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昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

中欧旅行(12)

2009-11-17 09:00:48 | 中欧旅行
 スロヴァキア地域は、1918年チェコスロヴァキア共和国として独立するまでの1000年間、ほとんどハンガリーの支配下にあった。
 しかしチェコ中心に不満を持ち、1938年ドイツへの従属的存在としての独立スロヴァキアが誕生。
 弟2次世界大戦後、ふたたびチェコスロヴァキア共和国として独立。
 1993年スロヴァキア共和国としてチェコと分離独立。
 2004年にはEUに加盟した。

 首都プラチスラヴァで昼食。
 
 

 スロヴァキア名物ハルシュキ。
 付け合せのパン? デザート?はアップルシュル・デル。
 仏ちゃん曰く「山崎パンのアップルカバーに似ている」

 同席したのは、服部克久似の夫妻と横浜から見えたご夫妻。
 奥さまは両方とも美人。
 横浜の旦那は築地にお勤めだったそうで、築地市場のお勧め食事処を大きな張りのある声でいろいろご披露くださった。

 プラチスラヴァ旧市街観光。
 旧市街は昔は城壁に取り囲まれていた。
 
 

 現在唯一残っているのがミハエル門。
 旧市街の小さな広場に面して日本大使館がギリシャ大使館と並んでいた。
 

 

 かのマリア・テレジアも戴冠式を行ったという聖マルティン教会から、<ひっくり返したテーブル>と称されるプラチスラヴァ城へ。
 
 

 18世紀には女王マリア・テレジアの居城となったこともあるが、やがて政治の中心はウイーンやブタペストへ移り荒廃。
 復旧されたのは弟2次世界大戦後だ。

 

 プラチスラヴァ城の展望台からは霧ひとつないプラチスラヴァの街、ウイーンからブダペストへと流れるドナウ川の勇姿が眺められた。

 ─続く─
 
 

中欧旅行(11)

2009-11-16 09:37:14 | 中欧旅行
「Hさんはこの地域専門ですか?」
 ぼくはツアーコンダクター仏ちゃんの全体像を知るべく質問した。
「えっ! なぜですか?」
「いや、なかなか慣れているようだから・・・」
「いいえ、今まではどちらかというとインドとかバングラディッシュとか、ヨーロッパは初めてなんです」
「そうなんですか。あちこちやらされるんだ。担当地域は専門化されていくのかと思っていた・・・」
 そんな会話を交わした。

「あの、私のことについて何歳かだとか、この仕事を何年やってるのかとか聞かないで下さい。最後にちゃんと申し上げますから」
 バスに乗り込むと開口一番、仏ちゃんが言った。
 ・・・へえ、みんな同じことを聞くんだ。でもそれは最後のお楽しみということか・・・
 ぼくは彼女のことが妙に気になった。

「ところで、みなさん、1ユーロの硬貨をお持ちだと思いますが、裏面のデザインが<ふくろう>のものをお持ちの方はいらっしゃるでしょうか?」
 ・・・エッ? みんな同じじゃないの? いろいろあるんだ・・・
「発行する国によってデザインが違うんです・・・」
 みんな手元をごそごそやりだした。
 

 

 ・・・ぼくのはダ・ヴィンチの人体図妻のはワシ。いろいろあるんだ・・・

 

「あっ!ありました。私のはふくろうです・・・」
 後ろの席から声が上がった。
「えっ! うそ? ほんとうですか?」
 仏ちゃんが後ろの席まで行って確認した。
「ほんとうだ! これってギリシャのものですが本当に少ないんです。それがいきなり見つかるなんて・・・。わたしたち運がいいのかも」
 ・・・なかなか洒落たまとめ方をするじゃん。仏ちゃん!・・・

 ぼくたちはバスの中の長時間もこうして和やかに過ごし、プラチスラバ市街へと入っていった。

 ─続く─


中欧風景(10)

