(十二)
河川敷に足を踏み入れた場所から相当河上へ歩いた頃、K帯が鳴
った、「バロック」からだった。
「アパート決まったで!」
彼は我々が出会った駅前から街並を歩いて10分程の所にあるアパ
ートを借りた。この街で住むことに決めたのだ。私は自分が住む部
屋でもないのに何故か嬉しくて前に踏み出す足も軽くなった。ここ
は都内であっても都心ではない。家並の合間にマンションは増えた
が、それでもまだ家屋が何処までも続く下町だ。ただ、川岸にあっ
た多くの町工場は減っていきその後には高層マンションが次々に建
っていた。道沿いに少しでも空き地があればやがて囲いができて工
事が始まり忘れた頃には眩しい新築マンションが出来ていた。その
様子を上空から撮影して早送りすると、密集した瓦屋根の隙間から
次々と白い四方形の構造物が現れて、瞬く間に黒い家並を破壊する
癌細胞のように映るかもしれない。川岸の高層マンションを見上げ
ながら上空での生活は随分と今までの暮らしとは違っているのだろ
うと思った。快適とは不快を遠ざけることだとすれば、世の中で一
番ウザイ事は他人との付き合いで、快適な環境だけを考えれば、人
との交わりをできるだけ絶って独りで暮らすことである。しかし、
あの居住密度の高い建物の中でいかに快適な暮らしを満喫していて
も人との関わりを避ける訳にはいかないだろう。つまり幾ら室内の
居住環境を快適にしても、気心も知れない他人が壁一枚隔てて存在
するという現実は、人によって様々だろうけれど、決して無関心に
やり過すことなど出来ないのではないだろうか。居住を共有する他
者との快適な関係を築かないで専ら室内の快適さにこだわっても、
不快をもたらす他者への不審は消えない。そういう身近でありなが
ら敢えて関わりを避ける暮らしは、まさに東京で暮らす人々の行動
に影響を与えているのではないか。見て見ぬ振りをする行動は、こ
の密集した東京の暮らしから身に付いたに違いない。
やがて道は鬱蒼とした庭の木立に埋もれた老朽化した屋敷の前に
出た。その時、鼻を突く強烈な腐臭が辺り一面に漂っていて思わず
手で鼻を覆った。立ち止まってその臭いの元を探るとその老朽化し
た屋敷からだった。鬱蒼とした庭にはレジ袋に入った無数のゴミや
大小の廃棄物が所狭しと積み上げられていた、いわゆるゴミ屋敷だ
った。私は何となくその住人の気持ちが理解できた。そこで我慢し
ていた屁を気兼ねなく大きな音とともに放出した。
(つづく)
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