「象徴天皇制と民主主義」

2021-07-28 08:05:07 | 従って、本来の「ブログ」

「象徴天皇制と民主主義」


 オリンピックの開会式で大会名誉総裁であられる天皇陛下による

開会宣言の際に、菅首相、小池都知事が起立を怠り、途中で気付い

て立ち上がったことが不敬だと物議を醸しているが、しかし、その

経緯はまさに天皇と民主主義の相容れない関係をそれこそ「象徴」

しているように思えてならない。作家三島由紀夫は「国体とは天皇

である」と断言し、当然それは民主主義とはそぐわないことを承知

して民主主義を拒絶した。敗戦後75年を経てアメリカから押し付

けられた自由と民主主義は遍く浸透したが、それに反して国体天皇

論は政治家たちの挙動からも窺えるようにすっかり影を潜めた。と

ころで、そもそもオリンピックの基本理念とは民主主義の理念にほ

かならない。つまり、厳密に言えばオリンピックの基本理念もまた

国体天皇論とは相反する。ただ、「この国は神の国である」と言い

ながらオリンピック委員会の会長をのうのうと務めていた国体天皇

論者も居たが、しかし、今回の東京2020(オリンピック)大会の

大会ビジョンは「多様性と調和」を謳い、それは現代日本社会にお

ける非民主的なジェンダーギャップ、世界経済フォーラムが発表し

た2021年度の日本のジェンダーギャップ指数は156ヶ国中1

20位、の改善がオリンピック開幕に合わせて議論されたが何一つ

決められずに終わった。男女共同参画社会の実現や性的マイノリテ

ィ(LGBT)への差別撤廃、或いは選択姓制度などなど、

ら男女差別の問題は何れもその根本つで、つまり、万世

継承する皇位男系男子に限って世されるいう伝統文化

、断じて系天皇を認めようとしない頑な伝統主者たち

によて阻まれている。つまり枝葉をいくら切り落としても根

を引っこ抜かない限り、つまり、皇室に蔓延る男尊女卑の伝統文化

改めない限り一歩も前に進まなだろう。ただ、にもかかわらず

彼ら伝統主義者たちは天皇制とは相反する義を拒もうとはし

ないので、淘汰されずに残る伝統文化と進化する近代社会のギャッ

プはますます広がるばかりだ