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昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

金沢便り(21)東山・宇多須神社の節分

2010-02-07 06:59:36 | 金沢便り
 ・・・一週間前、ここ東京で珍しく積もった雪も、好天続きですでに消え去ってしまった。
 ところが北陸では近来まれに見る大雪で、昨日もかなりの積雪があったようだ。・・・

 <金沢の山ちゃんのフォト便り>

 金澤城には石川門櫓、続櫓ー五十間長屋ー菱櫓、三十間長屋などの大きな建物がある。
 屋根に積もった雪は、鉛葺きの瓦と急勾配の傾斜で太陽の射す頃にはなかなか見ることができない。
 

 金澤城 鶴丸広場から菱櫓を望む。

 ・・・そんな中でも春を告げる豆まきが華やかに行われた・・・

 金沢観光名所のひとつに<東山茶屋街>の<宇多須神社>がある。
 毎年節分の日には地元の芸妓さんの奉納踊りと豆まきが催される。
 豆まきには<大当たり券>が入っているので境内広場には大勢の人で賑わう。

 
 宇多須神社、芸妓揃い舞い扇
 
 
 芸妓豆まき

金沢便り(20)大雪

2010-01-06 05:40:55 | 金沢便り
 昨日、裏日本全域は大荒れの天気となり、非常に強い風とともに寒波が再来、また大雪になったようだ。
 今日も続くという。

 金沢の山ちゃんから金澤城の冬景色が届いた。

 
 金澤城、菱櫓、海鼠塀。

 
 菱櫓、新丸広場

 
 続櫓、河北門から

 
 続櫓 丸窓から

 山ちゃん曰く。
 昭和38年<38豪雪>と呼ばれる大雪が降った。
 昭和56年にも大雪が記録されたが、その後は地球温暖化の影響かあまり雪を見ない。
 兼六園の<雪吊り>も手持ち無沙汰。
 山手のゴルフ場でも<初夢杯>が開催される。
 観光客が靴に滑らないように荒縄を巻きつけて恐る恐るあるいていた光景が懐かしいと。

 しかし、今年は久しぶりで金沢にも豪雪が見舞った。
 ぼくが金沢に居たのは38年以前だが、すごい大雪を経験している。
 狭い商店街は屋根から下ろす雪で埋まり、二階から出入りし、通行人は馬の背のような雪道を恐る恐る歩いた。
 <キンカンナマナマ>になった雪の処理が一苦労。
 四角に切り取ってみかん箱に入れて橇で川に捨てに行った。
 ウチは古屋だったので、大屋根の雪下ろしがたいへん。
 おふくろなど、絶対金沢には住みたくないと言って東京に移ってきた。

 それでも雪は子どもたちにとって最高の遊び場だった。
 
 
 竹スキーを作って<キンカンナマナマ>の坂を滑った。
 
 また<竹げた>でスケートを楽しんだりもした。
 

金沢便り(19)金澤城石川門

2009-12-27 06:34:06 | 金沢便り
 金沢の山ちゃんからの<金沢フォト便り>

 金澤城から庭園の兼六園への搦め手門、石川門櫓へは年に数回、一般公開される。
 ここから眺めると観光のシンボル写真とはちょっと異なった趣がある。

 石川門と櫓
 

 石川門櫓から三の丸広場と菱櫓
 

 石川門櫓 櫓の窓から
 

 石川門櫓塀の紅葉
 

 金澤城 城内散策
 聞き慣れない会話が飛び交う
 東洋からの観光客なのだろう
 近年 西洋からも多くなった

 白川郷から兼六園・金澤城は人気コースのひとつだと言う
 お城の建物は海外の人でも日本の人でも郷愁を感じる

 続櫓 橋爪門 観賞客
 

 続櫓 広場の桜葉紅葉
 

 菱櫓五十間長屋 観賞客
 

 続櫓 丸窓から もみじ
 

 金澤城内にある階段ですが、一段の高さが異なる
 昇ったところは三十三間長屋と呼ばれる武器倉庫
 敵が攻め込んできたら、一気に駆け上れない工夫と言うが・・・
 本当だろうか?

