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昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

有名人(41)男の魅力(14)本田圭祐

2010-06-25 10:42:03 | 男の魅力
 「やった!」サッカーワールドカップ、強敵デンマークに3-1で勝利を収め、日本は決勝トーナメント進出を決めた。
 
「それほどうれしいとは思わない」 勝利の立役者本田圭祐はそう言った。


「(自分には)持ってるものがありますね」「(自分にとっての)目標は優勝ですから」
 緒戦、カメルーンに貴重な1点をもたらした時の彼の言葉だ。
 正直このことばを聞いて、なんとふてぶてしい男だろうとぼくは思った。

 オランダ戦でボールを奪われ、圧倒され、何の働きもしない彼の姿を見て「いやあ、言ってるほどの者じゃないよ・・・」と言っていた彼のおじいさんの言葉を思い出し、やっぱり単なる<ビッグマウス>にすぎないのか、口ほどにもないやつだとぼくは彼の評価を下げた。

 しかし、今回のデンマーク戦でぼくは彼を完璧に見直した。
  

 フリーキックを遠藤ではなく、彼が打とうとしていたとき、ぼくは前の試合、彼の浮き上がった失敗キックを思い出していた。
 ヨーロッパ選手権のとき、ロシアのチームの一員として成功したキックだって、相手のゴールキーパーのミスかもしれないじゃないかと・・・。
 
 しかし今回のフリーキックは評判どおりの無回転で落ちる完璧なものだった。
 それと、3点目のアシストがすばらしかった。普通の選手ならあの時自分でシュートしただろう。しかし、彼は冷静にサイドの岡崎に送って完璧を期した。
 そういえば、カメルーンから奪った貴重な1点も彼の冷静な足捌きから生まれている。

「今回はゴールしたとき観客席に向かいましたが?(前回はベンチに向かった)」
 バカなインタビュアーが彼に心情的なコメントを期待して質問したが、彼は「ただ、近かったから・・・」といなした。さらに「胸の国旗のマークに手を触れたように見えたのですが?」と国を背負う言葉を引き出そうとすると「それは当たり前のことで、むしろテストマッチの際はその意識が強すぎてから回りしていたので、今は自然体でやている」と返した。
 つまり、彼は単なる大口たたきではなかった。冷静に状況を見極め処理するクールガイでもあった。
「それほどうれしいとも思わなかった・・・」
 月並みでない、この言葉に彼の本心が現れていると、ぼくは彼を改めて見直した。
 彼はこんなものでは満足しないのだ。
 
 日本に新たなスターが誕生した。
 

有名人(40)男の魅力(13)

2010-04-14 05:17:32 | 男の魅力
 井上ひさしが肺がんで亡くなった。享年75歳。
 

 もちろん彼が劇作家として著名であることは知っているが、そんなに詳しくない。
 <吉里吉里人>も読んでいない。<ひょっこりひょうたん島>の作者で、奥さんと家庭内暴力事件でマスコミを騒がしたという興味本位な関心しかなかった。
 

 ぼくは退職して10年以上になるが、その間気になった<言葉>をメモに残している。
 彼に関するものを引っ張り出してみたら、なかなか興味深い発言をしている。
 彼の死を悼む著名人の言葉と重ね合わせると、ぼくにとって魅力ある男が浮かび上がってきた。

 放送作家、小説家、劇作家として社会性の強い作品を多く書いたことで有名だが、とかくシリアスになりがちなテーマを彼は<笑い>とか<喜劇>の手法で処理するユニークな作家だと演劇評論家、扇田明彦は述懐している。

 彼に関するぼくのメモ(その1)
 ・・・いまは体育館より広いところで、みんな勝手にやっている時代なんです。そこで誰かが面白いことを言ったときに、勝手なことをやっていた人が、一瞬パッと見て「あ、そうか」と笑って、また勝手なことをやりますね。みんなの目を一瞬でもひきつけるのは、笑いによってしかできない。叫び声やお説教ではこっちを向かせることはできない。・・・

