昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(272)懐かしき中学同窓生の訃報

2016-02-11 05:09:36 | エッセイ
 2月3日、Hくんが亡くなった旨、中学の同窓会の幹事Eくんから連絡が入った。
 4年前の4月に脳梗塞で倒れて以来、Hくんは植物人間化して闘病生活を送っていた。
 我々仲間で激励の声をテープに取り励ましたりしてきたのだが、ついに帰らぬ人となった。
 
 我が母校、高岡町中学は金沢の中心部、尾山神社の前にあった。
 
 名門中学だったが、今は存在していない。名前も残っていない。
 
 それでも、30年前首都圏在住の連中が名幹事を得て同窓会を立ち上げた。
 Hくんもその名幹事のひとりだった。
 ぼくも6回目から参加させてもらっている。
 毎年熱海や湯本、伊香保など所を代えて同窓会を継続している。

 還暦の会や古希の会も行った。
 
 金沢から参加してくる人も多い。
 ほら、Hくんの元気な顔が見えるだろ。

 ゴルフ会も年2回行うようになった。
 Hくんとはこの同窓会以前、彼が大手の電機メーカーに勤めだしたころ、日銀に勤めていたMくんと会ったことがある。
 まだスマートで中学生の初々しい面影が残っていた。ポーカーが趣味だと言っていた。
 しかしこの同窓会で再会したときは腹の出たおっさんになっていた。

 同じ幹事仲間のMくんに言わすと、営業部長として接待酒を飲み過ぎたんだそうだ。
 ゴルフの時もプレイよりアフターの酒が楽しみだったようだ。
 練習はいっさいやらない。クラブもハーフセットしか持ってこない。
 雨の日の沼津GCの時を思い出す。
 彼だけじゃなく、ほとんどが60以上を叩いて、プレイはハーフで切り上げ、彼のお奨めの沼津港の高級寿司屋へ繰り込んだ。

「大トロが出てないじゃないか!」
 彼が店主に怒鳴った。
「二人前で1万円なんですけど・・・」
「いいじゃない。持ってきて」
 そんな彼はぼくには輝いて見え、恰好よかった。 

 そんな彼にもう会えないんだ・・・。
 ご冥福をお祈り申し上げます。
      




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