おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

なつかしい言葉 など

2016-03-19 | ■ サマザマな おはなし

(訳があって ほぼ 再掲か ともいうべき内容です
ご容赦を願います)

 

近頃 あまり聞かれない言葉

奇特
  (志が深く 行い難いことを 損得抜きで  
進んでする様子)

浄財
  けがれの無いお金(寄付される側からの言い方)

国の目が届かないところ お上に頼っても

どうにもなりそうでない場面では 

その地その地の 奇特家というような方がいて 

巷のあれこれになんとなく気を遣い
うまくとりなし 

物事を解決していた

そのようなときに 浄財 が費やされたりして

奇特な行いと 浄財が 程よく融合され 大仰でない 粋ともいえる善行で

どうにも救われない人々も 何とか生きながらえることができたりしていて・・・・

 

けっして お金に関わる問題だけではなく 

さまざまなことが つまるところは 奇特とか浄財で 濯がれていって 事もなく過ぎ

というような趣きがあったような・・・そんな時代だって わが日本にも あったような・・・・


17歳の子が 実の父から生を終えれるようにしてくれ
と言われ 
嘱託殺人を為さざるを得なかったというようなことが
あった    事の真実は 徐々に明らかにということであろうが
なんとも やりきれない思いがした

 

孤立した生活  関心を持たない かつ 持たれない生き様

関わろうとしない人生 手段を見出せなく 関わることから逃避する生き方

他の存在に無関心を貫くことに美学を見ている人の群れの影

次から次と これらの観念だけが 私の内で走り回り・・・

 

当事者のこと 周囲の関係者?を どうのこうの言っているわけでは けっしてありません

ただただ 悲しかっただけ

かたや 数億なにがしが ある集まりから某政治団体に寄付されたとか・・・というニュースも

あったりして

あからさまな 利益誘導と言われようが 何と言われようが
『自分らの言い分のため金の力を使うことの何処が悪いと言うんですか・・・他人のことなんぞ 
かまっていられるものですか
もっと もっと あからさまな得手勝手なんぞ世の中に ワンサカあるでしょう 
そうは思いませんか・・ 

どこか 間違っていますか どう思います なんか 言いたいこと あるとでもいうんですか
学恩も 正義も 清く正しくも そんなもんに拘っておられるもんですか
なに不自由なく 勉強だけしていられた連中なんぞだって
自分の恵まれた境遇を世間に感謝して それに幾分か
感謝の心を尽くさなきゃ 勉強したくてもそれが叶わなかっ
た級友や人々に申し訳ない なんて思う輩 いまどき 世に見かけるかってェんですよ
昔はそんな偉人にも似たような名も無い人も けっこう居た なんてェこと 親から聞いたこと
あるけど
今時には どこにも とんとお眼にかかれない話ですよ
まァ 悲しいというか 淋しすぎること
ではありますけれどネ

恥の観念なんぞ そんなもん気にしていたら

損だけ受け取らされて 取り残されるだけじゃ と すごんでいるような

これも なんともやりきれない このごろの風潮 ?

なんのかんの言っても たかが 人のすること ?
やれ 不倫がどうの 
薬に頼る弱さがどうの
賭博も ときには いたいしかたないとかどうとか
経歴ごまかしなんぞ たいしたことナイデショ とか 
まっとうに役をこなしている政治家・有識者なんてェのが 今の
この国にいるのか とかどうとか
力を授かっているものどうしが 互いに 相手の傷を さらに
せめぎあっているような
あさましいにも ほどがあるような・・・・

今の日本の淀み 
どのあたりから 少々どころか ハッキリと
狂ってきているのか

我が国の正体を見せつけられているような ニュースが なぜか あいかわらず 多すぎる

これからの 子供たちの未来に 
あまりに無責任のような
勝手すぎるような・・・みっともなさ過ぎるような・・・

でも けっして希望は捨てません
諦めきっては あまりにもさびしすぎます

この世の毒と濁り水の浄化に ほんの少しでも効くような

奇特と浄財の類の行い
けっして大仰でない さりげない 清さの重なりを
懸命に生きなければならない子供たちのための包みにしたい

潔い 

さりげない 生き方の手本

難しいこととは思うけれど

親として

大人として

地上に生を受けたものとして

なんとか 汗をかきながらも やっていかなきゃ・・・

こんな自分だけど

いつの日か 万分の1でも 億分の1でも
この世の何処かで 懸命に汗をかきながらも 
なんとか生きている人々の
なにかの力になれればいいな   
とは思ってはいるのだけども・・・

まだ まだ ずっと ずっと先のことになりそうですが・・・

いつの日にか なんとかして 
と思うばかりの日常 ですが・・・・

周りで なんだかやりきれない 淋しすぎることが続いていたり

しているものですので   2016年 弥生の夜のブログは 

このような文字の群れに なってしまっていたのでした

                      母校(中学時代)の運動場に注ぐ

                              西暦2000年頃? の陽光の図        


                     

 

   

                                        

 


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