 なるほど! 時代を見る目は確かだ。10年以上前の彼の言葉だが、今やテレビ界は<お笑い>満載で若い視聴者を取り込もうとしている。

 そういえば、テレビ漫画、<ムーミン>や<忍者ハットリくん>のテーマソングも彼の作になるものだそうだ。
 

 扇田氏の言葉をさらに引用する。
 ・・・1960年代から晩年まで、井上氏が劇作家として常に第一線であり続けてきたのも特筆に価する。日本の劇作家の多くは若いころに代表作を書いてしまうが、井上氏はまるで元気な活火山のように70歳代に入ってからも、<ムサシ><組曲虐殺>のような意欲的な秀作を発表し続けた。作家チェーホフの生涯を描いた井上氏の晩年の音楽劇<ロマンス>(2007年初演)に、主人公が語る印象的なせりふがある。人間は{あらかじめそのうち側に、苦しみをそなえて生まれ落ちる」のだが、笑いは違う。笑いは「ひとが自分の手で自分の外側で作り出して」いかなければならない。「もともとないものをつくる」のだから「たいへん」なのだ。・・・

 メモ(その2)
 ・・・<さまざまな能力に恵まれた清張さんではあったが、畢竟、その天職は書くことであった。つねに探究心を失わずに、書くことによってのみ慰謝を受けた人が松本清張だったと思う>(宮田毬栄<追憶の作家たち>から)これほど端的に清張さんの本質を抉った評言を知りません。・・・
 
 これは井上ひさしの6年前の言葉だが、まさに彼自身が<書くことによってのみ慰謝を受けた人>だったのだ。

 そして、彼の座右の銘は<難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを愉快に、愉快なことをまじめに>だったと言う。
 
 彼の考え方や、生活態度はともかく、少なくとも<書くこと>に対する姿勢はぼくにとって魅力そのものだ。

 

有名人()男の魅力(12)

2009-11-24 05:50:32 | 男の魅力
 <男の魅力12>

 昨日、NHKの<おはよう日本>をいつものように見ていた。
 なかなか格好いい日本人の指揮者がヨーロッパ人の交響楽団を指揮している。
 最近クラシック音楽で海外で活躍する日本人の若者が多いからその一人かなと見ていた。
 特集<”和解”へのハーモニー・日本人指揮者の挑戦>とある。
 演奏しているのは、旧ユーゴスラビアで民族紛争を重ねた結果分断されたセルビアとコソボ(大半はアルバニア人)の混成楽団だという。

 指揮しているのは柳澤寿男。
 

 ぼくはクラシック音楽には疎い方なので彼のことは全く知らなかった。
 しかし、最近、ユーゴスラビアではないが、同じく民族紛争の歴史に翻弄された中欧地区、チェコ、ハンガリー、スロバキアを旅行してきたぼくは、独立した今もお互いに反目し合っている民族が一緒にオーケストラの団員として演奏していて、それに関わっているのがこのイケメン日本人指揮者であるということに強い関心を抱いた。

 調べてみると彼は1971年生まれの38歳。
 パリ・エコール・ノルマル音楽学院でオーケストラ指揮科に学び、2000年に東京国際音楽コンクール(指揮)に弟2位となり、その後、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、新星日本交響楽団など多数で客演指揮をしている。

 また、海外では2005年~07年マケドニア旧ユーゴスラビア国立歌劇場主席指揮者、アルバニア国立放送交響楽団、サンクトベルグ交響楽団などに客演している。
 2007年3月には、99年NATOの空爆以降、国連コソボ暫定行政ミッションの統治下にあったコソボフィルハーモニー交響楽団に客演、10月には同オーケストラ常任指揮者に就任している。

 同年、彼はバルカンの民族共栄を願ってバルカン室内管弦楽団を設立した。
 

 ニューズウイーク日本版<世界が尊敬する日本人100人>に選出されている。
 今年5月、コソボ北部のミトロヴィッツアとズベチャンにて、セルビア人、アルバニア人、マケドニア人を楽団員に国連などの協力を得て、バルカン室内管弦楽団のコンサートを実現させた。
 約20年ぶりとも言われる両民族の共演によるコンサートの成功は遥かニューヨークや東京にも伝わり、今年11月にニューヨーク公演、東京公演にも招聘されるという。

 昨日見たNHKの特集番組では、その最初のステップとなった時のことを描いている。
 柳澤はなぜ今でもお互いへの<恨み>を抱き続ける両民族を音楽で結びつけようとしたのか。

 ・・・いざとなったら、今でも楽器を捨てて、武器を取り彼らと戦うことを優先するだろう・・・
 この楽団員のひと言がきっかけだった。

 コソボとセルビアを結ぶ橋がある。
 お互いの民族はこの橋を渡ることができない。
 柳澤は日本人なのでこの橋を行き来して、この交響楽団結成の趣旨を伝え、両方から楽団員を誘うことに成功した。

