透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「物の本質について」ルクレ―ティウス

2020-07-05 | H ぼくはこんな本を読んできた



 減冊後に残った文庫本は約250冊。その中にはパラフィン紙のカバーがついた古い文庫本が何冊かある。『物の本質について』ルクレ―ティウス(岩波文庫1977年第11刷)もその内の1冊。パラフィン紙のカバーを外して出てくる表紙と帯は意外なほど劣化していない。ぼくはこの文庫本を国立駅前にあった東西書店(*1)で1978年8月19日に買い求めている。42年も前のことだ。

**雄大な叙事詩風六脚韻にエピクロス的自然観を盛りこんだ哲学詩。古代思想の異彩たるこの派の原子論的唯物論の無比の文献である。** 青い帯にこのような紹介文があるが、このようなとっつきにくい内容の本をぼくは本当に読んだのだろうか。

当時は今以上に何でも読んでやれ精神が旺盛だったのかもしれない。


*1 国立の東西書店は2015年8月31日に閉店してしまった。ぼくの古い記憶に符合する書店が無くなってしまったのは実に残念だ。


松本市笹賀中二子の道祖神

2020-07-05 | B 石神・石仏


撮影日2020.07.05

 火の見櫓(1243)の脚元に祀られている道祖神。真円に近い枠内に衣冠姿の握手像が彫り込まれている。像に損耗は殆ど見られず、古いものという感じはしない。裏面には「中二子」という地域名と松本町の石工名が記されている。建立年は見当たらなかったが、松本が市政を施行し、松本市になった年は1907年(明治40年)だから、それ以前ということになる。

火の見櫓の脚元に道祖神が祀られていることは珍しくない。災いから集落を守るという役目も同じだ。

道祖神は塞の神(サエノカミ)とも呼ばれる。塞(サエ・サイ)は訓読みすれば「ふさぐ」だがこれは厄病神の集落内への進入路を塞ぐという意味と解して良いだろう。新型コロナウイルスの侵入も阻止してくれているのかもしれない。


中二子:なかふたご


1245 松本市笹賀上二子の火の見櫓

2020-07-05 | A 火の見櫓っておもしろい


1245 松本市笹賀上二子 3脚86型 撮影日2020.07.05

 前稿に載せた中二子の火の見櫓からおよそ700m南、上二子の火の見櫓。東西に延びる生活道路沿いに立っている。上は火の見櫓を西側から、下は東側から見た様子。絵になるのは上。手前の蔵が大きすぎてまとめにくいかもしれない。





急勾配の屋根のてっぺんの団子状の冠蓋(かんがい)に突き刺したような避雷針と矢羽形の風向計。梯子を踊り場の床からこのくらい突き出してあると昇り降りしやすい。このような配慮はうれしい。



このアングルだと屋根と見張り台の平面形が分かりやすい。伝えたいことを的確なアングルで撮りたい。



櫓の中にきっちり納めた踊り場。ここでも下側の梯子を床面より上まで伸ばしてある。



柱を円弧状に曲げた部材で繋いでいる。脚部のデザインとしてはオーソドックス。


 


1244 松本市笹賀中二子の火の見櫓

2020-07-05 | A 火の見櫓っておもしろい


1244 松本市笹賀中二子 3脚33型 撮影日2020.07.05



 まだまだ見ていない火の見櫓が自宅からそれ程遠くないところにある。長野道の塩尻北ICと松本ICの中間東側にある笹賀中二子の集落内に立っている火の見櫓。3角形の櫓に3角形の屋根、3角形の見張り台という組合せはこの辺りでは一般的なタイプ。



避雷針に細い丸鋼の小さい飾り、軒に同材の蕨手を付けてある。屋根の下にはすき焼き鍋のような双盤を吊り下げてある。隅切りをした3角形の見張り台。手すりはシンプル。



梯子は上端を広げて見張り台の鋼板製床の開口幅に合わせてある。



櫓中間の簡素な踊り場。




脚元に道祖神(別稿で紹介したい)を祀ってある。



ブレースの端部納め櫓の外側で留めている。これは珍しい。


 


永井荷風の「夢の女」を読み終えた

2020-07-05 | A 読書日記

320

 永井荷風の『夢の女』(岩波文庫2019年第7刷)を読み終えた。

印象に残るくだりを引く。**お浪はあたかも人なき深山の谷川辺に行暮れたような心持になって悲し気に空の方を仰いで見ると、一天拭うが如く鏡の如き十三夜の月は丁度自分の頭の上に万里の清光を漲らせている。お浪は実(げ)に今宵ほど立派に晴れ渡って夜の大空をかくまで限りもなく広々と打仰ぐ機会はなかったに相違ない。玲朧(れいろう)たる月の世界や、烟にような天河の他に、ありとあらゆる天体は、尽く爛々たる怪光を放って、蒼穹(そら)の上に浮かんでいるのである。**(165、166頁) 

かつての東京にはこんな夜があったのだ。その空を仰ぎながら主人公のお浪は自身の境遇を思う。引用を続ける。

**しかし今この無窮なる空の有様を打仰ぎながら、なおも心の中に動いている長い過去の生活に接触すると、つくづく広い天地の間に、身一(みひとつ)の心細さを感ずると同時に、今日が日まで唯だ幻(うつつ)のように送って来た生活の夢から全く目が覚めたような心持がするのである。世に立つべき力なく思慮というものなき女の身一ッで、能く今日が日まで両親(ふたおや)と娘(*)に対して、重い責任を背負って来る事が出来たものだ。殆ど夢が夢中で何かしら自分の尽くすべきだけの事を尽くしていたなら、やがて知らず知らず人間最後の大い幸福(さいわい)の目的に達し得られるように思っていたが、吁、この世の中は決してそういうものではなかったろう。**(166,167頁)

* 筆者注:奉公先での不幸な出来事で身ごもってしまい、主人の妾に。この時まだ十代後半。波乱の人生が続く・・・。

23歳にしてこの境地を描いてしまう永井荷風。江藤 淳が『夏目漱石』を発表したのが22歳のときだったことに驚くが、永井荷風がこの『夢の女』を23歳で発表したということにも驚く。

後世に名を残す人はやはり才能がある、ということだ。


 


朝焼けの詩

2020-07-05 | E 朝焼けの詩


撮影日時2020.07.04 04:31AM

 今年もまた豪雨で大きな被害が出た。熊本では球磨川の氾濫で住宅地の水没が広範囲に及ぶ・・・。九州上空に停滞し続けた梅雨前線に暖かく湿った空気が流入して、線状降水帯が形成されたため、と今日(5日)の新聞記事に鹿児島県・熊本県に大雨をもたらした要因が載っている。

暖かく湿った空気か・・・、地球温暖化の影響で海水温が上昇していることが関係しているのであろう。災害列島日本、安心して暮らすことができるところがどこにあるのだろう・・・。

早朝、北東の空が鈍い赤に染まっていた。河川の氾濫で甚大な被害が出ていることを憂えているかのような空。暗澹たる気分。

さあ、元気を出して!