間違って戻れないことに気付くと苛立ち不寛容に

る。他に道はないのだから狭量にならざるを得ない。つまり、保守

主義者の不寛容は決まった道を戻ろうとして戻れないことへの苛立

から厳粛主義(リゴリズム)が生まれる。私はこの保守主義者のリゴリ

ムが厭で仕方ない。固定化した思考を省みようとはせず大声で喚き

散らすからだ。しかし、もは古き良き時代への道は荒野の中で途絶え

て幻想に過ぎないのだ。

 さて、三島が命を賭して訴えた「天皇国体論」は、一部国粋主義者

から熱狂的な支持を得ているが、自由と民主主義の新しい空気に馴染

んだ大衆には些かカビくさい。そもそも古来より天皇文化とは「風流

《みやび》」を重んじる宮廷文化であり民主主義の対極にある。ニー

チェもそうだが、当然、三島も民主主義を否定している。


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