 しかしタテマエは理解できても、言葉が違い、宗教が異なる彼らは顔を付き合わせれば、辛かった過去を思い出し、お互いを根っから信じあうことができない。
 それぞれお互いを認め合って練習する場がこの地にはないのだ。

 柳澤は東京に彼らを呼び寄せ、一緒に練習し公演することを企画した。
 総勢十何人かが東京に集結した。
 柳澤が意図するところは彼らも十分理解しているのだが、お互いの民族に対する不信は根深い。
 ホテルで食事する時も彼らは別々にグループを組んでしまう。
 お互いに話し合う場をつくっても、顔がこわばりうまくいかない。

 柳澤は彼らを東京見物に誘い出し、電車に乗ったりリラックスさせることを試みる。
 徐々にお互いがしゃべりあえるようになる。
 相手の誠実さが分かるようになる。

 しかし、演目<バルトークのルーマニア民族舞曲>の練習に入ると、スピードは合わない、4分音符が合わない。お互い教えられた方法が異なっているのでバラバラだ。
 はたして残された5日という短時間で公演に間に合うのか。
 それでも柳澤の指導と彼らの努力でなんとか間に合った。
 公演は成功。
 
「お互いに信頼が芽生え始めました。今はうれしい気持ちでいっぱいです。前へ進むことができそうです・・・」
 演奏を終えたパーティーで、彼らは生き生きとした表情でお互いに乾杯した。

 格好いい柳澤寿男に乾杯!
 
 



 

有名人()男の魅力(11)

2009-08-17 06:59:40 | 男の魅力
 <男の魅力11>

 

 <王、長嶋が太陽のもとで咲くひまわりなら、オレはひっそりと日本海で咲く月見草>
 これは野村克也の言葉として有名である。

 1975年、王貞治が600号ホームランを打った後、野村も600号を打った。
 記念すべきインタビューのために野村は気の利いたコメントをしようと考えていた。
 ここが月並みな他の選手と違うところだ。

 

 彼は貧しい少年時代、新聞配達の途中だったのだろうか、誰も見ていない海辺に美しく咲く月見草を不思議に思ったそうだ。
 その時以来胸に秘めていた思いが言葉となって現れたのだ。

 ここに彼が野球選手として、また監督として成功した原点があるとぼくは思う。

 彼については毀誉褒貶、好き嫌いがあると思うがぼくは好きだ。
 <気の利いたことを考えようとする>、<杓子定規でない、率直な物言いで思いを表現する>という点が好きだ。

 昨日、妻に促されてNHKのBS、プレミアム8<野村克也>に見入ってしまった。

 魅力ある男にはエピソードがつきものだ。


 選手時代、一時期彼はカーブが打てなくて悩んだ時期があった。
「ほらあ、カーブがくるぞ!」
「カーブの打てない、ノ・ム・ラ!」と野次られるほどだった。
 特に好投手、稲尾和久を大の苦手としていた。
 しかし、研究熱心な彼はテッド・ウイリアムズの著書からヒントを得て、投手には球種によって癖があることを知り、16ミリで研究、攻略した。

 捕手として<ささやき戦術>などを使って相手打者の集中力をを殺ぐなどの心理作戦をとったこともある。

 三冠王や8年連続のホームラン王など赫々たる実績を残したが、1980年、ついに選手としての引退を決意する。
 そのきっかけとなったのは西武に移籍した対阪急戦、1点を追う展開の中、8回裏、1アウト満塁で彼は初めて代打を送られた。
 ベンチに下がった彼は代打策の失敗を願い、結果は彼の期待通りダブルプレーに終った。
 ・・・ざまあ見ろ・・・と思ったそうだ。
 ところが帰途、チームの勝利を願わねばいけない状況での自分の気持ちを情けいと反省、選手としての引退を決めた。

 その後、解説者として活躍、その鋭さを評価したヤクルトの社長に1980年、監督を要請される。
 当時のヤクルトはファミリー主義の明るいチームカラーで人気があったが、勝負に対する甘さがあり、Bクラスに低迷していた。 

 1990年に彼はデータを重視するID野球を掲げてチームの改革を図る。
 特にドラフト2位で入団した古田敦也捕手に目をかけ、英才教育を施した。
 
 

 最初「サインは何となく出している」などと言っていた彼に、勝負の分岐点を意識する配球について論理的に理解させるところから指導した。
 古田はやがて守備面で大きな進歩を遂げると同時に打者としても首位打者を獲得するなど顕著な成長を見せた。

