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「無題」 (八)―②

2012-08-26 00:58:43 | 小説「無題」 (六) ― (十)


                 「無題」


                  (八)―②


 連休に入ると忙しくなるのは売場だけではなかった。足し算くら

いならできる手の空いた者は猫の手の代わりに店頭に駆り出されて、

人手を取られた事務所には私だけでは処理できないほどの伝票の山

が積み上げられていた。そんな朝早くから、かつての部下だった営

業の男、この男は吉田と言って私が店先で始めた野菜の百均市を引

き継いでくれていたのだが、彼からデンワが掛かってきた。もちろ

ん、それまでにも何度も並べる商品についての遣り取りはしていた

が、そして、その中には例のチョイ悪親父のトマトもあった。私が

「むかしのトマト」と表示するように言って並べさせたところ瞬く

間に売り切れて今では百均市の人気商品だった。それは今年は、と

は言ってもこのところ例年のことだが、春先の不安定な気候のせい

で品薄から野菜が高騰したことが大きな要因でもあった。私は、さ

らに、チョイ悪親父に薦められて、瓜のように巨大な地這いキュウ

リまでも置いたところ評判が良く月曜の百均市は盛況していた。た

だ、いくら良く売れるからといってもすぐに作れないのが自然の恵

みだった。

「どうした吉田?」

「すみません朝から。実は、仕入れの担当者からコンプレ(不満)受

けまして」

「何て?」

「勝手に増やすなって」

「ちゃんと仕入れを通してるだろ」

「それが、捌けるもんだから通さずに増やしたんですよ」

「どれだけ」

その量は当初よりは倍増していた。とはいってもチョイ悪親父も

三棟のハウスでまかなうには限界があった。吉田は、

「木下さんも、もうこれ以上は出せないってとは言ってました」

木下さんとはチョイ悪親父の名前だった。

「だろ?その程度なら問題ないさ」

私は、かつて任されていた仕事だったので事情はよく解った。つま

り、新たな仕入れ先からのものが売れるとこれまで取引していた仕

入れ先がいい顔をしなくなって仕入れしにく くなるということだろう。

「それで、店内のトマト落ちてんの?」

店先の百均市のトマトが売れると店内のトマトの売れ行きが落ちる

のは当然の成り行きだった。

「いや、そんなことはないですけど、ただ、今はものが少ないんで

様子が見えないですから」

「そうだよな」

さっきも言ったように、自然の恵みは思い通りにはならない。生産

者にしてみれば作った野菜をどこに出すかは前年実績に従って割り

振るしかない。小売業者にしてみれば仕入れを減らすことはこれか

らの仕入れが難しくなるのでそれだけはどうしても避けたい。流通

システムの中でそんな持ちつ持たれつの関係が築かれ、新規参入者

を締め出す装置になってしまっている。況して、それがオーガニッ

クや無農薬を謳うなら、農薬に頼った既存の生産者は厳しい目を向

ける。オーガニック野菜が人気になってもスーパーの店頭に並ばな

いのは量が足らないということもあるが生産者が量産できずに困る

ので締め出しているからなのだ。もっとはっきり言えば、農薬が売

れなくなる組合が困るから出荷の独占を盾にして締め出しているの

だ。もちろん薄利多売のスーパーもそれに同調している。しかし、

それらを根底で支えているのは消費者の購買動向である。


                                  (つづく)


「無題」 (八)―③

2012-08-24 04:30:26 | 小説「無題」 (六) ― (十)



