「明けない夜」
(十一)―⑦
ここで、竹口さんの「広島風お好み焼きラーメン」がいったいどんなも
のだったのかがよく分る、その当時食べたことのあるお客さんのブログ記
事があるので掲載します。
* * *
「広島風お好み焼きラーメン」(再掲載)
私がいま住む町は、山陽と山陰を分かつ中国山地の山間地に位置
し、その盆地の地名は一説には三本の河川が交わるところから名付
けられたというほど長年の河による山の侵食とその堆積によってわ
ずかばかりの平地が形作られて、古くから山陰と山陽の交通の要所
として賑わいその名残は旧市街地に今も微かに留めている。高度成
長期に背骨のように縦貫道路が貫通し、それ以来の夢であった山陰
と山陽を繋ぐ横断道路は何度も構想されては頓挫していたが、とこ
ろが、政権交代による政策転換からアベノミクスの財政緩和で再び
公共事業が見直され一転して陽の目を見て、まもなく山陰と山陽が
高速道路で繋がり、その先は瀬戸内海を跨ぐ「しまなみ海道」へと
繋がり四国へも延びようとしている。当初は片側二車線の高速道路
を計画していたが、日本経済の停滞と軌を一にするように見直され
て実際は一車線道路に落ち着いた。それでも、山また山の「やまな
み」を串刺しするように走る道路の工事は難航して、まずは比較的
平坦な沿岸部からの二方向から山間部へと攻め上がるように着工さ
れてその一部はすでに開通したが、後は中国山地の難所の所どころ
に破線のように造られた道路を繋ぐばかりだが、それでも山の中腹
をくり抜いて思わぬところから顔を覗かせたトンネルの出口とその
先のトンネルの入口を地上の遥か上空にまで橋脚を立てて繋ぐ工事
は容易ではない。先日は、山陰の町から私の住む町までの開通式が
行われたが全線開通は来年の予定である。
少し経ってから試しに走ってみたが目に映るものは山肌を削った
あとの法面とトンネルばかりで、まるで水路の中を流れているよう
で、当てもなくただ「流れる」ことに飽いて最初の出口でウィンカ
ーを点けて近くにオープンしたばかりの道の駅で休もうと思ったら、
すでに駐車場が一杯で仕方なく行き交う車もない市道を走っている
と、しばらくすると道の前方に一軒の店があった。看板には「広島
風お好み焼き」と書かいてあったが、ところがそのすぐ後に「ラー
メン」と書かれていた。遠くから見るとそれはまるで「広島風お好
み焼きラーメン」と書かれた一つの看板のように見えたが、近くま
で来ると別々であることがわかった。店の前のガラガラの駐車場に
車を止めて、このまま引き返して帰ってしまうのは口惜しかったの
で、何の期待もせずに話しのネタにと思って、まあ腹も空いていた
ので車を降りた。
横長の一軒の店舗だったがドアが二つに分かれていて、一方のド
アの上には「広島風お好み焼き」と書かれた先ほどの看板があって、
もう一方のドアの上には「ラーメン」と書かれた看板があった。私
はそれを斜めから見て「広島風お好み焼きラーメン」と勘違いして
しまったのだ。どっちにしようかと迷いながらラーメンの方が調理
が早いと思ってそのドアを入ると、入口は別々だったが何のことは
ない、店の中で繋がっていた。10席ほどのカウンター席だけで、
カウンター越しに厨房のあるよく見かけるスタイルだったが、その
カウンター台はちょうど真ん中から先には鉄板が敷かれていた。「
いらっしゃい」と、店の端にあるテレビを観ていた亭主が座ったま
ま商売気のない応対をした。鉄板の敷かれたカウンター席の奥では
奥さんらしき女性がカウンターに俯せになって寝ていた。「しまっ
た!」と思ったが引き返すのは体裁がわるかった。私は、カウンタ
ー席に仕方なく腰を下ろして台の上のメニューを見ながら、何か口
実を見つけてこの店を退散する方法がないものかと考えていた。と、
その時、さっきの勘違いした看板のことが閃いた。私は、さすがに
そんなものがあるわけがないと思ってメニューも見ずに、
「あのぉ、看板見たんですけど、広島風お好み焼きラーメンってあ
ります?」
と、亭主の方が断るだろうと思って注文すると、亭主はあっさりと、
「できるよ」