2009-11-15 07:25:50 | 中欧旅行
 ホテルに戻ったのは9時半過ぎていた。
 シャワーを浴びる前に傷口を見ると腕も足も皮膚がめくれて赤く肉が露出して肌着にくっついていた。
 骨には異常がないようだ。
 とりあえずバンドエイドでカバーする。

 翌朝は一転、快晴。
 
 

 ホテルの8階から眺めると、眼下に登山電車の発着場が見える。
 黄色いトラムが入ったり出たりしている。
 
 (・・・このところインターネットが頻繁に切れる・・・)

 今日は194キロ先のスロバキアの首都プラチスラバまでバスで行く。
 オーストリアからハンガリーもそうだったが、ハンガリーからスロバキアの国境越えも何の検閲もない。
 ただドライバーが税金を支払うために停車するので、ああここが国境かと分かる。

 時間に余裕が出来たので、ガソリンスタンドでオシッコタイム。
 昨日、夕食の時同席した宮川大助さんに似たおじさんから声をかけられた。
「こちらのトラックは、みんな後輪が片側3輪で計、6輪、前が4輪なんですよね。ほら・・・あれもそうでしょう?」
 
 

 なるほどそういえば停車している大型トラックはすべてこのタイプだ。
 日本ではあまり見かけない。
「面白いところに目をつけられましたね。その関係のお仕事ですか?」と聞く。
「いいえ、実は今回が始めての海外旅行なので何でも物珍しくて・・・」
 そういえば、この人は常にグループの先頭を歩いていた。

「初めてで、このツアーを選ばれたというのは珍しいですね。普通はフランスとかイタリアを選ばれる人が多いと思うんですが」
 何か日程の都合で、イタリアがこちらになったようなことを言っていたが、いずれにしても奥さんの選定だったようだ。
 奥さんは物静かで、文化的なものに興味がおありのようだ。
 しかし、行動は常に旦那が主導して闊歩していられる姿は微笑ましくて、こちらまで嬉しくなる。 

「イタリアへも行ってみたいですね。帰ったら姫路城を見ることにしています。近く修復に入ってしばらくは見れなくなりますから・・・」
 退職されて間がない彼の目は生き生きと輝いていた。

 ─続く─

中欧旅行(9)

2009-11-14 07:50:54 | 中欧旅行
 ホテル・ブダペストへ入る。
 
 

 円筒形で、銀座の三愛ビルを思い出した。
 もっと大きくて15階ぐらいある。
 
 
 
 そこのレストランで鱈(誰かがツナだと言っていたが、仏ちゃんの言う通りアラスカタラだと思う)のフライとジャガイモ、きゅうり、トマトの付け合せのメインディッシュ、スープにチョコケーキ。ビールを飲む。

 ビールは飲んだし、もう今日の観光は終った気分だ。
 しかし、これからドナウ川ナイトクルーズがある。
 昼間、長い階段とか結構歩いたので疲れた。
 霧で煙っているし、これからのお出かけはあまり乗り気がしない。
 こういう時は事件が起きる。
 
 船着場でバスを降りるとき、ステップを踏み外してすっころんだ。
 周りから危ないと声が上がったが、すぐ自力で立ち上がる。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ・・・」
 そう言ったが、右腕と右足がちょっと痛い。
 そのときはそれだけで終った。
 しかし、後々、帰国後問題となる。

 仏ちゃんの先導で目指す船に向ってぞろぞろと川べりを歩く。
 

 

 夕闇の対岸に王宮がライトアップされてオレンジ色に輝いている。
 これかな?これかな?
 大小、沢山の観光船が係留されている。
 季節的にもましてやこんな天候では需要が少ないのだろう。
 我々の目指す船は?
 仏ちゃんは・・・万事承知の介とばかりさっさと先へ進む。

