「あほリズム」
(374)
猫を見て思った。彼らにいくらことばを教えても決して
「吾輩は猫である」などと語ることはない。ねこの限界は
「猫である」ことである。だとすれば人間の限界も「人間
である」ことである。
存在者の限界は存在者としてしか存在しえないことにある。
つまり、
「肉は悲し、なべての書は読まれたり」 マラルメ
「あほリズム」
(374)
猫を見て思った。彼らにいくらことばを教えても決して
「吾輩は猫である」などと語ることはない。ねこの限界は
「猫である」ことである。だとすれば人間の限界も「人間
である」ことである。
存在者の限界は存在者としてしか存在しえないことにある。
つまり、
「肉は悲し、なべての書は読まれたり」 マラルメ