小・中学校では クラス委員長・生徒会委員
公務員のときは 組合の役員
民間会社のときは 副所長
町内会では 会計担当
その他 もろもろ
どうも 役員に選出されるケースが多く
正直なところ ありがたくは なかった
中学校の3年生の最後のクラス委員長は
級友にムリヤリ頼んで 降ろさせてもらった
ラストタイムぐらいは 自由で? いたかったので
特に 公務員時代は 組合運動華やかなりし時代
他の公共企業体組織などには
今とは比べられない過激な?闘争主義の組合もあったり
我が職場でも
ストライキ決行の場面もあったり
いい加減な受諾は出来ない立場だった
私自身は 勉強時間が欲しくて 外勤に移らせて
もらったことからもわかっていただけようが
とても組合運動で時間をとられることは苦痛だった
しかし 自己都合ばかりも言ってはおられず
度重なる 推薦に 役員も何期かはせざるを得なかった
なにが つらかったって
“畠山さん 皆が といっていいほど あなたを支持しています 何ゆえ 先頭に立ってやっていただけないのでしょう”
学習時間が欲しいから とも言えず
若手職員には ずいぶん 悲しい目に会わせたような
気分が いまだに あります
ずいぶんと自己中心の人だな と軽蔑したことでしょうね
そのようななか 自分の信念に基づき
敢然と先頭に立って 我々を導いた先輩の雄姿を思い出し
ます とても ありがたかった
昭和40年代から50年代 特に戦後日本労働運動の
転換期でしたでしょうか
革新的判決の後の 超保守的?判決などなど
さて そのようなわけで どうも 性格的にも役員という
肩書きにはやや 違和感を持ち続けていた人生でしたが
諸事情も ようやく落ち着き 士業専門体制に入らせて
いただき 2年目にもなりましたので
本年から 水戸支部の理事を受け持たせていただくことに
なりました
登録は平成3年ですので 長きにわたり 他の方に
いろいろ お世話ばかりかけてきてしまったわけでした
恩返しも兼ね できる限りの精進をいたすつもりです
県行政書士会の選挙管理委員
総会への 代議員としての出席
なんだか 急に 組織がらみの動きが 増してきました
一つ一つ 勉強させていただきながら
努めたく思っております
何事も経験を モットーに(この年齢になって
少々気恥ずかしい面もありますが)