透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

伊能忠敬の生き方に学ぶ

2019-03-09 | A あれこれ


撮影日19791010(3枚とも同日)



 佐原(現香取市)を訪ねたのは1979年10月10日、古い記録をたどって確認した。小雨模様だったとも記録にある。

当時は民家巡りをしていて、佐原の蔵造りを観に行ったのだった。その時、伊能忠敬が17歳から50歳まで30年余り暮らした旧宅も観ているが、当時は若くて忠敬の生き方に関心を寄せることもなかった。



当時の伊能忠敬旧宅外観(撮影日19791010)。現在はガードレールも撤去され、周辺もきれいに整備されているようだ。

「定活」(定年後の生活の準備活動 就活、婚活、終活に定活を加えるべき、という話を以前ラジオ深夜便で聞いた。過去ログ)を考える歳になり、伊能忠敬の生涯に関心を持った、という次第。

それで2冊の本を買い求めた(井上ひさしの『四千万歩の男 忠敬の生き方』講談社文庫を自室のカオスな書棚に捜したが見つからなかったので童門冬二の『伊能忠敬 日本を測量した男』河出文庫と共に6日の午後コンビニで注文し、8日の朝受け取った。送料・手数料がかからないし、早くて便利だが、書店のことも気になる)。



**緯度一度の正確な長さを知りたい―。忠敬が奥州から蝦夷地にかけての測量の旅に向かったのは、一八〇〇年、すでに家督も譲った五十五歳の春であった。傾きかかった佐原の名家に養子に入って家業を建て直し、隠居後は天文・暦学に精進し、身分の軋轢をはね返し、初めて日本の正確な地図を作成した晩熟の男の生涯の軌跡。**『伊能忠敬 日本を測量した男』童門冬二/河出文庫 カバー裏面の紹介文を引用した。

自分の生き方を見直す契機にしたい(この先なんとなくボーっと生きようとしている、そんな私にチコちゃんに叱られないですむように軌道修正するほどの元気があるだろうか・・・)。

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伊能忠敬の墓は上野の源空寺にある。調べるとJR上野駅から徒歩圏内。東京する機会に墓参しよう。