昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(257)明日の哲学に向けて・まとめと展望

2018-03-10 06:58:56 | 三鷹通信
 この市民大学のまとめ<あゆみ>に、ボクは「初めて哲学を勉強する」と題して、次のように書いた。
 ・・・メインの合田正人先生の講義はまさに、「海図のない哲学の大洋を漂流してみよう」でした。人間が<哲学>に取り組むことになった歴史、<哲学>の何たるかは先生の該博な知識により分かった気もしましたが、一方では正直に言えば、あくまでも<学問>の独りよがりではないのかとも思いました。最終日に先生を囲んで<哲学カフェ>を企画したのでそこでの質疑応答に期待しています・・・と。
 
 そして最終講義「無の迷路」-田辺元と原子力・食人・ジェンダーで、遂に納得に至ったのです。

 合田先生は「田辺元とハイデガー ─ 封印された哲学」を2013年に出版された。
 
 田辺はその論点の先見性にもかかわらず、戦後しばらくは無視され続けた。
 <個>と<類>の間にあるものは<種>である。
 <種>=<民族>であり、<民族> → <国民> → <人類国家>へと高めていく。
 その辺の分析からか、田辺は戦争協力という色眼鏡で、戦後危険視・無視された。
  
 
 しかし、そこには第三の道<博愛>・<兄弟性>・<友愛の民主主義>へとつながるものがあった。
 そして戦後において隠然とした力を持つことになった。
 田辺は戦前とはくらべもようもないほど<愛>という語彙を多用し始める。
 その背景には、野上弥生子との10年にわたる師弟関係があるかもしれない。
 

 そして、1944年「懺悔道としての哲学」から新しい言葉が加わることになる。
   
 <原子爆弾><原子力時代><原爆水爆><放射能>である。     
 ・・・彼は寺田寅彦を意識していた科学哲学者だった。
 1950年に入ってから原水爆禁止運動が始まったことを思えば、田辺が45年から一つならざる個所でこれらに言及していることは特筆に値する。
 
 近世の特色たる「知は力なり」という原則に導かれ、<動力的機械統制>という自然力の貪欲な利用はハイデガーの<引き立て・挑発>と<立て組み>に似ている。しかし、時期的にハイデガーを参照したということはない。
 因みに田辺は1955年にハイデガーの技術論を読んで「感嘆を禁じ得ない」と称賛するとともに、そのいわば宗教性の欠如を難じている。
 ・・・野上弥生子から電気ストーヴの贈呈を申し入れられた田辺は、電力会社の独占横暴への抗議として、「できるだけ電力会社の世話になりたくない」とこの申し出を断っている・・・

 現代は「生きながらに死するばかりではある」が、「死につつ生きること」つまり<復活>へ転換しなければと田辺は考えた。
 「愛は我々が自己を無に帰し、自己のあらゆる所有を、否、自らの存在そのものをも、つまり一切の<有>を捧げ尽くすことで実現せられる」

 講演の後、我々は先生を囲みお弁当を食べ、コーヒーを飲みながら談笑した。
 ボクにとって、納得した、貴重な心温まるひと時だった。
 合田正人先生は、文学部長になっていろいろと雑用など多忙に悩まされているが、ここへ来るのが楽しみだったとおっしゃってくれた。

 NHKテレビ「葛飾北斎の娘 眩」を見た。
 
 
 
 何といっても、<宮崎あおい>の眼力に圧倒される。