旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

純米大吟醸のお燗

2012-02-09 21:26:41 | 

 

 昨年暮れから今年にかけて、随分いろんな酒を飲んだ。もちろん日本酒で、例年元日にのむ「亀の翁」は別にしても、御代桜、米鶴、天狗舞、李白、出羽桜、升一、NEXT FIVE,今代司、賀茂泉…、中でも米鶴はシリーズで6種類飲んだので幅広い。ほとんどが純米吟醸、純米大吟醸や大吟醸で、いずれも相応の味を味あわせてくれた。どれを飲んでも、近時の日本酒は本当においしくなったと思った。 中でも懐かしかった酒は福岡の「いそのさわ」。その名も「純米吟醸『駿』」…、山田錦100%使用で精米歩合50%、九州の酒らしく柔らかく甘みも豊かで、程よい酸味が正月の日本料理によく合った。

 私はこれらの酒を、かなり多くを燗で飲んだ。今年の異常な寒さが燗酒を求めさせたのかもしれないが、、今振り返っていずれも燗がおいしかった。思い起こせば、地酒ブームとともに世に出てきた吟醸酒や大吟醸(含む純米)は、一切燗をしてはならないとされてきた。吟醸酒どころか一般純米酒までも燗は禁じられてきた。近年、ようやくその禁が解かれつつあり、蔵元からくる酒便りなどにも「大吟醸の燗酒もどうぞ」など書かれるようになったが、以前は、吟醸酒類を燗して飲んでいるなどが知られると馬鹿にされたものである。
 実は私は、そのような時代から大吟醸(特に純米大吟醸)でも燗をして飲んでいた。表向きは「ハイ、わかってます、じっくり冷やして飲んでます」などと言いながら、家では燗をして飲んでいた。
 吟醸酒の特徴の一つが「香り」であるので確かに冷やした方が香りはいいが、40度から42度くらいの燗は、香りもいっそう残し米の味と豊かな甘みを広げる。私はこれが好きで昔から燗で飲んでいた。アル添酒は燗をするとアルコールのにおいが気になるが、純米吟醸や純米大吟醸は正に日本酒の味が広がる。
 久しぶりに飲んだ「いそのさわ」純米吟醸の燗酒は、それに酸味がよく効いて、寒さをしのぐ連夜のなべ料理のいずれにもマッチした。実に幸せを感じた純米吟醸の燗酒であった。


K君のこと … 高校同窓会にて

2012-02-06 10:36:04 | 

 

 臼杵高校第6回卒業生(昭和29年卒)は今年で喜寿を迎える。東京近郊に40名近くはいるはずであるが、毎年20名ぐらいが集まる。以前は30名ぐらい集まっていたが、だんだん動けなくなった人が増えたのだろう。しかしこの20名は近年固定してきたので、まあ、元気な連中が集まっているといえるのであろう。
 元気だといっても、集まれば病気か死ぬ話が多い。同窓会というのは懐かしく楽しいものだが、齢を取るにつれて病気と死ぬ話ばかりになるのが面白くない。かくいう私も、昨年は脳梗塞を患い、それをうっかり年賀状に書いたので病状の質問攻めにあい、書いたことを後悔している。
 その中でK君は全くそのような話をしない。高知市で学校を開き子供の教育に取り組んでいることが、彼を未来志向、夢のある話に向けているのであろう。76才になっても現役バリバリという感じで、そのエネルギーをもって、毎年東京の同窓会に四国から出てくる。実に快男児である。

 会が終わってK君と二人でお茶を飲んだが、彼はしきりに「高知に遊び来い」と誘う。「俺のいるうちに是非とも来い。たっぷりと案内する」としきりに誘う。しかも、私が『旅のプラズマ』で、高知市の隣の安芸市を訪ね弘田龍太郎について書いていることにふれ、「四国でも龍太郎が安芸市出身であることを知らない人が多い。俺の学校の父兄を集めるからその話をしてくれ」など、実に夢の多い話が弾んだ。
 結果は、今年こそ高知に行こう、ということになった。秋がいいというので紅葉をねらい、彼の薦める「黒潮温泉」をはじめ、一度は行きたいと思っている四万十川などを愉しみたい。まぐろで高知の酒を飲むことはもちろんだが…。
 春は「高校喜寿同窓会」で九州に帰るので、秋は四国とするか…。何とも楽しくなってきたなあ。、


