築堤に私財投げうち村人の
被災者救ふ梧陵の堤 樋田哲仙
浜口梧陵は広川町の偉人である。津波から村人を救済したばかりか、その後津波で打ちひしがれた被災者の働く場所を作るために、今後いつ襲うともかがらない津波を防ぐ防潮堤の築堤に私財を投じ、労働すことで日銭を稼ぎ、生活の足しにしたのである。7代目儀兵衛の梧陵は代々続く醤油の醸造家で資産家であり、庄屋を務めた。これが名を高めた篤実家の功績である。梧陵の堤は現在も残る。
被災者救ふ梧陵の堤 樋田哲仙
浜口梧陵は広川町の偉人である。津波から村人を救済したばかりか、その後津波で打ちひしがれた被災者の働く場所を作るために、今後いつ襲うともかがらない津波を防ぐ防潮堤の築堤に私財を投じ、労働すことで日銭を稼ぎ、生活の足しにしたのである。7代目儀兵衛の梧陵は代々続く醤油の醸造家で資産家であり、庄屋を務めた。これが名を高めた篤実家の功績である。梧陵の堤は現在も残る。