 段違い階段・三十三間長屋前
 

 ・・・金澤城って、門だけじゃん。
 平板な石川門の姿だけしかぼくの思い出には残っていなかった。
 しかし、こうしていろいろな角度から紹介してもらうと、訪ねてみたい奥深さを感じる・・・
 


金沢便り(18)日本元気劇場

2009-12-10 06:00:06 | 金沢便り
 何年ぶりかで従兄弟がやってきた。
「某メーカーの知的財産に対する目を見開かせてやって喜ばれているよ」
 もう退職して何年にもなるが、いまでも弁理士の仕事を依頼されて特許出願のお手伝いを何件も行ってると意気軒昂だ。

 そのうちNHKのスペシャルドラマ<坂の上の雲>が話題になる。
 

「今ごろ何でなんだ?」
 彼が言った。

 そこでぼくは持論を述べた。
「戦争に敗れ60年以上経つが、日本は物質的には平穏、豊かな生活を享受してきた。しかし、精神的には自虐的な、しかもアメリカのポチと揶揄される屈辱的な思いもしてきた」
「・・・」
「ところが、今年それが解き放たれる可能性が出てきたのだ・・・」
「・・・?」
「つまりアメリカのブッシュ前大統領が<力の論理>による世界政治のコントロールに失敗して、<調和>を訴えるオバマ新大統領が登場する画期的な出来事があった」
「・・・」
「まさに日本が登場すべき舞台が設えられたとも言える」
「・・・」
「歴史的に見て聖徳太子の<和の精神>にも見るごとく、日本は<調和>をもって旨とする国民なんだ」
「・・・」
「<坂の上の雲>は3年も前の企画だそうだから、そこを意識したものじゃないかも知れないが、まさに今こそ戦後自信を失っている日本人を蘇らせるピッタリのタイミングなんだよ」
「・・・」

 たまたま、金沢の山ちゃんからこのドラマのロケが行われたという加賀市の<日本元気劇場>の戦艦三笠の写真が送られてきた。
 ・・・こんな所がふるさとに存在していたなんて知らなかった・・・

 今から105年前、無名の小国であった日本を世界に知らしめ、近代国家として認めさせた日本海海戦。
 当時世界最大最強と言われたロシアバルチック艦隊を撃破した東郷船隊は日本の植民地化を阻止するとともに文明開化を急ぐ日本人に大きな自信と元気を与えてくれました。
 三笠は大日本帝国海軍の戦艦で、明治37年(1904)からの日露戦争では東郷平八郎連合艦隊司令官の旗艦を務めた・・・この地でロケが行われた。

 

 戦艦三笠、正面

 

 主砲(30センチ)

 

 甲板上の鎖

 

 甲板上の碇

 ・・・だからと言って武器を持って立ち上がれというわけではない・・・

 同じ山ちゃんから<動画で清水寺にエア参拝>というコンテンツを紹介いただきました。

 

 手を洗って、お賽銭をあげ、清水の舞台から平和な京都の絶景を楽しみましょう。 必見の価値あり。http://air-sampai.jp/



金沢便り(17)加能カニ

2009-11-13 07:01:30 | 金沢便り
 金沢の山ちゃんから<金沢フォト便り>が届いた。

 1.加能カニ

 

 石川県内で水揚げされたカニを<加能カニ>と言う。
 俗称<楚蟹=ズワイガニ>と呼ばれている。
 (<楚>とは細い木の枝のことを指す古語である)

 水揚げされた漁港の独自のタグが付けられ地元産ブランドとして食品市場の店頭に並び、大きな蟹になると高値が付けられる。

 

 甲羅によく付着している黒いつぶつぶはカニビルの卵で、これが付着しているカニは脱皮後の時間が長いことを示しており、実入りがよい証拠とされる。

 

 地元の一般市民は<香箱ガニ>と呼ばれる雌蟹の甲羅のみそを好んで食べるようです。
 漁獲期間も雄蟹より短く、1月20日までである。

 ・・・毎年、暮れになるとこの<香箱蟹>が送られてくる。

 

 甲羅のみそだけでなく、細い足にも包丁を入れて割き、箸で繰り出して食べる。
 これもまた甘くて美味しい。
 ただ調理がけっこうたいへん。
 子どものころは母が、今では妻がやってくれる。
 足の肉を全部せせりだして皿に集め、みそと一緒に賞味する。
 幸せな気分になる。