 1992年にはセリーグの混戦を制して優勝した。
 途中、天王山の対中日戦で、怪我、手術などで4年ぶりという荒木大輔を起用する賭けに出て成功する。
 甲子園で活躍し、いざという場合の彼の試合度胸に野村は賭けたのだ。

 1997年の対巨人開幕戦では、前年広島を自由契約になった小早川毅彦を起用、巨人のエース斉藤雅彦から3本のホームランを打って開幕ダッシュに成功、リーグ優勝、日本シリーズでも西武を破って三度目の日本一になった。

 後、三顧の礼で迎え入れられた阪神では、伝統の壁に阻まれて失敗するという苦渋を味合うが、ノンプロのシダックスの監督を経て、再度プロ野球の楽天に監督として招聘される。

 ここでも、過去本塁打王、打点王の実績を持ちながら不振にあえぎ球団を転々としていた山崎武司を獲得し起用した。

 

 最初悩んでいた彼に「気楽にいけよ」と言った野村監督の一言で彼は再生、本塁打王、打点王まで獲得することになる。
「身勝手な自分が、チームのために働こうという気持ちになった」と山崎は言っている。

 人を育てるということは、自信を育てるということだ。
 人づくりは<愛情>、さりげないひと言が効くと野村は言っている。
 自信を失ったり、盛りを過ぎた選手を何人も再生し、野村は再生工場と言われている。

 選手を指導するとき、彼は<人間はなぜ生まれてくるのか>というところから説き起こしている。
 人として生まれる。人として生きる。人として生かす。
 生きるため、存在するためにどうするかを考えろ、と。

 振り返ってみると、野村克也の人生は<無形の力(観察力、洞察力、判断力、決断力)>などを活用し、自らを含めて<弱者を強者に再生するための道>だった。

有名人()男の魅力(10)

2009-08-03 06:47:29 | 男の魅力
 <男の魅力10>

 

 ツアー最長、最難関と言われる小樽CCで行われた<サン・クロレラ・クラッシック>で17歳の石川遼は、34歳のブレンダン・ジョーンズとの最終4ホールの死闘を制して今期2勝目、ツアー通算4勝目を達成した。

「BJのおかげです、彼のおかげで優勝できたと思います」
 優勝インタビューで17歳の若武者は涙を流しながら喜びを語った。

 ぼくは最初BJなるものが何者か分からなかった。
 付き添っていた若いキャディのことだろうか、それとも彼の専属レッスンコーチなのだろうかなどと思ったりした。
 しかし彼がその言葉を繰り返すうちに、それが死闘を繰り広げたブレンダン・ジョーンズのことだと知って、若いながらも相手を思いやる彼の心に深く胸を打たれた。

 ブレンダン・ジョーンズと3打差で最終日に臨んだ石川遼は彼自身スコアを伸ばしていたが、BJはノーボギーと快調に石川に1打差まで肉薄していた。
 前日パターが不調で、「パターさえ入れば優勝はありうる」と公言していたBJはこの日パターを修正してきていた。
 ぼくは、彼を脅かすとすれば経験豊富なBJに違いないと思っていた。

 そしてついに15番で石川はボギーを叩き彼に並ばれた。
「顔つきが対照的ですね・・・」
 テレビの解説者が言った。
 石川の顔は緊張で青ざめているように見えた。
 キャディと談笑するBJは、・・・もう勝負はオレのものだ・・・と言っているような穏やかな顔をしていた。
 ぼく自身これで遼の優勝はないなと感じた。

 ところが遼は踏ん張った。
 最終ホール18番でお互いが第一打をバンカーに入れる。
 最初に打った遼はナイスショットでピン上2.5メートルにつける。
 ・・・やるじゃん・・・
 BJの顔色が変わったように見えた。
 しかし彼もさるもの。
 ピン下、3メートルのバーディチャンスにつけた。

「BJの方が若干遠いですが、下からですから。石川の方は上からですからたいへんです・・・」
 解説者が言った。
 ぼくもその通りだと思った。
 ・・・ここで若武者はついに古豪に押さえつけられてしまうのか・・・

