寝返っても許されず「北戴河会議」前の不気味さ
(日本経済新聞・中沢克二)
国家主席習近平が進める反腐敗を掲げた政治闘争が新たな段階を迎えようとしている。20日に前国家主席、胡錦濤の側近、令計画の共産党籍を剥奪し、24日には河北省トップの周本順(中央委員)を摘発した。現役の省トップ摘発は習体制下で初めてだ。
この周本順は司法を統括する政法部門で長く働き、先に無期懲役が下った前最高指導部メンバー、周永康に近かった。2013年春、河北省党委員会書記に就いた後、しばらく様子見していたが、周永康の摘発が不可避と判断すると即座に寝返った。周永康の罪状を巡る情報を習側に提供したのだ。
「反腐敗で日和見を許さず」
「旗幟鮮明にし、決して『塀にまたがる派』をつくらない」
寝返らないとたいへんな目に遭うという警告の言葉だ。・・・
「塀にまたがる派」は、文化大革命前後に繰り返し使われた毛沢東の言葉だ。
・・・似た党内闘争が今も続く。
<好奇心コーナー>
思い出すのは、文化大革命で失脚した劉小奇に代わって毛沢東の後継に指名され、後に政争に敗れ亡命途上客死した林彪のことだ。
「毛沢東は天才である、とわれわれは言ったが、私はいまもこの観点を堅持する。毛主席の学説は科学であり、人類を開放する科学である」中国共産党副主席兼国防相の林彪が、かん高い声で熱弁をふるっている。・・・「しかし今、毛主席を天才ということに反対する者がいる」と、語気を強めて言った。林彪は1年4か月前の党第九回全国代表会議で毛沢東の「後継者」と公認されたが、現実の国家運営は周恩来ら実務派に握られていて・・・。この現実を打破するには、いま空席の「国家主席」を置く必要がある、と考えていた。
だが、毛沢東は憲法改正案から「国家主席」を削除し、廃止するという。林彪は自分が国家主席になるという野心を隠し、毛沢東が国家主席に復帰すべきだと言い続けることで国家主席廃止をなんとしても阻止したかった。・・・
そのための「天才」論の理論づくりを毛沢東の長年の秘書だった党政治局常務委員の陳伯達が担った。・・・
陳伯達の簡報は・・・その過激で扇動的な調子が大きな反響を巻き起こした。江青らが張春橋らと毛沢東に直訴。 ・・・毛沢東は厳しい表情で、林彪の演説に関する討論会をやめること、簡報を回収すること、個人批判はならず団結すること、の3点の指示を出した。
「国家主席の問題は二度と持ち出してはならない」毛沢東は陳伯達を見据えて言った。
「わたしを早く死なせたいなら私を国家主席にすればいい・・・どのみちなるつもりはない」次いで林彪の方を向いてクギをさした。「君も国家主席にならないよう忠告する」
陳伯達が敗北したその瞬間、林彪は自分の敗北も悟った・・・。(産経新聞取材班「毛沢東秘録・下」より)
林彪は焦って先走り、もがいて『壁にまたがる派』と見做されたのだ。
(日本経済新聞・中沢克二)
国家主席習近平が進める反腐敗を掲げた政治闘争が新たな段階を迎えようとしている。20日に前国家主席、胡錦濤の側近、令計画の共産党籍を剥奪し、24日には河北省トップの周本順(中央委員)を摘発した。現役の省トップ摘発は習体制下で初めてだ。
この周本順は司法を統括する政法部門で長く働き、先に無期懲役が下った前最高指導部メンバー、周永康に近かった。2013年春、河北省党委員会書記に就いた後、しばらく様子見していたが、周永康の摘発が不可避と判断すると即座に寝返った。周永康の罪状を巡る情報を習側に提供したのだ。
「反腐敗で日和見を許さず」
「旗幟鮮明にし、決して『塀にまたがる派』をつくらない」
寝返らないとたいへんな目に遭うという警告の言葉だ。・・・
「塀にまたがる派」は、文化大革命前後に繰り返し使われた毛沢東の言葉だ。
・・・似た党内闘争が今も続く。
<好奇心コーナー>
思い出すのは、文化大革命で失脚した劉小奇に代わって毛沢東の後継に指名され、後に政争に敗れ亡命途上客死した林彪のことだ。
「毛沢東は天才である、とわれわれは言ったが、私はいまもこの観点を堅持する。毛主席の学説は科学であり、人類を開放する科学である」中国共産党副主席兼国防相の林彪が、かん高い声で熱弁をふるっている。・・・「しかし今、毛主席を天才ということに反対する者がいる」と、語気を強めて言った。林彪は1年4か月前の党第九回全国代表会議で毛沢東の「後継者」と公認されたが、現実の国家運営は周恩来ら実務派に握られていて・・・。この現実を打破するには、いま空席の「国家主席」を置く必要がある、と考えていた。
だが、毛沢東は憲法改正案から「国家主席」を削除し、廃止するという。林彪は自分が国家主席になるという野心を隠し、毛沢東が国家主席に復帰すべきだと言い続けることで国家主席廃止をなんとしても阻止したかった。・・・
そのための「天才」論の理論づくりを毛沢東の長年の秘書だった党政治局常務委員の陳伯達が担った。・・・
陳伯達の簡報は・・・その過激で扇動的な調子が大きな反響を巻き起こした。江青らが張春橋らと毛沢東に直訴。 ・・・毛沢東は厳しい表情で、林彪の演説に関する討論会をやめること、簡報を回収すること、個人批判はならず団結すること、の3点の指示を出した。
「国家主席の問題は二度と持ち出してはならない」毛沢東は陳伯達を見据えて言った。
「わたしを早く死なせたいなら私を国家主席にすればいい・・・どのみちなるつもりはない」次いで林彪の方を向いてクギをさした。「君も国家主席にならないよう忠告する」
陳伯達が敗北したその瞬間、林彪は自分の敗北も悟った・・・。(産経新聞取材班「毛沢東秘録・下」より)
林彪は焦って先走り、もがいて『壁にまたがる派』と見做されたのだ。
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