と答えた。そして、奥で寝ている奥さんに、
「かあちゃん、陰陽(いんよう)ラーメン!」
と告げると、彼女は背を起こしてスクッと立ち上がった。私は茫然
としながら「えーっ!できるんか!」と焦ったが今さら断ることが
できなかった。
それは、まさに「広島風お好み焼きラーメン」そのものだった。
奥さんは鉄板で少し小さめだが香ばしく焼いた太めの拉麺を挟んだ
肉厚の広島風のお好み焼きを焼き上げると、亭主はそれを平ための
丼に受けてラーメンスープをかけた。私はその様子をカウンター越
しに、時には立ち上がって眺めながら、その手際の良さは決して今
始めて試みているとは思えなかった。そして、
「はいよ」
と、出された「広島風お好み焼きラーメン」を呆気にとられて見つ
めていると、というのもスープに浸かったお好み焼きの表面には陰
陽道の大極図が描かれていたのだ。亭主が、
「冷めちゃうと不味くなるじゃろ」
と言ったので、私は、
「あのぉ、これ、どうやって食べたらいいのですか?」
と尋ねると、
「口で食わにゃあ」
と冗談を言ってから、
「まず、そのお好み焼きの皮を破って中の麺をラーメンのようにし
て食べてみな」
そう言うので、私はお好み焼きソースと山芋のすりおろしのようだ
が器用に描かれた大極図の真ん中を少し硬めの表面の皮を箸で破っ
てから中の焦げた麺を啜るとそれはまさしくラーメンだった。スー
プは乾燥魚介を使った和風のあっさり味だったが上に掛った調理さ
れた山芋のトロロがお好み焼きソース独特の酸味を柔和させ絶妙に
組み合わさって香ばしい麺に絡んだ。それはこれまで味わったこと
のない不思議な味だった。私は豚骨系のスープがまったくダメで、
特に背脂とか聞いただけで何故か肥満オヤジの脂ぎった背中を思い
出して吐きそうになる。やがて、脇に追いやっていた蒸されたキャ
ベツやお好み焼き本来の具を口にするとそのスープと絡みながらも
それはそれでしっかりと広島風お好み焼きの味を堪能することが出
来た。私は思わず、
「美味い!」
と言った。ボリュームに圧倒されながらも、あっという間に「広島
風お好み焼きラーメン」を平らげた。すると亭主は始めて愛想を浮
かべた。食べ終わって、私は亭主に、
「でも、何でこんなメニューを考えたのですか?」
と訊くと、亭主は、
「あんたのように何人も勘違いしてそれを注文するもんじゃけぇ、
作ってみようと思ったんじゃ」
彼らは、最初はお好み焼き屋を始めていたが、思い通りに客が増え
ず、そこで亭主がいま流行りのラーメン屋に変えようと言ったが奥
さんが頑としてお好み焼き屋を譲らないので仕方なく両方始めるこ
とになったらしい。そして、その店の看板から「広島風お好み焼き
ラーメン」が生まれた。つまり、看板から生まれた本当の「看板メ
ニュー」だった。
「いやぁ、それにしてもこんな変わったラーメンは始めてですよ。
是非ブログでお店の紹介をしたいので写真を撮ってもいいです
か?」
と訊くと、
「いやいや、まだ創作段階じゃけえ、それだけは堪えてくれ」
亭主が言うには、今はまだお好み焼きソースの「陰」とラーメンス
ープの「陽」の絡みがいま一つ納得できないで試行錯誤している
からそれは困ると言った。
「まあ、陰陽(いんよう)道が繋がる頃には完成させるつもりじゃ
けん」
「えっ!陰陽道?」
「ああ、陰陽道」
山陰の松江と山陽の尾道を繋ぐ横断道を地元では「陰陽(いんよ
う)道」と呼んでいる。さすがに「おんみょうどう」とは発音しな
いが、山陰の「陰」と山陽の「陽」から単純にそう呼ぶようになっ
たにしては何とも妖しい名前である。亭主はお好み焼きとラーメン
のまったく異なった食べ物のコラボレーションを、それにあやかっ
て「陰陽ラーメン」と名付けた。というわけで、 「広島風お好み焼
きラーメン」の写真や店の場所をブログに載すことができないのは
残念ですが、「陰陽道」が開通する来年まであと少し待ってください。
それにしても、「広島風お好み焼きラーメン」はユニークで美味
しかった。きっとB級グルメグランプリにも出せばぶっちぎりでグ
ランプリを獲るに違いない。ただ、それまであの店が持つかどうか。
(つづく)