 BJがわずかに外し、遼は鷹のような目で、慎重に狙い定めてしかし、柔らかいタッチでバーディパットを決め、やったぜ!と派手なガッツポーズを決めた。

 しかしインタビューでは緊張の糸を解いて涙を流し、しかも痛めつけられた相手に尊敬の念さえ述べた。
 苦しみも前向きに受け止める。

 青木功が「プレッシャーを感じながらこれだけのゴルフをするとは末恐ろしい、どこまで伸びるか先が見えない・・・」と感嘆したそうだ。

 <微妙な17歳>と言われるが、すでに人並み外れた精神力を感じる石川遼には計り知れない<男の魅力>を感じる。


 

有名人()男の魅力(9)

2009-07-30 06:08:48 | 男の魅力
 <男の魅力9>
 
 

 「福澤諭吉のことを服部禮次郎さんが講演している内容が載っているよ」
 恒例の雑談会のあと、先輩がかばんの中から交詢雑誌を取り出した。
 正直ぼくは気が乗らなかったが、他の者が手を出さなかったので塾の後輩であるぼくが受け取った。

 だいたいぼくは変に遠慮深いところがあって、わが母校を誇る行為にためらいがある。
 臆面もなく関係ない人たちの前でそういう行為のできる人がうらやましくもある。
 何か自慢しているように受け取られるのを気にしているのだが、内輪同士でもそういう話題にはあまり気乗りしない。
 <福澤諭吉>のことを勉強していないからかもしれないが・・・。
 塾の風上にも置けないヤツなのである。

 そんなぼくが、「福澤諭吉は話しかける ─三寸の舌、一本の筆 ─」という服部さんの講演内容をを読んで実に素直な気持ちになった。
 福澤諭吉という男は、実に世の中の何にでも興味津々、決して格式ばってなくて、ざっくばらん。
 長屋のご隠居のようなオジサンだとうれしくなってしまった。

 彼は本を著すだけでなくおしゃべりも好きだったようだ。
 自らが人に語りかけるだけでなく、ひとにもおしゃべりを推奨して、自宅でティーパーティーのようなものを開いたり、交詢社をつくってみたり仕掛けをする人でもあった。

 ・・・さて身にかなう仕事は三寸の舌、一本の筆より外に何もないから、身体の健康を頼みに専らに塾務を務め、また筆をもてあそび、種々様々のことを書き散らし・・・などと<福翁自伝>に書いている。
 彼の<三寸の舌>は独り言ではなく、対話である。
 話し上手であると同時に聴き上手でもあった。

 「福澤先生は偉いものだ。人を書物にしていた」
 主治医の松山棟庵は福澤の死後述懐している。
 つまり彼は書物からだけではなく、例えば一人の来客から得た知識を他の来客に受け売りしていきながら、対話で得た知識をどんどん蓄えていったという。

 ・・・日進、日進といいながら蒸気機関、電信などの新発明があるが、<旧発明の機械>というのがある。この機械があれば、それはそれは自由自在の働きができて、馬鹿者を利口者にしたり、利口者を馬鹿者にしたり、世の中を治めることも、世の中を乱すことも、人の喜怒哀楽を自由自在に扱い・・・
 それは<筆と紙>ですと<学問のススメ>の中で言っている。

 本を書くということは、まず自身が知識を蓄えるために本を読む。
 どこかへ出かけてものごとを見る。
 ひとびとに接する。
 そして理屈づけ、体系的にまとめあげる。
 さらに人にそれを語って反響を聞いた上で、練り上げて本にして社会に出す。

 しかも自分の思ったことを勝手に偉そうに書くのではない。
 あくまでも知見の広き人が知見狭き人に情報を与えるのが著述であるから、相手の程度、レベル知識をよく理解して、それに向くように書いてこそはじめて著述といえる。

 つまり自分のためにするものに非ず、全くひとのためにしているのだ。
 常に人のためであるとすれば、他人のほうが主であって、書く人のほうが従である。

 特記すべきは彼の著書のタイトルだ。
 <学問のススメ>などは当時としてはユニークでフレッシュな感じがする。
 <日本人は馬鹿なり>というタイトルの漫言がある、
 読んでみると、日本にはこうすればいい、ああすればいいといろいろあるのだが、なかなか手をつける人がいない。
 本当にもったいないことだ。今、やっておけばいいのに、というようなことが面白おかしく書いてある。
 それを<日本人へのお勧め>などとはせず、みんなの目を引くネーミングが上手だった。

 彼は手紙をたくさん出している。
 門下生に叱責や励ましの手紙、親戚に宛てたものもあるし、友人への礼状、出入りの大工さんや植木屋さんにいたるまで実にこまごまと、相手が分かるような本当に上手な、相手の心を捉えた手紙を出している。
 情の深い先生の一面を知る上で貴重な資料だ。

