昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(244)ムハンマド風刺画

2015-01-16 06:38:33 | エッセイ
 フランスにおける風刺画新聞社襲撃事件で「言論・表現の重大侵害」として抗議が巻き起こったのは理解できる。
 

 ただ、それら世論の盛り上がりに便乗して、その内容は分からないが、さらに再発行したというのには違和感を覚えた。
 
 イスラム圏の国々では、自らの尊崇するシンボルを冒涜するものだとして、逆に反発が起きているという。
 
 なぜ、対立感情をエスカレートするようなことを敢えてやるのか。

 人類は<人種>、<民族>、<国民>、<宗教>などでグループ化している。
 グループの形態はいろいろだが、歴史的に抗争を繰り返し、<力>こそが全てと認識しているのが現代の西欧的思想の根源である。
 歴史の過程では、これらの抗争を鎮めるために、人間の叡知を駆使していろいろな方策が執られてきた。
 例えばイギリスなどによる<植民地的帝国主義>
 
 そしてソ連などによる<共産主義>手法による世界制覇。
 
 ソ連の崩壊により、<世界の警察>としてのアメリカによる支配。
 
 しかし、いずれも失敗し、現在は抗争はテロにまで分散化し収拾がつかない状況である。
 
 この中で日本はいかにあるべきか。
 戦後70年、日本は<アメリカのポチ>として<抗争>を免れ、のうのうと過ごしてこれた。しかし、これからはアメリカの事情もあり、そうはいかなくなってきた。
 
 <力>の面で自立を促されながらも<力>を前面に押し出すのは性に合わない。
 ともかく世界が<力>による抗争をエスカレートさせないための叡知を持たなければならない。
 少なくとも、今回の風刺画問題では、あまりにも挑発的な風刺画再発行の愚には反対したい。

 
  


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