 2.<鶴来~中鶴来~加賀一宮、廃線>

 

 さようなら、加賀一宮
 
 

 霊峰<白山>への登山には三つの禅定道があり、加賀・越前・美濃の三馬場が登山口である。
 白山比祥神社(しらやまひめじんじゃ)の参道への参拝電車として親しまれてきたが、交通手段などの変化により廃線される。

 

 ・・・ぼくは<しらやまさん>へ行ったことがなかった。

金沢便り(16)越中おわら月見風の盆

2009-10-24 12:56:43 | 金沢便り
 <金沢の山ちゃん>から越中おわらの月見風の盆のフォト便りが届いた。

 越中おわら風の盆は毎年9月1~3日に行われる。
 同月下旬には地元主催ではなく、ツアー企画会社の月見風の盆が。諏訪町、上新町のとなり組2町を舞台に越中おわら踊りの町流しを催している。
 
 上新町は商店の灯りが漏れるが、諏訪町は雪洞の灯りだけで、哀愁漂う胡弓などのお囃子にあわせ踊る様は幽玄そのものである。

 ・・・徳島の<阿波踊り>が<浮世>踊りなら、こちらは<憂世>踊りといった趣がある。

 諏訪町の通りの人波

 

 諏訪町の女踊り

 

上新町の町流し

 










金沢通り(15)金沢城は石垣の宝庫

2009-09-09 05:09:45 | 金沢便り
 <山ちゃんからの金沢フォト便り>

 金沢城の石垣は幾多の地震、火災あるいは軍隊などに崩されたり、壊されたりして、修復や復元が繰り返されてきた。
 修復の都度、使用可能な古いものを残し、その時代の新しいハギ(技法)が加わり積み重ねたことからいろいろな種類がある。

 

 野面(のづら)積・・・自然石を荒削りしただけの石をゆるい勾配で積み上げた            もの。

 

 打ち込みハギ(技法)・・・石の隙間に平らな石をはめ込んだ後に、形や大きさ              を揃えた割石が使用された。

 

 切り込みハギ・・・石の表面を多角形に加工し積み上げた。城の重要な部分に用          いられる。

 

 数奇屋敷石垣・・・藩主や奥方の住まいと観る視点で色紙短冊積もある。


 *近くの戸室山の石を切り出して城まで引いてきた通りは、現在でも<石引町>という町名で残っている。

 *余談ですが、明智光秀が造った<福知山城>の石垣は急いで造ったようで、墓石も含まれているとか。また、彦根城の石垣にも庭石や墓石が含まれているそうです。

 

 こ石川門下の石垣の写真は<NHK金沢>で放映された。
 打ち込みハギで、右の方には後に修復されたと想われる切込みハギの形跡が見える。
 
 なるほど!見るべき人が見ると、見えてくるものがあるのだ。
 
 

 ぼくは金沢に小学校3年生から高校3年生まで住んで、金沢城も何回か訪れているが、「金沢城? 門(石川門)だけじゃん」という感覚だった。
 室生犀星じゃないが、<ふるさとは遠きにありて想うもの>とばかりこの歳になるまで振り返ろうとしなかった。

 

 調べてみると、中学のそば、しょっちゅう通って遊んだ尾山神社の門は金沢城の二の丸御殿唐門を移設したものだとか。
 そんなことも知らなかった。
 1546年尾山御坊が建立され、加賀一揆で加賀国の支配権を得た本願寺の拠点となり、1580年佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、金沢城と改称、その後前田利家が入城したという金沢城の歴史などももちろん知らなかった。

 戦後金沢大学のキャンパスとして使われたことは知っているが、その後大学は移転、今では金沢城址公園として整備されつつあるそうだ。
 
 山ちゃんの<金沢フォト便り>をもらって感慨もひとしおである。


金沢便り(14)金沢の日食

2009-07-24 03:51:12 | 金沢便り
 金沢の山ちゃんからの金沢便り。

 <金沢、如来寺の日食>

 天気予報は「曇り空」、本当に曇っている。
 しかし、雲の動きは超音速ロケットのようだ。
 お月さんの影になったお日様が姿を変え地球の人たちに微笑んでいるようだった。
 平成21年7月22日、金沢如来寺境内にて。