 福澤諭吉は、けっして独りよがりでなく、いろいろな後世の人たちにも伝わる分かりやすい言葉をたくさん残された。

 卒業して何十年も経ってようやく先生の魅力を知るなど、まさに不良塾生のそしりを免れるものではないと、深く反省。



 

有名人()男の魅力(8)

2009-07-22 05:05:55 | 男の魅力
 <男の魅力8>

 NHKスペシャル、<マネー資本主義、危機を繰り返さないためにどうすべきか>



 ぼくはバングラディッシュに投資したベンチャーキャピタリスト<原丈人>という男にひと目で惹きつけられた。
 50歳を越えているだろうか、柔和な表情の中にも目は鋭い。
 ベンチャーキャピタリストというと、村上ファンドの村上世彰のように「金を儲けてどこが悪いんですか?」というマネー資本主義の寵児を思い出すが、彼は違う。

「日本のことを尊敬される国にしたいんです」という深い思いが彼の根底にある。
 ただお金を儲ければいいとは思っていない。
 
 彼がバングラディッシュに投資したケースが取り上げられていた。
 バングラディッシュはアジアでも一番貧しい。
 乳児死亡率が非常に高い。
 6人に1人の子どもが6歳までに死んでしまう。
 そこには彼にとって絶対に何とかしなければいけない環境があった。

 医療と教育をなんとかしなければいけない。
 一番の問題は大人の半分が字を読めないことだ。
 学校があっても、病院があっても先生が、医師がいない。
 少ない先生や医師を育て、効率的に活用するにはどうしたらいいか。

 彼は日本の得意なワイアレスのブロードバンドの最先端技術を使って、ハイビジョン画面で双方向で接続することを考えた。
 投資するにあたって、40%は地元のNGOに拠出してもらう。
 彼らはボランティアだから株主配当を出す必要がない。

 このNGOは<マイクロクレジット>という無担保で貧しい人々に融資して自立支援するやり方で、担保も無いのに100%近い回収を可能にした実績を持っていた。
 そしてこの試みは成功した。

 この番組ではもうひとつのケースとして鹿児島銀行が地場産業に投資する例が取り上げられていた。
 リスクがあると躊躇しがちな畜産業に、建物土地ではなく、ブタや牛を担保に融資するというユニークな方法で顧客に感謝されている。
「銀行は黒子に徹するべきだ」とこの銀行の頭取は言っていた。

 ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は、これからの資本主義経済には<公共の概念>が必要であると説いている。
 この二つのケースには単に金を儲ければいいということ以上に、まさにこの概念が取り入れられている。

 こういう新しい概念に基づいたアイデアで事業が成功すると、あちこちの権威あるところから評価されることになる。
 
 <原丈人>は、デフタ・パートナーズグループの会長であるが、実績を足がかりに今では、国連の後発発展国担当大使、アメリカ共和党のビジネス・アドバイザリー・カウンセル名誉共同議長、さらに日本の財務省の参与、政府税制調査会特別委員、
産業構造審議会委員、総務大臣ICT懇談会委員等の要職に名を連ねることになった。
 しかも彼の賢いところはこれらの立場を利用して、さらなる社会的に有意義な投資を成功させていることである。

 1952年生まれの57歳。
 慶応義塾大学法学部卒業後、考古学研究を経て、スタンフォード大学で経営学、工学を履修、29歳で光ファイバーのディスプレイメーカーをシリコンバレーに設立成功を収める。
 その後、デフタ・パートナーズを創業、多数のIC関連企業の立ち上げに関与している。

 社会に対して厳しくも、柔和な目を注ぐ<原丈人>は魅力的な男である。
 
 

有名人()男の魅力(7)

2009-07-04 03:52:33 | 男の魅力
 <男の魅力7>

 今日の<NHKスタジオパークからこんにちは>は姜尚中だ。

「憲法記念日に市がお招きして講演していただいたのがたいへんな評判だったわよ」と家内が言っていた。
 例の、現状に批判的なインテリ男かと、正直今まで好感を持っていなかったので、なんとなく気乗りしなくてぼんやりと見ていた。

 「朝まで生テレビ」などで独特の低い声をひびかせて、論客相手にけっこう熾烈な主義主張を浴びせかけていたが、常に冷静沈着な態度が印象的だったことを思い出す。
 アナウンサーの問いかけに、やわらかな物腰で静かに語りかけるようにしゃべる。
 女性に人気があるのがなんとなくうなずける。

