■ 今日(16日)の朝刊にかなりスペースを割いて大学入試センター試験(第1日)の問題と正解が掲載されている。
小さな活字がびっしりの問題を読むのはシンドイ。それでも国語は誰の文章から出題されているのか関心があるので、目を通す(過去ログ)。
第1問は鷲田清一氏の「身ぶりの消失」(『感覚の幽い風景』)からの出題だった。建築家・青木淳氏の論考を引用した評論だが、問題文にはこんなくだりがある。**住宅は、いつのまにか目的によって仕切られてしまった。(中略)用途別に切り分けられるようになった。(中略)行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である。**
問5でこの引用文中、私が太字にした部分の意味を問うている。5つの選択文から最も適当なものを選べという問題だが、正解は文脈から、現在の住宅は目的ごとに仕切られていて、つまり空間が機能と個々に対応付けられていて、複数の用途への対応とか、他者との新たな関係をつくりだす可能性が低下している、という文意の①。
確かに。現在の住宅に対するこのような認識に異を唱えるつもりは、無い。大半の住宅はまさにこの通りだろう。だが、これは住宅の設計理念の「今」ではない、既に過去の考え方だ。
今、建築の設計では空間の用途を限定せず、そこに身を置く者と新たな関係をつくりだすということに主眼が置かれている。青木淳氏が引用文中に書いている「遊園地」ではなく「原っぱ」こそ現代の建築が目指すものなのだが(「せんだいメディアテーク」然り、塩尻の「えんぱーく」然り)、これは住宅の設計理念でもある。
問題文に示された住宅観、これは過去のものになるつつあるのではないか、と思いながら読んだ。
いやいや、この評論で鷲田氏は現在の住宅は設計者の理念、意図に反し、単なるホワイトキューブであって、「空間と身体との関係性」が断ち切られているではないか、と暗に指摘しているのではないか? そうか・・・。これは建築の本質的な問題を突く建築論としても読めるのか・・・。
受験生はこんな読み方をする必要はもちろんないが・・・。
メモ)
青木淳 『原っぱと遊園地』王国社