透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

もし月が2個だったら・・・

2011-10-18 | A あれこれ

■ 地球の衛星は月が一つだけだが、他の惑星のようにいくつもあったら生活習慣などが全く違っていただろうな、と思う。月見うどんのタマゴの数だって・・・。以前ブログにこんなことを書いたことがありました。 過去ログ



昨日(17日)の朝刊に「月はかつて2個だった?」という見出しの記事が載りました(写真)。

**かつて地球の周りを2個の月が回っていた時期があり、それが衝突・合体して1個の月になったとするコンピューターシミュレーション結果がまとまった。** と記事のリード文にあります。月の表側と裏側の様子がかなり違うこと(新聞記事の右側の上下2枚の写真)をうまく説明できる新説として注目を集めているそうです。

今から45億年前の天体衝突によって、大きな月と小さな月が誕生し、数千万年の間、安定した軌道を回っていたが、やがて小さな月が大きな月に衝突して、つぶれて月の半分を覆い、大きい月内部のマグマが反対側に押しやられた・・・。この記事を読んでおもわず「なるほど」と声に出してしまいました。確かにこの説なら月の裏表で表情がかなり違うことをうまく説明できます。

もしこの天体衝突が起こらず今でも月が2個だったら、月見うどんのタマゴの数は2個、ということになっていたかもしれません。でも月はやはり1個の方がいいです。



「日本人の論理構造」を読む 2

2011-10-18 | A 読書日記

言葉からとらえた日本人の心性

■ 「第9章 明日は試験があった」において、著者は日本人が時間も空間も多視点、つまり視点を固定させず、自由に動かして捉えることについて論考している。

三島由紀夫の「潮騒」の文を取り上げ、**一つ一つ対象が変わるたびに、単に空間的な距離感が変わるだけでなく、時間的な距離も自由に動いている。(147頁)**と、作者の眼の位置、つまり視点がつねに観察の対象というか、描写の対象の直前に移動すると指摘している。

著者は川端康成の「山の音」の文も例示して、**ナレーターの時制の現在と過去、主人公の時制の現在と過去と四つの時制が、微妙に入り混じっていて、読者は本当は目まぐるしく飛び廻らなければならない。**と書くが、続けて**けれども、この時空の遠近法は、日本の読者にはごく自然に受けとられるはずである。(151頁)**としている。

このような手法は平安時代の例えば「蜻蛉日記」にも見ることができるという。浮世絵も同様で、固定的な視点からの遠近法に従わない描法だとし、絵に影をつけないという浮世絵の特色も視点の移動によるものだと指摘している。

この章の最後からの引用。**竜安寺の庭をはじめ、日本の庭園はどの方向から見ても美しく見えるように工夫されている。視点を自由に動かす遠近法によって生まれた美である。庭のみならず建築などでも一般に左右均整をきらうのは、左右均整の配置によって生まれる平面が多視点の美には不都合であるからであろう。(158頁)**

多視点の美か・・・、なるほど。


 メモ:板坂 元(1922年―2004年) 1950年、東京大学文学部国文科を卒業。ケンブリッジ大学やハーバード大学で日本文学・日本語を講じた。