「『愛と死を見つめて』を見つめて」②

2017-08-29 05:27:14 | 「愛と死をみつめて」を見つめて

    「『愛と死を見つめて』を見つめて」②


 吉永小百合主演の「愛と死を見つめて」の映画を観てから、当時

21才の若さで亡くなられた大島みち子さんのことが頭から離れな

い。どれほど無念だったかと思うとやり切れなくなる。

 彼女は軟骨肉腫という難病に冒されて、ついに転移を防ぐために

うら若き女性が顔半分を切除する手術を受ける決断をする。しかし、

それでも進行は止まず、やがて自らの死を悟って、独り病室のベッド

の上に仰臥して暗闇を見つめながら涙を流すシーンが脳裏に浮かんで

きて離れない。

 映画では、彼女は思い描いていた将来の夢を病気によって断たれ、

改めて社会の役に立ちたいという思いから、快復後は医療ソーシャル

ワーカーになる決心した。そこで身近にいる入院患者の身の回りの世

話を進んでやりはじめる。ところが、それを勘違いして妬む者から酷

い中傷を受ける。余命宣告を知らされた上に、少しでも社会の為に生

きたいという意志までも挫かれた彼女は、自らの死を見つめるしかな

かった。そして、

「生きてる意味がない!」

たぶん彼女もそんな自答を繰り返したのかもしれない。しかし、我々

が求める生きる意味とは社会的な意味でしかない。そして社会的な意

味というのは相対的な価値でしかない。そんなものはすぐに移ろう。

そもそも命の価値を社会的価値によって判断するのは倒錯である。サ

ルトル流に言うなら「命は社会に先行する」のだ。彼女は何度も死ぬ

ことを考えながら、それでも病の苦しみと闘いながら余命を最後まで

生きた。そして彼女が自らの死を見つめて書き遺したことばは多くの

命に届いて社会に大きな感動を与えた。つまり、彼女が自らの死を見

つめて最後まで生きたことは、決して「意味のない」余命ではなかっ

た。

 あなたは私の頭の中でまだ生きてます。