(童話)万華響の日々

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阪神・淡路大震災23年経過に思う

2018-01-18 20:37:37 | 生と死を想う

阪神・淡路大震災から23年過ぎた、約6400人が犠牲となった、夕刊を見ていたら被災した人があの時から時計が止まったままだと、それでも年月は流れ23年もたってしまった、時計が止まったままだという人は多い、災害や事故や自殺などで愛する子や兄弟親が逝ってしまった家族にとってはみなそうである、後に残された者にとって、親族の死から後の人生がどんな意味があるのかと何度も問う、残されたものの心には矢が突き刺さったままなのだ、下手に抜こうとすると傷が大きく空いてしまってどうしようもなくなる、そのままにしてじっと時の流れに身を任せるしかないかもしれない、同じような体験をした人に話すのもよいとわれる

一つの救いへの道は、難しいかもしれないが、聖書のヨブ記を読む道もある、そこには「神が与え,神が取り去りたもうた,神の御名は褒むべきかな」と書かれている、裸で母の胎から出てきたのだから裸で死んで逝っても何の不思議もない、というのである、

この世では伴侶ができ子ができ孫もでき、富や財産も得るであろう、だがすべて神から与えられたものなのだ、ヨブは家族も財産も自分の健康もすべて失った、それでももともと自分はそういう無一文で生まれて来たんだから無一文で死んでも文句はないというのだ、この境地に至ることはかなり難しいが神に祈れば不可能なことではないであろう、そのとき思いもよらない慰めが与えられるであろう


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