春近し … 節分、恵方巻、新酒会の案内…

2012-02-04 11:29:53 | 

 
 春近し、と書くには寒すぎる。東北から九州に至るまで大雪に見舞われている。東京は大雪こそ降らないが例年になく寒い。しかし、昨日は節分、今日は立春で、春は確実に近づいている。
 節分ということで昨夜は、豆まきこそしなかったが恵方巻を食べた。この齢では豆まきはつらいので(撒くのはいいが腰を曲げて拾うのがつらい)、恵方巻にしたのがワイフの妙案。しかし、この太巻きを丸かじりすれば縁起がいいといわれているが、その食力もなく普通の巻きずしのように輪切りにして食べた。しかも3分の1は残し、それを今朝の朝食として食べるお粗末。このような食べ方では、とても幸運を招き寄せることはできまいが、まあ、食べないよりはいいだろう。

 明けて今日は立春。郵便箱を開けると山形県酒造組合の「新酒の会」案内状が出てきた。春の新酒発表会のシーズンだ。既に来ている案内状を並べると以下の通り。
  3月13日 東京めじろ会(大分県の酒を飲む会)
  3月14日 純米酒を愉しむ会(純粋日本酒協会)
  4月15日 純米酒フェスティバル(純米酒普及推進委員会)
  4月26日 山形県 新酒歓評会(山形県酒造組合)

 この間にいろいろな同好会などが入ってくるだろう。5月には故郷臼杵市で「臼杵高校第6回卒業生(昭和29年卒)の喜寿の会」があり、そこで「旅と酒」の話をすることになっている。楽しみな会が続くが、齢をわきまえ体調を整えながら臨むことにしよう。

  
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悲しい、哀しい物語…オペラ「ラ ボエーム」

2012-02-01 16:03:57 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 1月28日(土)、寒さをついて東陽町の江東文化センターまで出かけ、江東オペラ公演『ラ ボエーム』を観た。娘が主宰するオペラ創作集団「ミャゴラトーリ」公演への出演メンバーの一人、バリトン歌手薮内俊弥君がマルチェッロ役で出演するので、応援を兼ねて出かけたのだ。全体としては「まあ、まあ」という感じであったが、彼は好演でひときわ光った。それはさておき…
 このオペラを見る度に、何と悲しい物語だろうといつも思う。1830年ごろのパリには、貧しいが夢だけは追うボヘミヤンと呼ばれる芸術家たちが集まっていた。ここにも、詩人、画家、音楽家、哲学者の四人が、屋根裏に一緒に住んでいる。想像を絶する貧しさで、部屋の椅子を次々に薪にして暖を取る有様だ。誰かが仕事にありついた少しの稼ぎで、全員が夜を徹して飲む。それでも、クリスマスの夜はカルチェ・ラタンに繰り出す夢は捨てない。
 下階に住むお針子ミミと、ふとしたことから恋に落ちた詩人ロドルフォは、既に重い病を抱えるミミが貧乏な自分と一緒では死を早めると別れを決意する。「夢だけでは生きていけない」と別れを決意する歌は、夢に生きる若者が歌うだけに悲しい。つらい冬にあって「春四月の最初の太陽が私のもの」と自己紹介したミミは、せめて冬は一緒にいて春別れようと望み、一緒に居れることだけを願い 「この冬がもっと長ければいいのに」 と謳う。何とも悲しい。大好きな春は別れの時なのだ。
 時がたって、ミミはいよいよ死期を感じ 「せめて最後はロドルフォのそばで」と、親友ムゼッタに連れられて四人の住む屋根裏に現れる。そのやつれ果てた姿を見て、ムゼッタは指輪を、哲学者はコートを…、とみんな自分の持ち物を出し合って、ミミのために薬と医者を用意する。しかしみんなにみとられて、ミミはロドルフォの腕の中で息絶える。

 オペラには悲劇が多く、悲しい物語が多い。しかし多くは貴族や上流階級の話である。それに比し「ボエーム」は最下層の人々の物語だけに救いがない。しかも夢多い若者たちの話だけに悲しさが増幅する。ただ、このような若者たちが、19世紀から20世紀にかけて新しい文化、芸術を生み出してて行ったのであろう。いつもそこに救いを求めて気持ちを収めるのだが…。
 振り返って今の世はどうか?


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