以下の文章は「三島由紀夫について思うこと」(5)のつづき
の中に埋め込みます。
たとえば、道に迷っている時に人は、さまざまな選択肢の中から迷
いながら一つの道を決めなければならないので、心の中には常に不
安がつきまとう。それどころか新しい世界に進もうとすれば間違い
は避けられないので間違うことに寛容にならざるを得ない。ところ
が、もと来た道を遡るとなるとすでに辿った道であるから迷ったり
はしないので不安も少ない。古き良き時代の幻想に還ろうと思って
いる人は、すでにその道は決まっているので間違ったりはしない。
ところが、決まった道を戻ろうとする人は戻る場所が分かっている
はずなのに道を間違って戻れないことに気付くと苛立ち不寛容にな
る。他に道はないのだから狭量にならざるを得ない。つまり、保守
主義者の不寛容は決まった道を戻ろうとして戻れないことへの苛立
ちが厳粛主義(リゴリズム)を生む。私はこの保守主義者のリゴリズ
ムが厭で仕方ない。すぐに傲慢かまして怒鳴り散らすのだ。しかし、
もは古き良き時代への道は荒野の中で途絶えて幻想に過ぎないのだ。