         「無題」


          (八)―③


 私は、さっそく仕入れの責任者にデンワした。そのポストは躰を

壊すまで私が任されていた。私に代わって就いた男はバカ息子の息

のかかった若造で、実は、仕入れの経験はあったがこと青果に関し

ては何も知らなかった。

「あっ、竹内さん、おはようございます。どうしました?」

竹内とは私のことである。

「百均市のトマト、まずいかね?」

「あっ!あれね、実は、もう社長まで上がってるんですよ」

「お前が上げたんだろ?」

彼は黙っていた。バカ社長は私がやっている百均市を嫌っていた。

始めのうちは店内の売れ残りや在庫を並べていたので文句は言わな

かったが、そのうち、近隣農家と掛け合って直売させたり(運賃も

人手も要らない)、または規格外やオーガニック野菜を並べ始める

と、と言うのも、毎度同じものばかりだと客も飽きてしまって寄り

付かなくなっていたので、すると、途端にバカ息子の態度が変わっ

た。それでも、私が仕入れを任されている間は何も言わなかったが、

躰を壊して入院すると止めさせるまではしなかったが、さっそく以

前のように売れ残りの処分市に戻させた。そして、再び客は寄り付

かなくなってしまったので、私が再びテコ入れに乗り出したところ

だった。

「竹内さん、社長から何か聞いてます?」

「別に」

「もう止めるんですよ、百均市」

「えっ!何で?」

「わざわざ店先でやらなくても店内でもできるだろって。それに、面倒

な割に儲からないから」

確かに、価格変動の激しい生鮮野菜を何でも百円の値を付けて売る

には、野菜を切り売りするわけにもいかず、赤字覚悟で並べるもの

も少なくなかった。しかし、トータルで見れば決して損はしていな

いはずだった。それに、確かに処分品なら何もわざわざ店先で売ら

なくとも値引きして並べれば済むことだが、そもそも、彼らは百均市

の本来の主旨を理解していなかった。

「儲けにはならないけど客は呼べるやろ?」

「それもここんとこ減ってますしね」

「それはお前らが処分品ばかり出すからじゃないか」

「それが面倒なんですよ、売れるのを探すのが」

「もう、わかった」

実際、私も普段の仕入れの仕事以外に何か目新しいものはないかと、

時には自然農法を実践している生産者を訪ねたりもした。すでに人

気を得てるものはとても百円の単価では出せなかったので、寝て果報

を待つことはできなかった。そんな水溜りにさえも竿を垂らすような徒

労を繰り返して躰を壊してしまったので、彼にもそれ以上強いる気には

ならなかった。


                                      (つづく)


「無題」 (八)―④

2012-08-23 02:21:31 | 小説「無題」 (六) ― (十)



               「無題」


                (八)―④


 私は自分の仕事そっちのけで早速社長にデンワした。

「おはようございます、社長。竹内です」

「あっ、竹内さん。おはようございます。躰の具合どうですか?」

「ええ、お蔭で随分良くなりました。ところで、社長、百均市やめ

るんですか?」

「あっ、その件。竹内さんにはまだ言ってなかったのかな、実は、

この前の店長会議で決まったんですよ。もうすぐ回覧板が回ると思

いますけど」

回覧板とは社内報である。

「何で止めるんですか?」

「んー、ほら、いましんどいでしょ。それで、事業仕分けで見直すこと

になったんですよ」

しんどくなった最大の原因はお前がイカサマを命じて信用を失った

からじゃないかと心の中で叫んでいたが、まさか声にするわけには

いかなかった。

「竹内さん、デンワ入ったんで切りますよ」

いまや小売業界は日ごとに干上がっていく池の中で、生きもの同士

がぶつかり合って泳ぐこともまゝならず、遂には、横にしていた体

を縦にして水面から頭をもたげて辛うじて息を継いでいた。最早い

かなる試みも時機を逸し小手先の安売りで凌いでいたが、一つ沈み

二つ沈みすると待ち構えていた大手がそれを飲み込んだ。提案され

る企画も大手の後を追う新鮮味のない二番煎じで、ジリ貧の業績を

上昇させる予感さえ抱かせなかったし、たとえ斬新な企画が提案さ

れても身に滲み着いた全体主義から排他され、プレゼンの段階で身

内の敵に足を引っ張られて潰された。何よりも、淀んでいく池の中

ではどう足掻いたとしても、ぬるま湯の釜に浸かったカエルのよう

にすでに抜け出す術もなく、ただ運命に身を任せるしかなかった。

やがて、何時しか職場には閉塞感から抜けられない諦めから自分を

守るために排他的な無関心が支配した。水面に口を突き出して天を

見上げながら救いを求めたが、天は無慈悲にも釜の下の焚き木に

火を点けた。流れを変えると公約して期待していた民主党はあろうこ

とか消費税の増税法案を成立させた。我が国は、既得権益に巣食う

アンシャン・レジームを淘汰できずに失われた時代の「継続」を選択し

たのだ。

                                    (つづく)


「無題」 (八)―⑤

2012-08-22 18:08:52 | 小説「無題」 (六) ― (十)



