透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「木精」 北杜夫

2006-10-03 | A 読書日記

 先日、東京へ日帰りで出張した。私には車中は最適な読書空間。

『木精(こだま)』北杜夫/新潮文庫を持参した。往路の3時間に加えて、セミナーの休憩時間で読了した。再読することはあまりないが、この小説と『幽霊』だけは繰り返し読んできた。81年、96年、00年に続き今回で4回目だ。

人妻との不倫関係を清算するためにドイツに留学した青年医師が、帰国する直前トーマス・マンゆかりの地を辿る旅に出る。旅の終りに作家として生きることを自覚して『幽霊』を書き出す・・・。

不倫関係の清算などと書いてしまうと、なにやら俗っぽい小説のようだが、たまたま恋した女性が既婚者だったということだ。それはあたかも初恋物語のように初々しい。
 
**ぼくは椅子にかけた女に近づき、その腕を調べようとして、なにげなくその顔立ちを見た。すると、幼いころから思春期を通じて、ぼくが訳もなく惹きつけられていった幾人かの少女や少年の記憶が、たちまちのうちに、幻想のごとく立ちのぼってきた。あの切り抜いた少女歌劇の少女の顔にしても、たしか片側は愉しげで、もう一方の片側は、生真面目な、憂鬱そうな顔をしてはいなかったか。その女性―まだ少女っぽさが残っている彼女の顔は、あの写真の片面同様、沈んで、気がふさいで、もの悲しげだった。**

蕁麻疹の治療のために往診して初めて会った女性の最初の印象はこうだ。

**君を愛したということは、或いはぼくの人生が表面的な不幸の形で終るにせよ、なおかつ幸福であったといえることにつながるのだ。倫子、ではさようなら。ぼくは自分のもっと古い過去の時代に戻っていかねばならない。それを書き造形することがぼくの孤独な凍えた宿命なのだから。**

物語の終盤でこの恋を主人公はこのように総括する。

そして「人はなぜ追憶を語るのだろうか」に続けて「どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。・・・」と『幽霊』を書きはじめる。
『木精』は『幽霊』の続編とされているが、『木精』『幽霊』の順に読むのもいいかもしれない。次回はそうしたい。

この小説を越える作品などないということを確認するために読書を続けているようなものだ、と書いてしまおう。


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