透明タペストリー

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「仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか」

2019-03-17 | A 読書日記



■ 『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』鵜飼秀徳/文春新書を読み終えた。

**新政府は万民を統制するために、強力な精神的支柱が必要と考えた。そこで、王政復古、祭政一致の国づくりを掲げ、純然たる神道国家(天皇中心国家)を目指した。この時、邪魔な存在だったのが神道と混じり合っていた仏教であった。**(はじめに 9頁)

なぜ廃仏毀釈、神社と寺院を分離する政策がエスカレートして寺院や文化財破壊にまで及んだのか、著者は全国各地に取材してその実相を明らかにしている。

松本は全国的にみても廃仏毀釈運動が激しかった地域、ということは知っていたが、具体的にどうであったかは知らなかった。本書では松本と苗木(岐阜県東白川村)について1章割いて紹介している。

松本では幕末時に164あった寺院が明治3年、この1年で集中的に廃寺に追い込まれ、8割近くの124ヵ寺が廃寺になったという。当時の知藩事の独断で推し進められたそうだ。明治政府の神仏分離令は神と仏の分離を目的としていたのに、為政者の拡大解釈により破壊行為に至った。

廃仏毀釈運動が激しかった松本、だが浄土真宗の寺院の多くが廃寺を免れているという。正行寺住職の佐々木了綱がリーダーとなって激しい抵抗を示したからだと本書にある。**廃寺帰農を迫る役人に対し、了綱が「政府から神仏分離令が出ていることは聞いているが、廃仏令なるものが出されたというのは本当か」などと理詰めで反論すると、役人は何も言えなくなったという。**(121頁)

また次のように、大町市霊松寺住職、安達達淳のことも紹介されている。長くなるが引用する。**達淳と向き合った岩崎は、(中略)「地獄極楽はこの世に実在しない。あるならここに出してみろ」
達淳は、「ただ今、お目にかけますゆえ、しばらくお待ちを」と返答すると、白装束に身を包んで現れた。そして、脇差を乗せた白木の三宝をすっと岩崎に差し出し、こう述べた。「では、地獄でも極楽でもお見せしましょう。しかし、地獄も極楽もこの世のものではなく、あの世にある。私がこれからご案内して、お見せするから、共に腹を召されよ。(後略)」**(129頁)

達淳はその後も、藩吏から度々廃寺を迫られるが、**「貴官は誰からの命令で廃寺帰農を強制するのか。太政官からか。それはいつどこで出されたものか。末寺は本山と密接な関係にある。本宗の本山とは協議したのか」などと反論し続けた。** (130頁)

達淳は謹慎を命じられ軟禁されるも、密かに上京、太政官に松本藩が勝手に廃仏令を出している旨を直訴したという。権力に阿ることなく、断固筋を通す、この生き方に深く感銘した。

**太政官は、「かくも立派な僧侶がいたとは」と感心し、廃仏令の撤廃を承認したという。**(130頁)このようなことがあって、松本では廃仏毀釈の機運が衰えていったそうだ。

このような出来事を知ることができただけでも本書を読んだ意義があったと思う。さて、次は何を読もう・・・。