「三階建てですが、一番上は屋根がないので寒いかもしれませんが見晴らしはいいです。ワンドリンクサービスとなっています。お好きなものを飲みながらドナウの美しい夜景をお楽しみ下さい」
 ようやく乗船。我々は1階の前のほうに席を占めた。
 同席は他に二組、大半が上へ上がっていった。

 ライトアップはそんなに豪華ではない。
 我々はドリンクも飲まずに、静かに滔々と流れる大河に身を沈めている気分を味わいながら、夜景を眺めていた。
 そのうちぼくはうつらうつらしてきた。
「素晴らしかったわ・・・」
 降りてから上から眺めた感想を述べている人もいたが。

 ─続く─

 

中欧旅行(8)

2009-11-12 05:57:25 | 中欧旅行
「たいへん日本語がお上手ですが、どこで習われたのですか?」
 思わずぼくはアニカさんに問いかけた。
「実は、・・・私の旦那さまは日本人なのです・・・」
 彼女の顔は花のような笑顔になった。

「そうなの、どうりで・・」
「日本人より日本語が上手だもんね・・・」
 今回のツアーは38人と数が多いのでみなさんにガイドの声が行き渡るよう、イヤホーンが各自に渡されている。
 みんなの声が響きあった。

 

 その後バスに乗り込み、ブダ地区とペスト地区を結ぶくさり橋を渡り、国会議事堂経由聖イシュトヴァーン大聖堂に向った。
 高さ96m、直径22mの大きなドームが目印のブダペスト最大の聖堂である。
 正面にはキリスト教を積極的に受け入れ、死後聖人に列せられたイシュトヴァーン国王の胸像、ファサードには12使徒の彫像が彫り込まれている。

 

「わたし、あれ嫌いなんです・・・」
 アニカさんの視線の先には、聖堂にはそぐわない近代的な大きな四角いビル。
「共産主義時代に立てられた銀行なんです。自分も使っているから悪口も言えないけど・・・」
 ・・・もう言ってるじゃん・・・

 ハンガリー王たるものは聖イシュトヴァーンの王冠を頂くものであると言われたハンガリーの歴史に重要な位置を占める王の威容を、聖堂の荘厳な雰囲気の中に十分堪能した後、ハンガリー刺繍で有名な<DOM>に寄る。
 

 きれいな刺繍の美しいハンカチーフやコースター、テーブルクロスに大きな壁飾り、セーターなどがところ狭しと並んでいる。
 さっそくかごを片手に右往左往おみやげを求める日本のおばさんたち。
 若い日本人の女性店員が独楽ねずみのように走り回る。
 ・・・けっこういい値段だなあ・・・

 買い物の後、夕食にホテルへ戻るバスに再び乗り込んだ。
「さあ、みなさん、お忘れでないと思いますが・・・。もうひとつお仕事が残っています・・・」
 アニカさんが大きな声を張り上げた。
「これからマーチャーシュ教会の入場料を回収させていただきます。バスのドアは締まってみなさんは逃げられません」
 ・・・なんともしっかりしたハンガリーのおばさんだ・・・

 ─続く─

中欧旅行(7)

2009-11-11 04:56:22 | 中欧旅行
「あらっ!あいにくの雨ね。気にならない程度だけど・・・」
 アニカさんが空を見上げる。
 ついにパラパラと雨が降ってきた。
「一張羅のお洋服なので濡れると困るから、雨具を着させていただきます」
 彼女はバッグからび透明なビニールを取り出した。
「こんなもので恥ずかしいけど、雨よけにはなるわ・・・」
 
「さて、今日は<ドナウのバラ>と呼ばれるブダペストを観光していただきます」
 たいした降りではないようだ。
 アニカさんはビニールのキャップは落として頭を出している。
「ブダペストは、王宮のある丘のブダ地区と平坦なペスト地区からなります。ブタ、とか病気のペストとか日本の方には嫌な名前ですね」
 アニカさんの明るい、大らかな顔の眉間に皺が寄り、口がゆがんだ。
 
