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■ 「ぼくはこんな本を読んできた」 本稿からはパラフィン紙のカバーがついた文庫ほど古くはないものを載せていく。まずは『寺田寅彦随筆集 第一巻』小宮豊隆編(岩波文庫1994年第76刷)。
物理学者にして優れた随筆の書き手でもあった寺田寅彦。夏目漱石の門人で「吾輩は猫である」には寅彦がモデルと言われる人物(水島寒月)が登場する。
寺田寅彦随筆集は岩波文庫で第一巻から第五巻まで出ている。残念ながら手元にあるのは第一巻のみ。岩波はこの随筆集を絶版にはしないだろうから、今でも書店で入手できるだろう。
「科学者と芸術家」には次のようなくだりがある。**観察力が科学者芸術家に必要な事はもちろんであるが、これと同じように想像力も両者に必要なものである。(中略)一見なんらの関係もないような事象の間に密接な連絡を見いだし、個々別々の事実を一つの系にまとめるような仕事には想像の力に待つ事ははなはだ多い。また科学者には直感が必要である。古来第一流の科学者が大きな発見をし、すぐれた理論を立てているのは、多くは最初直感的にその結果を見透した後に、それに達する理論的の径路を組み立てたものである。**(91、92頁)
建築設計にもこのようなことが言えるだろう。直感的に見出した最終的な形に、後からそれに至る理路を導き出すというデザインプロセスを採るのだから。このことに関して僕は以前次のように書いている。
**なんとなくコーンが好きですから・・・などという説明では発注者はその採用を渋るかもしれません。採用するデザインにいかにもっともらしい理屈を後からつけるか、建築に限らず広くデザインにかかわる人たちに必要な能力、といってもいいでしょう。そう、はじめに理屈、理念、コンセプト(どの言葉でもいいですが)ありきではなく、それはあくまでも後から考えだすものなのです。結果(デザイン)から川を遡って源流の理念、コンセプトに到達するんです。**(2007.07.12)
■ このところ、文庫は再読することが多かったから、買い求めて読むのは久しぶりだ。
私が読む文庫は大半が新潮文庫だが、ちくま文庫には建築関係のものが少なくないから、時々チェックする。昨日(17日)『増補 みんなの家。建築家一年生の初仕事と今に異なって思うこと』光嶋裕介(ちくま文庫2020年第1刷)を見つけ、早速買い求めて読んだ。初仕事を本にまとめることができたなんて、とてもすばらしい。
光嶋さんの建築家としての初仕事となった内田 樹(たつる)氏の道場兼住宅(凱風館)の設計から完成までの記録。文庫化にあたって今の思いを全26章に加筆したという。解説は鷲田清一氏。
発注者、構造設計者、工務店の担当者、様々な職種の腕の良い職人(大工、土のことは俺に任せろの左官職人、そして瓦職人はあの山田脩二さん、京都は美山町の杉・・・)。光嶋さんの積極的な行動が実にラッキーな出会いを生む。人と人のつながりって大切なんだなぁ、と改めて思う。
発注者である内田 樹氏には多くの著書があるが、この道場兼自邸・凱風館についても設計者の光嶋さんとの出会いから完成、暮らし始めてからのことなどをまとめた『ぼくの住まい論』(新潮社2012年)を出している。読み比べてみるとなかなかおもしろい。
メモ:書棚について両書から引用
**僕はひとの家に行くと、必ず書棚に見入る癖があります。(中略)書棚に並ぶ本は「自分はこうした本を読むような人間でありたい」というその人の意思表示だと思うからです。(中略)あたかもその人の脳のなかを覗いているようで、面白いものです。**「みんなの家。」(202頁)
**本棚はその人自身の「理想我」の表れだとぼくは思っているんです。(中略)本棚の整理というのは、自分がなにものであるのか、なにものでありたいのかを省察する好機なんです。(中略)書棚というのはつよい教化的な機能を持っている。(中略)その人が「どんな人だと思われたがっているか」を示すものです。**「ぼくの住まい論」(35、36頁)