 最近「日曜美術館」の司会を務めている。
 ぼくは、えっ? なぜ彼がと思っていたが、彼自身もNHKから話があったとき、晴天のへきれきだとビックリしたそうだ。
 子どものころ絵が好きでよく描いてはいたが・・・と。
 好評ですよと言われて、いえ、いえ、相手役の中條アナに支えられていますので、と謙虚だ。

 今、彼の「悩む力」がベストセラーになっているので話題になる。
 
 悩むときはあるが、迎合することなく萎縮してもよくない。
 悩むことは生きる力だ。
 自分の顔を鏡に映して、名前を呼んで自分を褒めてあげよう。
 希望を持って、絆を信じ、横着でもいい大胆に生きよう。
 自分を笑い飛ばす余裕がほしい、ダンディに過ごすことも忘れないように・・・と。
 
 60歳を前にしての生き方を聞かれる。
 できればワイルドに横着に生きたい、オートバイに跨って日本縦断なんかもいいなと言う。
 この歳になると、35年連れ添った妻といっしょに山登りがいい。
 小さな生き物にくるまれていることが五感で実感できる。

 尊敬するのは夏目漱石だ。
 胴長、短足の自分を笑い飛ばしながらもダンディに生きる。
 内からにじみ出るダンディズムがある。

 松岡正剛が姜尚中の書いた「ナショナリズム」の書評の中で触れているエピソードを紹介しよう。

 10年以上前のことになるが、国際物語学会のトークイベントに彼と美輪明宏を招いたことがあった。
 本番前に二人を紹介したとき、姜尚中が例の声のまま、「ぼくは美輪明宏さんの、本気なファンなのです」とまっすぐ美輪明宏さんの目を見つめて、その好意を告白した。
 美輪さんは高い声で、「あら、ほんと。それはうれしいわ、よろしく」とにっこり笑っただけなのだが、そのとき、姜尚中の顔がパッと赭らんだ。
 
 これは彼の純情可憐とその思想のピュリズムを表す大事な場面のひとつであって、今後彼がまったく現実的な政治問題や国際政治にコミットしなくなって、・・・たとえば、美輪明宏と童謡やアリランをめぐって対談をするだけになっても、ぼくはそこに、本書(ナショナリズム)とまったく同様の価値を見出すだろうと思うのだ。
 彼はそういう男前であるということだ。

 けれども、なのである。
 もっと男前になってもらうには、正しいか正しくないかなどということの判定を期待される者の役割から離れて、好きな本を読み、メディアに登場してもらいたいとも思っている。

 NHK日曜美術館は、まさしく松岡が期待する姜尚中が登場すべき場だったのだ。

 見ている人はちゃんと見ているということか。 
 
 

有名人()男の魅力(6)

2009-03-26 10:29:43 | 男の魅力
 <男の魅力6>

 WBCで日本は二連覇を達成した。
 最後に決めたのはイチローの二点タイムリーだった。

 正直、今回ずっと観戦してきて、他の一部の評論家と同様、ぼくはイチロー衰えたりと思っていた。
 春先はだいたい調子が悪いし、そのうち上向いてくるよという見方に対し、いや、もう歳だし、ずっと頑張ってきたツケが出てきたのではと悲観的だった。
 しかし、イチローには身体的な面とは別な力を持っていることを今回痛感した。

 イチロー自身、語っている。
「苦しいところから始まってつらさになって、つらさを超えたら痛みがきた。心のね」

 しかし、最後の最後チャンスが巡ってきた場面で彼は思った。
「日本からの目がすごいことになっていると自分の中で実感した。視聴率とか。自分でそんな自分を実況していた。そう思ったら普通結果が出ないんですけどね。ひとつの壁を越えたということか」

 そして勝利インタビューで言った。
「個人的には最後まで足を引っ張り続けた。韓国、キューバのユニホームも着たけれど、最後にジャパンのユニホームを着て、おいしいところだけ頂きました」
 
 なんと素晴らしいコメントだろう。
 彼は野球のセンスだけでなく、言葉遣いの天才だと思った。

 ぼくは昔からの彼のファンだ。
 10年前、彼が電撃結婚宣言をした。
 相手はぼくが好きだった、冷静沈着な福島弓子アナだった。
「価値観が同じで、同じ空間にいて心地いい」
 なんと素晴らしい言葉だろう。