 

 ドナウ川を臨む丘に王宮がそそり立つ。
 13世紀に最初の王宮が建設されてから、波乱万丈のハンガリー歴史の中心舞台であり、数多の戦争で何度も破壊され、現在のものは1950年代に完成された。
 現在は図書館や美術館、歴史博物館として利用されている。

 

 ドナウの漁師組合が守ったことから名づけられた<漁夫の砦>はブダペストの街並みを見下ろすベストポイントだが、今日はあいにくの<霧のブダペスト>だ。

 

 王宮の丘の長い石段を下って、マーチャーシュ教会に入る。
「ご入場を希望される方はおひとり1ユーロの入場料が必要です。これはステンドグラスが素晴らしいと言われるこの教会の修復費に使われます。私がまとめてお支払し、後で請求させていただきますのでよろしく・・・」
 ぼくらはぞろぞろと彼女に従って、全員入場した。

 

なるほど、ステンドグラスが素晴らしい。有名な画家の手で描かれた他のものとは異なる珍しいステンドグラスもある。
 まだ修復中の箇所もある。
 突然、荘厳な教会内がライトアップされまばゆく輝いた。
「みなさん! なぜ私たちが入場した途端ライトアップされたのでしょう?」
 アニカさんが大きな声を出した。
「真ん中に二人の紳士がいますね。あの方のためにライトアップされたのでしょうか。外へ出てから説明します」
 アニカさんがニヤニヤ笑っている。

「実はあのふたりは高貴な方でもなんでもありません。電気工でした。たまたま照明が故障したので修理をして、テストのため点灯したところだったのです。みなさん、運がよかったですね」
 アニカさんはみんなを見回してハッハと笑った。

 ─続く─

中欧旅行(6)

2009-11-10 09:27:45 | 中欧旅行
 観光に入る前に、仏ちゃんがカットしてしまったが、やはりハンガリーの血塗られた歴史を、観光する所を中心に眺めてみよう。

 

 ハンガリーは東ヨーロッパの山岳地帯の中でもドナウ川中流に盆地状に開けた平地を国土としている。
 この盆地は冷涼で乾燥した草原が広がり、遊牧に適した地理的条件を有するため、中央ユーラシアのステップ地帯から繰り返しヨーロッパに侵入したアジア系遊牧民集団の多くは、ここに根拠地を置いた。(ウイキペディアより)

 1世紀にはローマ帝国の支配下にあったが、5世紀にフン族などのアジア系遊牧民の勢力が到来、定着した。
 飛んで1000年にアジア系遊牧民マジャル人であるイシュトヴァーン1世がキリスト教に改宗すると、ヨーロッパ教皇からハンガリー王国として戴冠。
 この頃から北部のスロヴァキア、南部のクロアチアを支配下に入れ、ハンガリーの絶頂期であった。
 15世紀のマーチャーシュ1世の頃も、ポーランド王も兼ね強盛を極めた時期があった。

 14世紀になると東方からオスマン帝国が徐々に進出、ハプスブルグ家との間で分割支配され、1683年にはハンガリーのほぼ全域がハプスブルグ家のものとなった。
 19世紀が中盤にさしかかるとハプスブルグ家の影響力は相対的に低下し始める。
 1914年弟一次世界大戦が勃発、オーストリア・ハンガリー帝国は中央同盟の一端を担ったが敗北。
 その後、弟2次世界大戦で枢軸国の一員として戦ったりしたが敗北、1946年に王制は廃止され、1949年ソ連の支配下、ハンガリー人民共和国が成立。

 

 今から20年前ベルリンの壁が崩壊する3ヶ月前、ハンガリーはオーストリアとの間の<鉄のカーテン>を撤去、いわゆる<汎ヨーロッパ・ピクニック事件>を起こし、ベルリンの壁崩壊、1991年のソ連崩壊へなど一連の冷戦終焉に向う流れのきっかけを生んだことで知られている。

