
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」
「夏の日の匹婦の腹に生まれけり」
「清き水は流れたり 吾その近くに住めり」
室生犀星はオカンボ(妾)の子として犀川の辺で育った。
彼の子ども時代は必ずしも幸せなものではなかった。
むしろ苦いものだった。

百万年前は海の底だったという<犀川百万年のロマン>と題する写真が金沢の友人から送られてきたので6月22日ブログに載せたところ、幼少時代を犀川で過ごした人たちからその思い出が寄せられた。
*特に夏は下流の湧き水がきれいで冷たい池状のところで泳いだ。
*釘を加工した銛で魚を獲り、帰り道で熟したトマトを失敬して食べた。
*手ぬぐいを股にはさみ、ズボンのベルトで前後を留めて水着にした。
*周りに人が少ない時はフリチンで。
*鉄橋の下の渦巻きに飛び込むと、きれいに身体が回転する。
*竹細工のブッテ(三角網)を仕掛け、石をハ状に並べて下流からみんなで追い立てる。
*白いガイシにタコ紐、針、みみずを付けて水中に放置、しばらくして引き上げるとウグイなどが掛かっている。
*夏に川が干上がって、あちこちが池のようになり、鮎などオロニガミ(手で掴む)だ。
*鮎は毛ばり釣り。天候、水の具合で針を選択するのだが2本しか持ってなかった。
*長い竿の先に鮎が銀鱗を光らせるのが夕日を背景に目に浮ぶ。
*鉄橋の線路から下に入り、列車の通過を待つ。通過する列車が川に映画のように投影される。
*女の子は3ヶ所にゴムの入ったズロース1枚で泳いだ。
*親に見つかると叱られるのでスカートの下にズロースを忍ばせて出かける。
*髪の毛はちゃんと乾かして、何気ない顔をして元気よく「ただいま!」と帰った。
*犀川に魚が押し寄せて来ていると聞き、日本手ぬぐいを持って走ったこともあった。
*速い流れに押し流されて溺れそうになったこともあったっけ。
*脱ぎ捨てて置いてあったはずの服が盗まれて、大騒ぎになった。その後、どうやって帰ったのだろう???。

こうして犀川と戯れたみんなは立派な社会人になった。

犀星は犀川で友だちと遊んだろうか?
ひょっとして遊べなかったことをバネに成長したのかもしれない。

文壇に名を成した後も、彼は金沢に戻ることはなかったと言われている。
しかし、犀川の写真をいつも手元に飾っていたとも聞いている。

いずれにしても、我々は犀川に育てられた。