           「無題」

         
            (八)―⑤


 私は、デンワを離さず、かつて一緒に働いていた店長に繋いだ。

「おはようございます、竹内さん」

「おはよう、店長」

「どうかしました?」

「悪いね、忙しい時に。あのー、百均市だけど、店長会議で止める

ことに決まったの?」

「えっ!あれは確かに事業仕分けの対象にはなりましたけど、僕ら

反対しましたからね、今まで続けてきたし竹内さんも頑張ってるか

ら。それに、いまトマトとか売れて客増えてますからね」

「うん」

「それで、ちょっと言い合いになって、そこで社長が預かると言い

出して、まだ結論は出てないはずですけど」

「いや、いま社長にデンワで聞いたら店長会議で中止が決まったっ

て言ってたよ」

「えっ?何で・・・。また社長の独裁ですよ」

「店長、よくわかった。ありがとう」

もちろんスーパーの店長は「名ばかり店長」では務まるわけがない

が、しかし、我々の店長会議は「名ばかり店長会議」と呼ばれてい

て、社長の意に沿わなければ社長が預かって決裁する。我々の会

社では大事な事案は齟齬の中に裁定される。かつて、それに憤懣

を堪えられなくなった老いた店長が、「ここは北朝鮮か!」と捨て台

詞を残して辞めて行った。それから、店長会議のことを「人民会議」

とも呼ばれるようになった。異論は排される、ただそれだけのことだ。

 私は、自分の机に座ってもう迷うことなく辞表を書いた。手元まで

差し込む朝日が何故か夕日のように思えた。



                                   (つづく)

「無題」 (八)―⑥

2012-08-22 04:23:15 | 小説「無題」 (六) ― (十)


                  「無題」


                   (八)―⑥


 辞表を叩きつけて、「ここは北朝鮮か!」とは吐かないまでも、

すぐにも会社を後にしたかったが、妻や子どもたちのことを思い出

してそれを懐に仕舞った。それでも、一時もここには居たくないの

に居なければならいストレスから治まっていた胃痛が始まり、血の

気が引いていくのがわかった。私は、課長のところへ行って「躰の

具合がおかしいので帰らしてくれ」と言うと、私の顔色を見て、よ

ほど血色が悪かったのか何も言わずに認めてくれた。

 その日以来、わが身を会社に奉ることはなかった。もちろん、妻

にもありのままを話して、さすがに彼女も「身を惜しまず働け」と

は言わなかったので納得してくれた。そして、話しはこれからどう

するかということになったが、私は、これからのことはこれから考

えるしかないとしか答えられなかった。ただ、私の頭の中に浮かん

でいるのは、どれほどあくせく働いても今や時代は逆風の中にあっ

て思い通りには飛ぶことができない。それは、自分は風に逆らって

反対側に行こうとしているからではないか。順風に乗って飛ぼうと

思えばまず自分の行き先を諦めることだ。突然、神風が吹いて風向

きが変わり日本が再びかつてのような成長をするなどとは到底思え

なかった。それどろかますます衰退していく可能性の方が現実では

ないか。私は、彼女がどんな夢を思い描いているのか知らないが、

「豊かな老後」は諦めなくてならないと説得できるほど、風任せの

今後の生き方に自信を持っているわけではなかった。ただ、残され

た人生を他人に迷わされず自己を失わずに生きていこう、今ならま

だ間に合う。それは、あの山路を歩きながら思い到った「死線」か

らの生き方に繋がっていた。常に頭の中に去来するのは、自分は地

球内存在であるという意識だった。つまり、地球を凌駕した人類の

欲望は叶わない、ということである。すでに、「人々が望む豊かな

生活X 七十億万人 X t (時間)≧  E (地球) 」 なのだ。我々

は今の豊かさを望む限り他人の権利を奪い取るほかないのだ。

 事務の女性は来年の春まで留まっていれば色んなことで得をする

ので考え直すように説得した。私は、その話は前に聞いてはいたが

すっかり忘れてしまっていた。ああ、それで今まで辞めるのを思い

留まっていたのか、とその時気付いたが、もう躊躇わなかった。そ

の金を手にするためにどれほど自分自身を犠牲にしなければならな

いか、失われた時間がそれに見合うとは思えなくなった。大袈裟に

言えば、私は自分の価値判断を転換させたのだ。ただ、妻が、私の

自分勝手な転換を受け入れてくれるかどうかが唯一の不安だった。



                                  (つづく)