 途中、バスがガソリンスタンドで緊急停車。
 ひとりの大きな男が、仏ちゃんとバスを降りる。
 続いて、女性と男性が続く。
 たぶん、トイレだ。
 それにしては時間がかかっている。

「実は、ガソリンスタンドで貸してもらえなくて、前のマクドナルドで、と言われたものですから陸橋を渡りました。そこには男女共用のものが一つしかなくて時間がかかってしまいました」
 仏ちゃんから説明があった。

 年寄りが多い所為もあるが、その後トイレに関するトラブルがいろいろと発生する。
 昼食を取る最初のレストランではトイレに長蛇の列となった。
 イタリアの時もそうだったが、こちらの連中の膀胱のキャパシティが大きいのかトイレの数が少ない。
 特に女性用が少ない。
「男性の大の方を利用させていただいてよろしいかしら?」
「どうぞ、どうそ」ということになる。

 

 昼食にハンガリー名物の牛肉煮込みスープ「グヤーシュ」を味わったあと、真っ赤なスーツの賑やかな現地ガイド、アニカさんが現れた。

 ─続く─

中欧旅行(5)

2009-11-09 11:15:46 | 中欧旅行
 昨日と一転、曇り。
 8時30分ロビーに集合。
「これからバスに乗り込みますが、このツアーでは6回バスに乗る機会があります。いつも同じ座席というのではみなさんのご不満もあろうかと思いますので、二組に分けて、前方、後方に偏らないようにしたいと思います」
 仏ちゃんがメンバー表を配りだした。
 19人づつA組とB組になっていて、ぼくたちはB組だ。
「これからブタペストまで、A組の方が前方の席、B組の方が後ろになります。明日は逆になります。よろしくお願いします」
 経験から彼女が考え出した方式だ。
 
「こんな目印を作ったのでみなさんこれについて来て下さい」
 

 成田空港で<紅葉の目印>を高く掲げて彼女は言った。
 <もみじ>の目印といい、なかなかユニークな発想だ。

「私の名前が出ていません!」
 突然声が上がった。
「えっ! そんな・・・」
 仏ちゃんのちょっと受け気味の小さな口がぎゅっと噤んでいる。
 両方とも19人づつ。合計38人。漏れているはずがない。
「あっ! 問題は解決しました。私のミスでした。ゴメンナサイ。Sさんを両方にダブって載せてしまいました。SさんはA組、KさんをB組とします」

「Kさんスイマセン・・・」
 バスに乗り込むとあらためてお詫びのひと言から仏ちゃんの解説が始まった。
「今日はあいにく天気がはっきりしませんが、私は晴れ女ですからみなさん安心して下さい。一週間前出発したツアーは雪に見舞われてたいへんでした。みなさんは運がいいいのです」
 仏ちゃんはなかなか強気なツアーディレクターだ。初っ端のミスにもへこたれていない。
「そうよ、寒波が襲来して、雪だなんて聞いていたから防寒具がかさばっちゃって・・・」
 あちこちから声が上がった。

「これからハンガリーに入ります。これがハンガリーの国旗です」
 

 仏ちゃんが国旗の絵を掲げて説明を始めた。
「赤、白、緑の横三分割です。赤は血を表します。白は純潔、緑は希望です。赤は血塗られたハンガリーの歴史を表しているのでしょうが、ちょっと気持ちが悪いですね」
「・・・」
「わたし、歴史が苦手なんです。どうせ現地ガイドの方が説明されると思うので省略させていただきます・・・」
 仏ちゃんはしっかりしているようで、まだ20代だろうか、率直で乙女っぽいところもある。
 
 彼女の話は、ハンガリー料理の作り方のに入ったのでぼくの耳を素通りしていった。
 オーストリアを離れ、窓外には平和なハンガリーの田園風景が延々と流れていった。

 ─続く─

中欧旅行(4)