 いろんな人が彼を評している。
 
 劇作家、山崎正和は「イチロー選手は日本では必ずしも快適にプレーしているようには見えなかったが、米国で自分の天地を得たようだ。人情や仲間意識といった日本の風土になじまず、実力で結果を勝ち取れるアメリカという国が合っていたのではないか」と分析している。

 ところが、前回のWBC監督王貞治は「イチローは個人主義者かと思っていたが、チームリーダーだった」と見直ししている。

 そんなイチローを朝日新聞の西村欣也は「イチローは自分を客観視するもう一人のイチローを持っている。だからこそ、自分の置かれた状況を彼は自ら把握できたのだ。
 自分を客観視する能力と自分に入り込む能力。
 このふたつを兼ね備えたアスリートを超一流と呼ぶのだろう。

 最後にイチロー自身が締めている。
「チームにリーダーが必要だという安易な発想があるが、みんなに向上心があれば、今度の場合そんな必要はなかった」
 今度の場合というのは一流選手が集まったチームの場合という意味だろう。
 至言である。
 
 シャンパンファイトのさなか、容赦なく酒を浴びながらイチローは言った。
「この先輩をリスペクトしない態度が世界一の原動力なんです」

 イチローがアメリカに渡ったわけも、日本代表チームの中で活躍できたわけも、この一言がすべて現しているとぼくは思った。
 
 

有名人()男の魅力(5)

2009-02-17 07:13:09 | 男の魅力
 <男の魅力5>

 NHKスタジオパークからこんにちは、村松崇継。
 全く知らない人だ。
 
 「若くて、イケメン、天才作曲家です!」と武内陶子アナが絶叫しているので、切ろうと思っていたが見る気になる。

 傍らのピアノで武内アナを即興で表現、ハイテンションで明るく、軽やかだ。
 ついでに相方の稲塚アナ、重厚でゆったりと、ゾウさんのイメージだ。
 なるほど! 天才かもしれない。

 民謡の父親、歌謡曲大好きの母親というクラシックに全く関係ない環境で彼はピアノを勉強することになる。
 やるとなると、母親のスパルタ教育炸裂。
 一日3時間の練習はこれだけでも小学低学年の彼にはたいへんな苦行だ。
 おまけに成果を問われる。
 帰宅途中の車の中で、反省させられ、できが悪い日は、神社の所で車から放り出され、放置されたという。

 中学受験の時、受験勉強にも懸命だった母親は、彼が志望の学校に落ちると、参考書類を庭に放り投げたという過激さだった。
 そんなわけで中学1,2年の頃は勉強にも身が入らず、友だちもなく、無口になり、いじめられっ子だった。
 学校から少しでも早く帰り、ピアノと遊ぶのが彼の唯一の楽しみだった。

 ピアノの発表会では、周囲への反発心から課題曲を弾いていても途中から自分で勝手に編曲して弾いたりした。
 もちろん叱られもしたが、中には「あの子、ちょっと面白いんじゃない」と理解する先生も現れた。

 16歳の時、たまたま母親の勧めで浜松のミュージックコンテストに参加、浜松市民賞を受賞する。
 一躍彼はマスコミに天才少年作曲家と囃され、学校前にはファンの女子学生が集まるほどになった。
 この時から彼は自分に自信が持てるようになり、明るくなる。

 彼は作曲に関心を持つようになり、国立音大作曲科を優秀な成績で卒業、作曲家への道を歩み始める。
 連ドラ<だんだん>のテーマ曲<いのちの歌>は、めぐみの育ての親、嘉子さんの心中を思いやって、励まし救ってあげたいという気持ちで作ったという。
 ここまでに彼が育ったのは、ひとえに母親のおかげだという彼自身の想いも込められている切々とした気持ちが伝わってくる曲だ。

 ここまで歩んできた彼の道は、かならずしも平坦でなかっただけに、かえっていろいろな人に訴える曲が書けるのだと思う。
 NHK連続テレビ小説「天花」や「氷壁」など、テレビドラマの音楽、「クライマーズ・ハイ」などの映画音楽、そしてユニバーサルジャパン・ミュージカルファンタスティックワールド音楽担当など多方面で活躍している。

 最後に自分自身を表現するために作ったという<デパーチャー>を演奏。
 トンネルに入ってしまった人たちの、暗闇の先にほのぼのとした明るさが見えてくる曲だ。
 彼のこれからに期待が広がる。