 

 10時40分

 

 11時00分

 

 11時25分

 

 11時30分


 子どもの頃、金沢でガラスに煤を塗って見た記憶がある。
 46年前の皆既日食のときより前だから多分部分日食だったのだろう。

 今回、東京では曇りだったので、頭から期待していなかった。 
 皆既日食が見れるはずのトカラ列島の悪石島でも多数の観光客の期待を裏切ったようだ。

  

 わが大学の同窓会会長は事前に東京天文台で講義を受け、現地までクルーズで追いかけたようだが首尾はいかがだったろうか。

 次回は2012年5月21日、日本でも金環日食が期待できるそうです。

金沢便り(13)石仏万灯会

2009-07-15 05:03:25 | 金沢便り
 金澤の山ちゃんから<金沢便り>が届きました。
 
 金沢市・小立野の如来寺では20年をかけて、2000体の石仏を市民の手で彫り、境内に安置するという。
 県外からお越しの方やご夫婦共同制作など数ヶ月かけたという労作もある。


 創めてから15年目、檀家や市民の方々が彫り上げた750体の石仏に明かりを灯し、お盆前日に諸精霊位をお招きする法要です。





 大勢の参加にも拘らず、静粛のなか幻想的な雰囲気で心安らぐひと時を覚えました。


 <お盆と太鼓>の組合せは夏の風物詩、協賛の子ども太鼓の熱演に惜しみない拍手喝采。

金沢便り(12)犀川に育てられた

2009-06-26 05:03:54 | 金沢便り
 「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」
「夏の日の匹婦の腹に生まれけり」
「清き水は流れたり 吾その近くに住めり」

 室生犀星はオカンボ(妾)の子として犀川の辺で育った。
 彼の子ども時代は必ずしも幸せなものではなかった。
 むしろ苦いものだった。

 百万年前は海の底だったという<犀川百万年のロマン>と題する写真が金沢の友人から送られてきたので6月22日ブログに載せたところ、幼少時代を犀川で過ごした人たちからその思い出が寄せられた。

 *特に夏は下流の湧き水がきれいで冷たい池状のところで泳いだ。
 *釘を加工した銛で魚を獲り、帰り道で熟したトマトを失敬して食べた。

 *手ぬぐいを股にはさみ、ズボンのベルトで前後を留めて水着にした。
 *周りに人が少ない時はフリチンで。
 *鉄橋の下の渦巻きに飛び込むと、きれいに身体が回転する。

 *竹細工のブッテ(三角網)を仕掛け、石をハ状に並べて下流からみんなで追い立てる。
 *白いガイシにタコ紐、針、みみずを付けて水中に放置、しばらくして引き上げるとウグイなどが掛かっている。
 *夏に川が干上がって、あちこちが池のようになり、鮎などオロニガミ(手で掴む)だ。

 *鮎は毛ばり釣り。天候、水の具合で針を選択するのだが2本しか持ってなかった。
 *長い竿の先に鮎が銀鱗を光らせるのが夕日を背景に目に浮ぶ。

 *鉄橋の線路から下に入り、列車の通過を待つ。通過する列車が川に映画のように投影される。

 *女の子は3ヶ所にゴムの入ったズロース1枚で泳いだ。
 *親に見つかると叱られるのでスカートの下にズロースを忍ばせて出かける。
 *髪の毛はちゃんと乾かして、何気ない顔をして元気よく「ただいま!」と帰った。

 *犀川に魚が押し寄せて来ていると聞き、日本手ぬぐいを持って走ったこともあった。
 *速い流れに押し流されて溺れそうになったこともあったっけ。

 *脱ぎ捨てて置いてあったはずの服が盗まれて、大騒ぎになった。その後、どうやって帰ったのだろう???。

 こうして犀川と戯れたみんなは立派な社会人になった。

 犀星は犀川で友だちと遊んだろうか?
 ひょっとして遊べなかったことをバネに成長したのかもしれない。

 文壇に名を成した後も、彼は金沢に戻ることはなかったと言われている。
 しかし、犀川の写真をいつも手元に飾っていたとも聞いている。

 いずれにしても、我々は犀川に育てられた。