2009-11-08 06:42:58 | 中欧旅行
 
 

到着早々、オーストラリアで一泊する。
 ツアーでよくあるローカルな感じのホテルだ。
 我々38人の団体が荷物ごと入るとフロントはほぼいっぱいだ。
 部屋に入ると、清潔でシンプルなありふれたタイプ。
「ウエハスや水が置いてあるかもしれませんが、有料ですから気をつけてください」
 仏ちゃんが言っていたがそんなものは置いてない。
 ツアーの最後にまたこのホテルへ戻ってきてさらに2泊するのだ。

 外へ出るのも億劫なので、機内からくすねてきたパンとおにぎり、それに水もそうだが、わびしく夕食を済ます。


 何時に寝ても、時差があろうと、朝になれば早く目覚めるのはいつもの通り。
 3時ごろ目が覚めた。
 日記など書いてから、4時ごろシャワーを浴びる。
 バスタブの栓が抜いてある。
 昨夜、カランを回しても栓の開き方がわずかで水を落とすのに時間がかかっていらいらした。
 ・・・栓が抜けるんだ。
 どうも最近、頭の神経が空回りして先へ進まない。
 いつの間にか妻に先導されている自分をまた感じてしまった。

 指示された通り、7時30分に荷物を出し、同時に朝食のため1階(こちらでは0階と呼ぶ)のレストランに降りる。
 すでに長蛇の行列だ。
 中国語が飛び交っている。
 結局席につくまで30分かかった。

 同席になったのは新婚さんのカップルだ。
 奥さんはおとなしく、だんなの方が背すじを立てて、何ごともオレがリードしなければという顔をしている。
「昨日は、国立オペラ座あたりまで行ってきました」と誇らしげだ。
 ・・・へえ、夜、あれから行ったんだ・・・
 
 

 そういえば、以前、我々もオペラ座の立ち見の席を取るため何時間も前から雑誌などを置いて席取りをしたことを思い出した。
 

 

 あわてて階段を上り、天井桟敷の少しでもいい場所を取ろうと奮闘したことを。
 いまや懐かしき思い出だ。

 ─続く─
 

中欧旅行(3)

2009-11-07 07:44:05 | 中欧旅行
 離陸後、機体の揺れも収まり安定飛行に入って、日本時間の1時過ぎ、昼食が出た。
 パスタ、サラダ、イチゴケーキ、それに日本そばがちょっぴりコップに入っている。

 5時ごろサンドイッチ、おにぎり、それに驚いたことにインスタント・チキンラーメン・・・コンビニからかき集めてきたのではと思われるものからセレクトする軽食が出た。
 オーストリア航空の特色も何もあったものではない。

 

 夕食はキャベツにトマト、ジャガイモに生ハム、それにチョコレートケーキ。
 パンがお代わりOKで何回も回ってきた。
 今日はウイーンに到着するのが現地時間で夕方になるが、夕食が用意されていないことを思い出した。
 日曜日なのでスーパーなども空いていないという。
 お代わりのパンを持っていくことにする。
 ところが入れる袋がない。
 もたもたしていたら隣のおばさんが渡してくれた。
 恥ずかしい・・・。

 

 予定より30分早く到着。
 事前に現地は寒波が襲来し、雪も降っていると脅されていたが、ホテルから眺めるウイーンの街はちょど夕日が教会の高い塔の後ろへ沈むところで美しい。

 これから明日のハンガリー、ブタペストへ242キロ。
 さらに194キロ先のスロバキア、プラチスラバ。
 そしてチェコ、プラハまで332キロ、ドイツ、ドレスデンまで149キロ。
 そこから26キロのマイセンを訪れて、また169キロかけてプラハに戻る。
 プラハ観光後、340キロあるウイーンまで戻ってくるという強行軍のバスツアーが始まる。

 ─続く─